憲法 平成10年度第1問

問  題

 
 公立A高校で文化祭を開催するに当たり、生徒からの研究発表を募ったところ、キリスト教のある宗派を信仰している生徒Xらが、その宗派の成立と発展に関する研究発表を行いたいと応募した。これに対して、校長Yは、学校行事で特定の宗教に関する宗教活動を支援することは、公立学校における宗教的中立性の原則に違反することになるという理由で、Xらの研究発表を認めなかった。
 右の事例におけるYの措置について、憲法上の問題点を指摘して論ぜよ。

答  案


一1 Yの措置によりXらはA高校の文化祭で自己の信仰する宗派の成立と発展に関する研究発表をすることができなくなっている。

 2(1) 自らの信仰する宗教の成立と発展に関する研究発表を行うことは、自らの信仰心の発露と見ることができるから、信教の自由(二〇条一項)の一内容である宗教的活動の自由として保障される。

  (2) また、研究発表を行うことは、学問の自由(二三条)の一内容としての研究発表の自由としても保障される。

 3 ところで、Xらは高校生であり未成年者であることから未成年者にも人権が保障されるか否か問題となるも、肯定すべきである。
   なぜなら、未成年者も人間として人格的尊厳(一三条)が認められるべきだからである。

二 一方、Yにも、A高校の生徒の教育を受ける権利(二六条)を実質的に保障する担い手として、高校内の事柄については一定の裁量が認められる。
  しかし裁量といえども生徒の基本的人権に配慮して行使されなければならないのはもちろんである。具体的には、公教育機関としての存立の維持を目的とするものであり、目的と手段の間に実質的関連性が認められるという場合でなければ、裁量権を逸脱したものとして違法となると解する。
  本件のYの措置は、Xらの研究発表を認めることが公立学校における宗教的中立性の原則に違反するということを理由としている。公立学校が宗教的中立性に反しないということは、公的機関である公立高校としての存立を維持する上で必要なことである。
  では、Xらの研究発表を認めることが宗教的中立性に反するといえるのか。

三 思うに、社会国家(二五条)のもと、国家も宗教と一定程度のかかわりあいを持たざるを得ない。
  そこで、宗教的中立性に反すると言えるためには、行為の目的が宗教的意義を有し、その効果が宗教を援助、助長、促進又は圧迫、干渉するものであることが必要と解する。
  本件文化祭でのXらの研究発表を認めることは、生徒について学問的研究成果の発表の場を与え学問的探求心を盛んにさせるという目的によるものであり、宗教的意義は有しない。
  また、Xらの研究発表を認めることはあくまでも一部の生徒の発表を文化祭の一部で認めるにすぎず、文化祭全体が宗教色に染まるものではない。また、あくまでも「宗派の成立と発展」の研究発表を認めるにすぎず、宗教の宣伝ではないから、宗教を援助、助長、促進も圧迫、干渉するものでもない。
  よってXらの研究発表を認めても宗教的中立性に反しない。

四 よってYの主張する目的はその根拠を欠くので、Yによる本件措置は違憲違法となる。

以 上


所 感

 いやー、本当に駄文。今打ち直してみると本当めちゃくちゃですね。問題点を論ぜよとあるんだから、「〜が問題となる。」って書いた方がわかりやすかったとか、未成年者の人権についての論述はどうみても流れを損ねてるだとか、宗教的中立性について条文(20条3項、20条1項後段)が引いていないとか・・。
 また、裁量の問題にしているにしては基準が厳しすぎないかというのもあるんですが、えーい違憲にしちゃえ、という腹があったんで、厳しめの基準にしてしまいました。
 本当は、エホバの証人剣道実技拒否事件の事案との対比が聞かれているんだろうな、そしたら裁量のところで判例を出してもうちょっとぐちゃぐちゃ言えばよかったかな、という気がしています。

 信教の自由と政教分離との関係をどう考えるのかというのが主題だった、という考え方も見ましたが、普通の人権パターンで流し、規制目的の検討のところで宗教的中立性の侵害の検討を行うという形にしています。

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