仮面の精霊


ピー・タ・コーン

はじめに戻る

 この東南アジアと思えない奇怪な祭りを知ったのは、偶然だった。ラオスの取材中、メコン河の小舟で知り合ったカナダ人旅行者からの情報だった。「今年イサーンの村で、今まで見たこともないような仮面祭りに出会ったんだ。赤や黄色の派手な仮面を被って踊るし、外国からの観光客は、ほとんどいなかったよ。」彼もその祭りの意味などはまったく知らなかったが、とにかく変わっていて面白いと熱っぽく話す言葉に、メコンの流れに揺られながらラオスと同じ言葉のイサーンに心は飛んでいた。

 

 宿がない。村の小さなバス停車場では確かにこちらにあると言っていたのに見つからない。大した量でもないのに、やけに機材が重たい。道みち尋ねて歩く。真上からは、相変わらずの太陽が照りつけている。雨期に入っているはずなのに、涼しくしてくれる天の贈り物を最近見ていない。微かに期待を持たせてくれるのは、夕暮れ遥か彼方の稲光と重たい風に乗ってくる雨の匂いだ。その時までにはまだ遠く、土埃がまう村の一本道を進む。方向は合っているはずだが、小さな民家が並び、お世辞にも綺麗とはとはいえない木造の食堂があるだけだ。少し戻ると、道端の暇そうな美容院から見目麗しい?おかまさんが出てきて、迷っている私を宿まで手を引いて連れていってくれた。そこは先ほどの壊れそうな食堂だった。どこにもそこが宿であるのを示す看板はなく、インド人のような顔つきのちょっと恐そうなおやじが忙しそうに昼飯をつくっている。店の奥から2階に上がる急な階段は、ぎしぎしと音を立て、木を当てて補修をしてある床の隙間からは、階下の食堂がよく見える。しかし、部屋は全部で6つあり、泊まるには申し分のないところだ。部屋の扉のやけに大きな南京錠がよく似合っている。ダンサイ村に宿は一軒しかないそうだ。寝るところはとりあえず確保できた。床の隙間から食堂の席が空いたのを確かめ、飯とビールにありついた。

 

 ドラを打ちならすどでかい音と奇声で叩き起こされた。まだ昨夜の餅米焼酎が残っている。一緒に飲んだ村の人は、祭りは10時からだと言っていたはず。床に置いた目覚まし時計を見る。3時。あたりはまだ真っ暗。何事かとまだ眠りの中にいる頭を引きずって2階から外を見る。表通りを白いものが動いている。ジャンジャンドーンと脳みそにストレートに進入するものすごいドラの音を響かせその一団は動いている。その音に否応なくからだが覚醒する。白装束を纏った集団だ。一階に駆け下りるとおやじさんももう起きていた。入り口を開けてもらうと、祭りの始まりの世界が広がっていた。

 

 暗闇に浮かび上がる白装束。連なる村人。先頭を行く長はオレンジ色の紐のようなローソクを持ち、揺らめく炎にほのかに赤く染まる。3メートルほどの竹の先に、小さな天蓋や、赤、黄、青、三色の飾りを付けた竿を担いだ十数人の人びとが、それに従う。すさまじい音はドラだけではなかった。シンバル、肩から吊し右脇に抱える太鼓、それに日本の笙によく似た笛。あらん限りの力を絞り出すような奇声。取り囲む黒を切り裂く音を連れ、たおやかに流れる白。一団は村を流れる川、ムンへと向う。

 

川原に降り立つと、村人たちは黙り、あたりは静寂を取り戻した。ムンのせせらぎが聞こえる。長はゆるりと祈りの言葉を始める。見守る人びと。長は右手で数個の白い小石を拾い上げ、胸に抱いた竹篭へと移し、寺へ通ずる道へと戻る。ほんの短い静けさと祈りの儀式だ。聖なる白い小石をとともに、行列はふたたび大音響と奇声、そして踊りに包まれ寺へと帰って行った。

 

 境内はまだ闇の中にある。寺に集まる村人は、徐々にその数を増している。皆、境内東面に集い、太陽の昇る方角に向かい座し、祈りの言霊を待つ。やがて長の口が開かれ、そこは厳粛な空気に包まれ出す。精霊に呼びかけるように祈りは続く。これは、降霊の儀式バ・シーのひとつであろう。東から始まり、寺の四方につくられた小さな祠に、聖なる白い石、花などを供えるのである。その後本堂を中心に、反時計回りに楽器を打ちならし踊りながら三度巡り、長と十数人の従者が本堂の中に入り、仏に祈りを捧げる。その間、人びとは外で、音に合わせ踊り続けている。この祭りに対して、仏教世界を教えるためのものであるとの説もある(確かに寺の境内で行われてはいる)が、この、最後に仏と相対するまで、一度も僧侶が儀式に参加する事はなかった。

 

 東西南北、それぞれの方角に祈りとお供えが終わるごとに、ドラをかけ声とともに打ち鳴らす。三度目のドラの音に合わせて、ロケット花火と、運動会朝の爆発音の打ち上げ花火が揚げられる。それは村中に響きわたり、ピー・タ・コーン祭りの始まりを告げていた。

 

『ガラーンゴローン、ガラーンゴローン』、表が騒がしい。今度は何だ。朝5時半、ベッドの上でフィルムを詰め替えていた手を止め、窓から覗く。ピー・タ・コーンだ!空が白み始めたばかりだというのに。いても立ってもいられないのだろう。腰の後ろに5、6個つけたカウベル(缶空で作ったものもある)を、リズムを取りながら村の通りを練り歩く。一時間ほど寝ようかと思ったが、気になってとても寝られない。カメラ一台持って、外に出た。みの虫のような、カラフルな布の小片をくっつけた衣装が昔からのスタイルらしいのだが、それぞれのファッションを競い合い、様々な格好をしている。なかには、ピー(精霊・お化け)の仮面の後ろから垂れる布にケロケロケロッピーのもいる。それは寝巻だろうと思うのもいる。顔は仮面に隠れて見えないが、幼稚園か小学校の低学年だろう。ただ歩き回っているだけなのだが、今日のこの日を指折り数えた祭りだろう。腰をふりふり、ガラーンゴローン。実に楽しそうだ。こんな祭りは見たことない。こちらもつられてパチパチ。昨日のおかまさんが声掛ける。「まだまだ今から沢山ピー・タ・コーンが集まってくるよ。写真無くなっちゃうよ。気が早いね。」早朝からの妙に高い声も気持ちいい。村人も、そして私も待ちこがれた祭りなのである。

 

 学校は村の中心、バスステーションと市場の前にある。小、中、高が一緒の敷地にあるが、大きな学校だ。その校庭に、8時半頃からどこからともなくピー・タ・コーンが沸きあがるように集まってくる。何なのかは分からないが、全身を真っ黒に塗りまくり、頭にバナナの葉を巻いた半裸の男たち。銀色に輝く髪飾りをつけ、美しい衣装に包まれた少女たち。そして、だるまのように竹を編んだものに布を張り、中に人が入る3メートル以上もあるピー・タ・コーン・ヤイ(大きなピー・タ・コーン)と呼ばれる男女一対のお化け。これには、女性器と男性器が派手につけられていて、時折互いの性器をくっつけ合って、セックスの振りをする。ピー・タ・コーン・ヤイには、腰みののように作られた一対の張り子の水牛がついてまわり、けしたてる。この水牛役と大ピー・タ・コーンは、後で大変な事になるのである。

 

 10時、村長のスピーチでピー・タ・コーンのパレードが始まる。パレードはコンテストを兼ねているから、それぞれの集落の代表である7つほどのグループは、工夫を凝らしたスタイルと踊りで競い合う。集落の威信をかけているのか、皆真剣そのものだ。まだ村長の話が始まったばかりだというのに、もう飲み過ぎて戻しているいるやつもいる。早朝はどす黒い雲が空を覆い、今にも待ちこがれた雨が降りだしそうだったが、パレードが始まる頃には強烈な太陽が照りつけ、顔が痛い。この小さな村のどこにこんな沢山の人がいたのだろう。校庭はピー・タ・コーンたちで埋め尽くされ、村の大通りはお化けたちの出現を待ちわびる村人たちで一杯だ。

 

 プミポン国王の肖像画を先頭に、張り子の馬に跨った男の土地神様、女の土地神様が続く。いよいよだ。音楽隊が囃したて、ピー・タ・コーンは人びとの目前に現れる。派手な原色で塗られた仮面をつけ、一所懸命稽古をつんだのだろう、見事に揃った舞を舞う。それぞれの集落ごとに異なった振りつけだ。何百ものピー・タ・コーンは踊りながら寺を目指し練り歩く。しかし、進むにつけ刺すような日差しのせいもあるのだろう、踊り疲れ次第に行列はばらけてくる。小さいピー・タ・コーン(仮面をかぶっているもの)は、店先にならんだ果物やお菓子を奪ったりする。主人は一応は怒るが、しかたないという表情だ。ある程度の悪さは、許されるのだ。なにせ相手はお化けなのである。そしてそのお化けたちは、手に木製の剣や男性器を型どった物を持っている。剣型のものも、杖の部分はやはりいちもつの形だ。特に男根型のものは、赤く色づけされた先端の亀頭部分が手元の操作でピコピコと動くようになっている。踊りに飽きてきた?ピー・タ・コーンたちは、道の両脇を一杯にうめた観客(女性)に、押しつけふざけまくる。少女たちはキャーキャーと顔を赤くして騒ぎ逃げまわるが、真剣に嫌がっている様子はない。五穀豊穣、子孫繁栄を願う、この祭りの本質的な要素の一つであることは疑う余地がないだろう。

 

 次々にピー・タ・コーンは境内へと入っていく。寺に着いた行列は、本堂を左回りに騒ぎ踊りながら3周する。この時、べろべろに酔っぱらった水牛役は、周りの男衆に引っ張り回されどつかれる。水牛役はその男衆に負けじと力一杯ぶつかっていく。こうなると、先は見える。喧嘩だ。仲介に入るものもいるのだが、酔っぱらった連中のこと、なかなか収まりがつかない。とうとう一人の水牛役は完全にダウン。白目をむいて口からは泡をふいている。女性たちがご苦労様というように介抱している。それでもまだまだだとでもいうように、次の男が水牛の中に入り、また引きずり回される。大ピー・タ・コーンとて例外ではない。倒され上に乗られ殴られる。ここでもまた喧嘩だ。私もとばっちりをくう。そばに寄るとなかなか危険な祭りなのである。男衆もさすがに疲れはて、ピー・タ・コーンたちも三々五々散っていく。ひたすら暑く、砂塵が舞い上がるなか、ガランガランと腰のカウベルを鳴らしながらうろついている。その音は皆が寝静まるときになっても、村中に響いていた。

 

 祭りの起源は分かっていない。またどんな意味があるのかも諸説あって、これだというものが見つからない。13の説法を含む、仏誕生の説法を祝うブーンプラバスやブーンルアンと呼ばれる祭りでの行列の一部である、というもの。仏教のジャータカ物語(本生譚ほんじょうたん)を表していて、仏になる最後から二番目の化身であるヴェサンタラの誕生を精霊たちが現れて行列をなしてそれは華やかに祝った、というもの。その昔、若い恋人たちが二人の関係が両親にばれるてしまうのを恐れて、モン川の岸辺にあるシーソンラックの仏塔の宝蔵庫に隠れ、そこで亡くなってしまった。その二人は今ではチャオポークアンとチャオメーナンティエムと呼ばれ、彼らの魂は、その仏塔の守り神となった。ブーンプラバス祭りでは、二人の魂は、幸せと幸運を与えてくれる力を持ったプラウパクット(聖なる白い岩)の行列として祝われた。といものなど様々あるが、どれとして、なぜお化けの行列なのか?なぜこれほど性器信仰のかたちをとるのか?はっきりはしない。日本にも、川原から石を拾って神に捧げるお祭りもあるが、このピー・タ・コーン祭りは、五穀豊穣、子孫繁栄の願いがいちばん強いのだろう。しかし、やはりなぜお化けなのかは、わからない、、、。

 

 夜寺の境内は一大移動遊園地となる。観覧車、メリーゴーランド、有料のタイボクシング、無料の野外映画館。5本立てで、ちょうどゴジラ対モスラをやっている。深夜までこの遊園地は続く、さすがに翌日の朝は遅い。8時半頃になってやっと露店がぽつぽつと店開きする。最終日の今日は、審査員を前にしてのピー・タ・コーン踊りコンテストから始まる。境内に積み上げられたスピーカーから流れる大音量の音楽に合わせ腰を振りふりおどけて踊る。ずらりと並んだ審査員と来賓の前だが、仮面で顔が分からないためもあるのだろうか、ほんとうに小さな子どもまで堂々と踊る。見事だ。これは女の子にあの男根棒でいたずらする時、また店から食べ物などをちゃっかり頂くときも、顔が分からない利点は大きい。だが、たまには女の子から「あんただれよ!」と怒られる。

 

 3時過ぎから、祭りはクライマックスを迎える。ダンサイ村の入り口のT字路に、男の土地神様、女の土地神様が現れる。そしてこの時初めて僧侶が祭りに加わり、金色の降魔の仏を中心に経を唱える。と、同時に突然の豪雨が襲う。あわてて木陰に飛び込んだ。しかし、ものの30秒ほどで少し傾きかけた太陽が皆を照らす。その後、仏を先頭に、3人の僧、最後に男の土地神様が、竹のみこしに乗り寺へと向かった。ここで土地神様は、みこしの上から金紙銀紙に包んだお金を撒く。中身は1バーツ(5円ほど)なのだが、必死に奪い合う。ちょうど日本の棟上式で取り合うのに似ている。ただ、たまに喧嘩になるほど真剣だ。その一団が境内に入るともうパニックだ。金をもらおうとする者たち、踊り狂うピー・タ・コーン、引きずり回される大ピー・タ・コーン、もうぐちゃぐちゃになって寺を左回りに3周する。

 

 もみくちゃにされながらようやく土地神様は本堂へと入っていった。本尊の前にひざまづき、祈りを捧げ、祭りの終わりを告げる最後の儀式へと向かう。寺の奥、墓地の一角。一番高いこずえに設置された竹の足場に男衆が駆け上がる。

 

 先ほど土地神様の乗っていたみこしは、村人によって作られた5メートルほどのロケット花火の束だ。1本ずつ祈りを込め、天に向かって打ち上げられる。豊作を願う雨ごいのロケット花火なのだ。村人は遠巻きに見守っている。10分、20分、なかなか上がらない。いやな予感がした。

 

 あの雨だ。僧侶と土地神様が降魔の仏に祈った時の、あの一瞬の雨だ。花火が、、、。点火できない。一本、また一本と、黒い煙を出すだけでその場から動きすらしない。十数本あった花火も残りが少なくなってゆく。ただですら豊かではないイサーンの土壌。お願い、上がって。祈らずにはいられない。しかし、途中から村人も暗い顔して帰りだしてしまった。結局、横に飛んでいった1本も含めて2本だけしか上がらなかった。

 

 今年は大丈夫だろうか。人ごとながら心配になった。いやいや、大丈夫。気の早い仏様が、お経と同時に衆生の願いを叶えてしまっただけなのだから。むりやり納得して、宿に戻った。雨もりしていた。    

 


最初に戻る/降霊の儀式へ/ピーたちへ/祭りの日1へ/祭2へ

home