◎貞包英之著『消費社会を問いなおす』(ちくま新書)
全体の主旨には同意するけど、三点ほど疑問に思った箇所があった。それは@オリンピック、A日本の再エネ事情、Bベーシックインカムに関する三点。@とAに関しては本筋とはあまり関係がないし、実はこの新書の編集者の一人、加藤氏は氏が青土社におられた頃に、わが訳書を何冊か担当されているので、あまり批判的なことをツイしたくはないんだけど、やはり疑問点についても簡単にコメントしておくことにした。
まずオリンピックについて。(東京)オリンピックに対する私めの見方をまず述べておきましょうね。もともと私めは費用がかかってテロを呼び込む可能性もあるオリンピックの開催には反対だった。でもいったん開催が決まってからは、世界(この場合はIOCになると思うけど)が中止を勧告しない限り、日本だけの判断で中止することはできないと思っていた。そもそも国内ではJリーグ、プロ野球、甲子園などを開催しておきながら、なぜ国際大会は独自の判断で中止できるのかは疑問だしね。
さて著者は二か所でオリンピック批判をしているけど、最初の箇所をあげておきましょう。「グローバルな社会のなかで国威を発揚し、それを経済発展に結びつけるためには、「多少」の死者が生じても構わないとする権力による見切り発車がそこではなされていたのであり、その力は、多くの人が疑問を感じながらも、実質的にはそれに抗うことができないほどに強力だったのである(27頁)」とある。これ証拠があるのだろうか? たとえば当時の首相は菅氏だったと思うけど、彼が何かその手の発言をしたのだろうか? 一部の地方会場以外は無観客で行なわれていたわけで、そもそもオリンピックの開催によって死者が増えると主張するのなら、その理由はいったい何なのか? もし実際に増えるのなら、甲子園を主催していた朝日や毎日、あるいはJリーグやプロ野球の主催者も「「多少」の死者が生じても構わない」と考えて競技を開催していたってことになるよね? ただこの点については、本書とはまったく関係がないから、著者は甲子園やJリーグやプロ野球には触れなかったと好意的にとらえておくことにする。ただし一点だけつけ加えておきたいのは、権力の結節点は強弱の違いはあっても、至るところに生じるのであり、国家や政府だけが権力だと考えるべきではないってこと。
二つ目の疑問は日本の再エネ事情に関してだけど、この点については『知っておきたい地球科学』に関してツイしたとき五項目の問題点をあげた。気候変動に関しては、ちくま新書の著者と同じ考えだけど、とりわけ日本という国の国土の性質を考えてみれば少なくともよほどの技術の進展が見られない限り、少なくともここ数十年は原子力を主体に考えるべきだと個人的には思っている(その理由は『知っておきたい地球科学』のレビューを参照されたい)。もちろんそれは私め個人の見解ではあるけど、一点だけ特に指摘したいことがある。それは「原子力や石炭発電の既得権益」とあることで、著者は再エネには既得権益がともなわないとでも考えているのかなと思ってしまった。大阪のH氏とか、最近ネットで話題沸騰中のM女史とか、あれって太陽光発電に関する利権の問題そのものではないのだろうか?
ただそれは日本だけの問題なのかもしれないけど、それよりもっと大きな問題は原子力や石炭火力とは違って、中国が太陽光パネルのシェアを圧倒的に握っていることで、中国のような独裁国家に国のエネルギー政策の首根っこを押さえられることがいかにまずいかは、ウクライナ戦争が証明してくれている。だからまず、そこを改善しなければならない点を指摘しなければ、経済安全保障の問題をないがしろにしていると見られても仕方がない。ただこれも著者は消費社会論が専門なので、専門外の経済安全保障の問題は取り上げなかったと好意的に見ておくことにする。
三つ目はベーシックインカムに関してだけど、「ベーシックインカム」という言葉を見て、「おっ! フィンランドが行なった実験の結果はどうなったんだろう。それについて何がしかのことがわかるかな」と思って読んでいたら、「ロンドンやケニア、ブラジルなど、世界各地で大小の集団にフリーマネーが配られ、いかなる影響がみられるか調査されてきたのである(232頁)」と書かれているだけで、フィンランドの話はまったく出てこなかった。「もしかして何か記憶違いしてるのかな?」と思ってググってみるとすでに報告書が出ていることがわかった。このニューズウィーク日本語版の記事には最終報告書へのリンクが貼られているけど、フィンランド語?で書かれているからまったく内容はわからなかった。
フィンランドでの実験はツイッターのトレンドにあがるほどけっこう話題になったはずだけど、なぜそれについて一言も触れていないのか不思議に思った。下手をすると「都合の悪いことがそこに書かれていたのでは?」と勘繰る人が出て来る可能性もあるし、@、Aの疑問とは違ってBの疑問はこの本の本筋に関わるテーマなので、簡単にフィンランドの実験の結果について説明しておくべきだったのでは?と思った。
以上三点、批判めいたことを書いたけど、全体的には首肯できる部分が多かった。とりわけ消費中心の資本主義社会を否定するためにソーシャリズムやときにはアナーキズムをヨイショしている本を何冊か読んだことがあるけど(著者が「はじめに」であげている『人新世の「資本論」』は読んでいない)、「いや〜確かに資本主義社会には問題が山積みだけど、ソーシャリズムとかアナーキズムとかは、それ以上に多くの問題を生むのが必定ではないの?」と思っていたしね。
多様性を維持するには、問題はあっても消費社会の存在が前提条件になるという著者の考えにも同意する。また次のような著者の見立てにも激しく同意する。「そのため消費社会に代わるコミュニズム的なオルタナティブな社会をつくるという声もときに湧き上がるのだが、ほとんどの場合、それは現実から目をそらし、ユートピア的夢想に{浸/ひた}るだけのものとして終わるか、さもなければかなり悲惨な社会を実現する計画になってしまう(186頁)」。こういったところからも著者はリアリストなんだろうと思われるけど、前述のとおり国家や政府だけを権力の権化のようなものとしてとらえているきらいがあるように思われる点はちょっと気になった。
※2023年4月28日