◎鎌田浩毅著『知っておきたい地球科学』(岩波新書)
ひとことで言えば高校で地学と呼ばれている領域の入門的解説書と言えばよいのかな。ただ少し意外だったのは、その地学に天文学や宇宙論が含まれていることで、事実この新書本も「ビッグバン」から話が始まっている。私めは泣く子も鼻で嗤うヘタレブケダンだったから詳しくは知らないけど、天文学や宇宙論って地学の教科書に載っていたの? てっきり物理学の教科書に載っているのだと思っていた。
まず取り上げたいのは「第2章 環境・気象」で言及されている気候変動について。ちなみに私めは、「地球温暖化」ではなく、複雑系の知見に基づいて一貫して「気候変動」と呼ぶべきだと思っている。懐疑派のなかには、「二酸化炭素による地球温暖化説擁護者は、最近都合よく「地球温暖化」ではなく「気候変動」と呼ぶようになった」と言う人もいるけど、私めは最初から「気候変動」と言うべきだったと考えている。その理由をこれから説明しましょう。
最初に述べておきたいのは、この本にも「地球が温暖化しているのは、「温室効果」の機能を持つ二酸化炭素(CO2)が増えたからではないか、という議論がある(95頁)」とあるように、二酸化炭素による地球温暖化説は科学的に正しいことが証明されているわけではない。
むしろ一見すると科学的にはその逆であることを示す証拠もあるらしい。本書にも次のようにある。「大気中の二酸化炭素濃度を決めるのは「炭素循環」と呼ばれる現象である(図30)。産業革命以来、人類の活動によって大量の二酸化炭素が放出されたが、地球システム全体で見れば、炭素循環による影響のほうがはるかに大きい(95〜6頁)」。あるいは「地球史をこうした長い時間軸で眺めると、現在の大気中の二酸化炭素濃度は、寒冷期に当たる非常に低い水準と言えよう。したがって、いま世界中で問題にされている地球温暖化も、こうした「長尺の目」で見ると再び氷期に向かう途上での一時的な温暖化とも解釈できる(100頁)」、もう一丁「近年の地球温暖化は、人為的な気温上昇によるとする見方が多いが、実は気温変化には太陽の距離などはるかに大きな要素が作用している。こうした観点からも地球環境変動を大局的に理解する必要がある(109頁)」。
もちろん以上の発言は私めのようなその辺のツイ投稿者の憶測なのではなく、れっきとした地球科学者で、一般読者のあいだでもよく知られている鎌田氏が左向きの岩波新書で述べていることであって、現時点で判明している最新の科学的な見解と見るべきだろうね。ちなみに著者は地球温暖化説の正否については明言していないけど(これに関しては、政治的ともとられかねない余計な発言をしないほうが科学者としては賢明とも言える)、これまで私めが読んできたポピュラーサイエンス本の中では、一件を除いてすべて、明示的にせよ暗黙的にせよ地球は温暖化しているという立場を取っていた。その例外的な一件も、大気中の二酸化炭素の増加によって温暖化は確かに起きているけど、ミランコビッチ・サイクルを考慮した場合には現在は寒冷化に向っているのだから、むしろ温暖化はプラスに作用しているとして価値的には中立の立場を取っていた。
いずれにせよ上記のような科学的事実をもって懐疑派が「ほれ、地球温暖化なんて科学的な根拠のないウソ八百やんけ!」と主張するのなら、その人はもう一つの基本的な科学的事実を無視していると言わざるを得ない。それは何かと言うと、本書にも「もともと地球環境は不安定なもので、絶えず変動するのが本来の姿なのである(100頁)」とあるように、「地球は全体として複雑系をなしており、さまざまなパラメーターが関与していて、そのうちの一つのパラメーターが少し変わっただけでも、それが一定の閾値を超えれば激しい気候変動が生じ地球全体に破局的な効果が及ぶ可能性が高い」って科学的事実のこと。だからたとえば、たとえ二酸化炭素の放出量より炭素循環による影響のほうがはるかに大きかったとしても、相対的にはわずかであれ人為的な放出によって二酸化炭素が増加すれば、複雑系をなす惑星地球に対しては破局的な効果をもたらしうることになる。複雑系的用語で言えば、特定のパラメーターが特定の閾値を超えて変化すれば、それまで保たれていた複雑系全体の規則的な振る舞い(アトラクター)も大きく変化してしまう可能性が高いってことね。そしてその特定の閾値に近づけば近づくほど、異常な振る舞いが指数関数的に増えたり拡大したりしていくことになる。その手の異常とは温暖化という形態のみならず、台風の規模が大きくなったり(ちなみにこの新書本によると温暖化すると台風の数は減るけど、規模が大きくなるらしい)、大寒波が襲来したりなど、さまざまな気候変動の形態で現れる。
ハリウッド映画に『デイ・アフター・トゥモロー』というパニック映画があったけど、あれも地球温暖化のせいで氷河期が突然やってくるという話だったよね。この映画は誇張されてはいるとしても、地球物理学者ダン・ブロッカーらの「ベルトコンベア・モデル」が取り入れられていて(イアン・ホルムがア・ラ・ブロッカー理論を提唱する科学者を演じていた)、まったくのデタラメではない。要するに言いたいのは、このような複雑系の性質を考慮すれば、「地球温暖化」より「気候変動」と呼ぶほうがより本質をついているということ。また「今年は、カナダのなんちゃらという町はまるで『デイ・アフター・トゥモロー』の世界のようになっているけど、これでも地球温暖化が進行していると言えるのかね?」などといった懐疑派のチェリーピッキング的な主張にも簡単に反論できるしね。だから懐疑派は、擁護派が急に「地球温暖化」ではなく「気候変動」と言い換えてごまかすようになったなんて言っているわけで、逆に言えば、その事実はまさに、「気候変動」と言われてしまうと立場が悪くなることを懐疑派が自分たち自身でも認めていると解釈することもできる。
とはいえもちろん、「その複雑系的説明にしても、気候変動に関しては科学的に実証されているわけではないんでは?」と言えばそうなのかもしれないが、これに関しては以前にもツイしたことがあるけど、『疑似科学入門』(岩波新書)に書かれていた、次の池内了氏の見解に私めは激しく同意する。「地球が複雑系であるために原因や結果が明確に予測できないとき不可知論に持ち込むのではなく、人間や環境にとっていずれの論拠がプラスになるかマイナスになるかを予想し、危険が予想される場合にはそれが顕在化しないよう予防的な手を打つべきなのである。それが複雑系の未来予測不定性に対する新しい原則で、「予防措置原則」と呼んでいる。たとえその予想が間違っていたとしても、人類にとってマイナス効果を及ぼさない」。手遅れになってから気づいても誰にも元の複雑系的平衡状態に戻すことはできないわけで、かかっているものがあまりにも大きすぎるからね。
さて、本書に関してもう一つ述べておきたいことがある。それは本書に書かれていることについてではなく、書かれていないことについてだけどね。「第3章 資源・エネルギー」では、石油、石炭、天然ガス、シェールガス、地熱などのエネルギー資源や、鉄、金、石灰、レアアースなどのさまざまな鉱物資源について論じられているんだけど、一つだけまったく触れられていないエネルギー資源がある。そう、予想されるようにそれはウランなどの原子力資源について。まあ地球温暖化と同じで原発の問題にはイデオロギー化する傾向があるので、賢明にもそれに触れるのは避けたということなのかもしれない。ちなみに本書には原発推進的な言説も反原発的な言説も一切ないので、イデオロギー的に中立を保とうとしたのかもね(そもそも左向きの岩波なので下手なことは書けないだろうし)。
そのようなわけでちょうどいい機会なので、ここからは原発に関する私め個人の考えを述べることにする(したがって新書本とはまったく離れる)。最初に指摘しておきたいのは、原発問題を含め現代の問題はほぼすべて、さまざまな事象が複雑に相関しているので、原発だけを取り上げて賛成だの反対だのと主張することは現実を無視することにつながり不適切だということ。原発問題に関わるさまざまな事象には、たとえば気候変動問題、再エネ技術の問題、経済安全保障問題、環境問題などが含まれる。それらの要素がどのように交絡しているかを簡単に見ていきましょう。まず端的に言って私めは、基本的に脱原発であっても反原発ではない。脱原発というのは論理的にそうでなければならないから。なぜなら、ウランなどの資源は、化石燃料同様、再生可能エネルギーではないため、未来のどこかの時点で再エネ、もしくは核融合のような最先端技術に切り替えない限り枯渇するのは論理的な必然だから。化石燃料をすべて原子力に切り替えても、化石燃料だけを用いた場合と同程度の期間しかウランなどの原子力資源がもたないと、かつて言われていたことを覚えている。ただそれはかなり昔の話なので現在の見積もりは違うのかもしれない。そもそも本書にあるように、資源の埋蔵量とは絶対的な推測値ではなく、その時点で採掘可能な量の推測値だしね。
でも今すぐに原発を全廃するのはまったくの悪手だと思っている。気候変動問題については、すでに述べたように、たとえ二酸化炭素による温暖化説が科学的には証明されていないとしても、もしそれが正しかった場合には地球が総体として複雑系をなす以上、破局的な結果がもたらされる可能性が大きいので、二酸化炭素によって気候変動が引き起こされることを前提として対策を立てることが肝要だと思っている。したがって化石燃料は可能な限り使わないようにすべきだと思う。では再エネはどうか? 現時点の技術では、限界があるのは明らかだし、そもそも環境破壊などの別の問題を引き起こしてさえいる。最近何かと話題の再エネの主力たる太陽光発電を考えてみましょう。少なくとも現時点では、太陽光発電には次のような問題があることは明らか。@太陽が顔を出していることが前提になるので電力供給が安定しない、Aメガソーラーの建設によって環境破壊が引き起こされている、B豪雪や暴風や雹などの自然現象や火災にきわめて弱い、C耐用年数が過ぎれば廃棄処分する必要があるが、その方法はどうするのか、D太陽光パネル製造のシェアの大きな部分を中共率いる中国が握っているので経済安全保障上の問題がある、などですね。
@に関してはヨーロッパなどでは国ごとに融通し合うことが可能であるはずにもかかわらず、やはり安定性が問題になっているよね。再エネをもっとも推進していそうなドイツなど、電力が足りなくなると周辺国から原発で発電した電気を買っているようだし。これって危険(ドイツは原発を全廃したのだから、原発は危険と考えていることになる)をアウトソーシングしているに等しいんだから、一種の経済的帝国主義と言えるのかも。Aに関しては、日本では特に大きな問題になると思う。ヨーロッパの鉄道動画を観ているとよくわかるんだけど、たとえばドイツなどでは緩やかな丘陵地にソーラーパネルがズラリと並んでいるところを確認することができる。でも山地が8割?方を占める日本では、丘陵地はすでに宅地化されているのが普通だから、メガソーラーを建設するには山を削って木を切り倒すしか方法がない(ちなみに日本の鉄道動画ではほとんどソーラーパネルを見かけないけど、それは鉄道が通っているような場所には設置されていないからだと思う)。ネットに多数あがっている醜悪なメガソーラーの画像を見ればすぐわかるように、これはもちろん明白な環境破壊だし、山の木を大量に切り倒せば保水能力が低下してそこから流れ出ている川の下流で水害が発生するかもしれない。Cについてはソーラーパネルにはかなり有害な物質が使われているらしく、かつてのPCB問題と同じような環境汚染の問題が頭をもたげてくるであろうことは火を見るより明らか。要するに廃棄物の問題は何も原子力に限られるわけではないってこと。Dもサプライチェーンを大々的に再構築しない限り大問題になるよね。専制国家に依存してエネルギーの問題を無理やり解消しようとすると、経済安全保障の面でヤバいことになるのは、今回のウク戦争で欧州諸国が実証してくれたよね。
もちろんD以外は、今後の再エネ技術の革新によってある程度は緩和できるんだろうけど、現時点ではどうにもならない。以上のことを総合して考えると、現時点で原発を全廃するのはまったくの悪手としか言いようがない。つまり真に危険な場所に立地する原発以外は再稼働させ、再エネ技術がもっと進歩したり、革新的な技術が商業化されたりするまで少なくとも数十年は、再エネと併用し、火力発電を減らしていくのが最善の方策だと個人的には思う。他の唯一の手は、おそらく個人の生活レベルを大幅に下げることだろうけど、誰もが自発的にそうすることは、まああり得ないでしょうね(それを政府が強制したりすれば、たちまち「独裁だあああ!」という猛批判にさらされるだろうし)。反原発を主張するのはまったく個人の自由だけど、このような錯綜した問題にどう対処すべきかを明確にしなければ説得力はまるでない。
ちなみに私めは、一部の推進派が主張しているように原発がまったく安全だとは思っていない。とりわけテロリストは問題になるだろうし、チェルノブイリになる可能性もゼロではない。とはいえ気候変動によって地球という複雑系の平衡状態が崩壊する可能性のほうが、人類絶滅の危機をもたらしうるだけに深刻だと考えている。たとえば最近の豪雨や大寒波が実際に気候変動に起因するものだったら、そのせいですでに多数の死者が出ていることになる。いずれにせよ、ここまであげてきた複雑な問題を最適な形態で解決できるもっとよい案の提起が可能になったら(たとえば核融合が商業ベースで可能になるとか)、かく言う私めも原発はただちに全廃すべしと考えるようになるでしょうね。要は現実に関する問題は、関連するさまざまな事象(パラメーター)を考慮に入れた上で、その時点における一つの最適解を導き出す必要があり、その観点からすると現時点での原発全廃は悪手だということ。
※2023年4月28日