◎南川高志著『マルクス・アウレリウス』(岩波新書)
著者の南川氏の本は同じ岩波新書から出ている『新・ローマ帝国衰亡史』しか読んだことがないけど、それがなかなかおもしろかったことも一つの理由で買ってみた。あえて言うまでもないけど、マルクス・アウレリウスという人物は、五賢帝最後の皇帝なのよね。
私めがこの名前を知ったのは、実は中学校の頃だったと思うけど、アンソニー・マンの大作映画『ローマ帝国の滅亡』を沼津の映画館で観たときのことだった(ちなみにそれは1970年代の話だけど、この大作歴史映画は1964年に初公開されている)。マルクス・アウレリウスは、アレック・“オビ=ワン”・ギネスが演じていた。
余談はそのくらいにして新書本の話に戻ると、副題に「『自省録』のローマ帝国」とあり、この本を買ったもう一つの理由がこの『自省録』というくだりにある。つまり「自省」といういわば自己意識がすでにローマ帝国時代に生きたマルクス・アウレリウスという人物のなかで実際に開花していたのか否かに興味があったわけ。自己意識というと、現代人の観点からすると、当然の能力?であるように思われるかもしれないけど、実のところ長い人類の歴史を通じて徐々に獲得されていったものだというのが実際のところで自明な能力ではない。
極端な話、ホメロスの時代にそんなものが存在しなかったことは、ちょっとオカルト的なところもあるけどジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』を読めばよくわかる。元来、自己意識のような何かが確立されたことを裏づける確たる証拠は、キリスト教徒のアウグスティヌスに初めて認められるとされる場合が多いように思われ、たとえば去年読み直した、サンデルの師匠たるチャールズ・テイラーの『Sources of the Self』(HUP, 1989)という、タイトル通り「自己の源泉」を扱った本でも内面への転換を果たした最初の人物としてアウグスティヌスが取り上げられている。
たとえば次のようにある(なお同書は、『自我の源泉 ――近代的アイデンティティの形成』という題で邦訳が名古屋大学出版会から刊行されているけど、手元にあるのは原書なので訳は私めによるもの)。「アウグスティヌスによる自己への転換は、急進的な反省性[reflexivity]への転換であり、内面の言語を抑えられないものにした。内面の光は、自分自身に対する自己の現前によって光輝いている。それは一人称の観点を持つ生物たる人間から切り離すことのできない光なのだ。内面の光を外界の光から分かつ特徴は、内面というイメージをかくも説得力のあるものにし、自己が自分自身に対して現前する空間を照らし出しているのである。内面の急進的な反省性を導入し、それを西欧思想の伝統として後世に受け渡したのはアウグスティヌスであると言っても過言ではない。アウグスティヌスが踏み出したこの一歩は運命的なものであった。なぜなら、われわれ人類はそれによって一人称という観点において大きな一歩を踏み出したからだ。デカルト以来の近現代の認識論の伝統、さらには現代文化のもとでそこに由来するすべてが、この一人称の観点を基盤に据えるようになった――常軌を逸するまでとも言えるかもしれない(同書131頁)」。
アウグスティヌスは四〜五世紀に生きた人物であるのに対し、マルクス・アウレリウスは二世紀の人物なので、アウグスティヌスよりおよそ二世紀前に生きていたことになる。さてその彼が、どの程度「内面」にコミットしていたのかはきわめて興味深いところだよね。ちなみにこの新書本は、哲学者ではなく歴史家の南川氏の本なので、やはり歴史的な側面の記述が多く、哲学的な記述のほとんどは第5章と、とりわけ第6章に見られる程度しかない。
あまり内面性とは関係がないけど、マルクス・アウレリウスはストア派的なコスモポリタニストであったという点をまず指摘しておきましょう。次のようにある(以下「マルクス」とあるところはすべて「マルクス・アウレリウス」のことであり、言うまでもなくかのカール・マルクスのことではないので念のため)。「さらにマルクスは、宇宙を一つの国家と考え、その国家の市民として生きることを善とするストア派のコスモポリタニズム(世界市民思想)を堅持して、次のようにいう。「私の属する都市と国家は、アントニヌスとしては、ローマであり、人間としては世界である。したがってこれらの都市にとって有益なことのみ私にとって善いことなのである」(23頁)」。
現在でもこの手の主張をするコスモポリタニストやグローバリストはあまたいるわけだけど、当時のマルクスがそのように主張できた理由の一つは、彼が統治していた当時のローマが覇権主義的な帝国であったからなんだろうと思う。ただこのことは内面ではなく、世界つまり外面に関する話であり、いわば内面性という話からすると筋違いなので、これに関してはそれくらいにしておきましょう。
さて内面性に関して検討すると、「第6章 苦難とともに生きること」の「マルクスとキリスト教」という節に次のようにある。「では、マルクス自身はキリスト教徒をどう思っていたのだろうか。『自省録』第一一巻に次のような記述がある。¶「たとえ今すぐにも魂が肉体から解かれ、消滅するか、分散するか、そのまま存続するか、以上三つのうちいずれかの状態に移ることになったとしても、立派に用意ができている魂とはどんな魂であろう。ただしこの準備ができているというのは、自己の内心の判断から出るべきことであって、[キリスト教徒のごとく]単なる反抗からであってはならない。それは思慮と品位とを備うべきであり、他人をも納得させようとするならば、芝居がかったところがあってはならない」(170頁)」。南川氏の説明によれば「[キリスト教徒のごとく]」という部分については、後世の挿入だとする説もあるとのこと。
たださらにそのあとで次のような記述が見られるので、南川氏自身はそれがマルクス自身の言葉であると見なしているように読める。「トラヤヌス帝の下で属州総督を務めた小プリニウスなどキリスト教徒への対応をした統治担当者は、キリスト教徒が棄教を促されても応じない「強情さ」を持ち、ひたすら殉教を望むその態度に、当惑し、呆れ、非理性的と見なした。マルクスも、キリスト教に関する特別の関心や知識を持たなかったようで、おそらく同じように感じていたと推測してよいように思われる。キリスト教徒は、『自省録』でマルクスが批判している「神々を否定する者」(第三巻一六)に含まれているかもしれない(170〜1頁)」。
キリスト教徒が「神々を否定する者」だというのは随分と面妖な話だけど、マルクスの観点からするとそうだったのでしょうね。それは次の記述でわかる。「(…)今一度確認しておきたいのは、マルクスの治世が、疫病の大流行と長く続いた戦争の時代であったということである。とくに疫病の大流行は帝国住民を極度の不安に陥れ、家族や共同体の無事・安全を願う民衆の思いはそれ以前よりも強いものであったと考えられる。その思いに添った供儀などの宗教行為をあくまでも拒否しようとするキリスト教徒に対して、民衆が強い憎悪の念を抱いたのは間違いない。マルクスは帝国住民の安寧と福祉のために努力したが、彼の行動をどのように評価するかは、観点の違いによって異なることとなろう(172頁)」。つまりマルクスは『自省録』のような本を書き、「自己の内心の判断」を重視したとしても、アウグスティヌスに代表されるキリスト教徒のように徹底した一人称的内面の重視までは至っておらず、帝国住民を安堵させるためとはいえ、供儀のような外的な力の効果を認めていたことになる。
とはいえ供儀などの外的な力を振り払って徹底した内面性を確保することは中世でさえむずかしかったのですね。それについては中世においてそのような外的な力の枠内で行動し、ヘンリー2世と対立したカンタベリー大司教のベケットと、近世においてそのような枠を超えて自己の内面性に強く依拠してヘンリー8世と対立したトマス・モアを比較してみるとよくわかる。この点について詳しく述べると長くなるので、ベケットについては映画『ベケット』に関するわがレビューを、またトマス・モアについては映画『わが命つきるとも』に関するわがレビューを参照されたい。
結論すると、マルクス・アウレリウスは、中世のベケットのようなレベルでの内面性にはすでに到達していたのかもしれないとしても、近世のトマス・モアのレベルには到達しておらず、その橋頭保は、チャールズ・テイラーが主張するように、彼より二世紀あとに生きたアウグスティヌスによって確保されたと見てよいのではないかと現時点では考えている。いずれにせよ、自己意識に関するこの問いは非常に興味深いので、また何かの機会に取り上げるつもり。
※2023年4月28日