『民族の世界地図』批判 Ver.1.01

佐藤和美

 この文書は文藝春秋から発行されている文春新書の21世紀研究会編『民族の世界地図』16刷(2001年5月15日発行)について間違い・疑問点をまとめたものである。
『地名の世界地図』は14刷(2001年12月10日発行)を使用。
『人名の世界地図』は11刷(2002年1月20日発行)を使用。
『イスラームの世界地図』は1刷(2002年1月20日発行)を使用。


全体に対して。

著者名が書かれていない。文責不明である。

全体的に推敲不足の文章である。

「イスラム教」は「イスラーム」がよい。

最近では「オスマントルコ」は「オスマン帝国」と表記する。最近の「世界史」の教科書でも見てみればいい。
『世界史事典』(旺文社)
「これまでオスマン-トルコ帝国と記述されることが多かった。しかし近年の研究で、君主(スルタン)がトルコ人でイスラーム国家だが、多民族と多宗教を包摂し、高級官僚も民族・宗教の別なく登用したところから、単にオスマン帝国と記述されるようになった。」

P72「中東」、P279「近東」、P280「中近東」、表記が一定していない。

この本には「母語」、「母国語」という言葉が出てくるが、意味を理解して使いわけているのか。


P7
「メキシコ大使館観光省」

メキシコ大使館には観光省があるのか。

P10
「グリーンランド」

「世界の国々」なのに「グリーンランド」が記されている。

P11
「植民地政策以前の人種分布
カボイド(コイサン語族)」

人種なのになぜ語族が出てくるのか。

P17
「日本民族」

P20
「日本民族」

「大和民族」という言葉があるのに、なぜわざわざ「日本民族」という言葉を使うのか。「アイヌ民族」の扱いはどうなるのか。

P17
「生物学的には、ヒトは一属一種だが、」

「ホモ・エレクトゥス」もヒトだが。
現生のヒトだけを言いたいのなら言葉がたりない。

P17
「オーストラロイド(オーストラリア人)」

ニューギニアにも「オーストラロイド」はいる。「オーストラリア人」は誤訳。
「オーストラリア」は「南の国」くらいの意味だから、「オーストラロイド」は「南の人」くらいの訳だろう。

P18
「だが今度はミクロネシアやポリネシア、ニュージーランドなど、」

「ニュージーランド」は「ポリネシア」なので不適当な表現である。

P20
「中国やギリシアとその周辺民族との関係は、文化的に優劣がはっきりしていたが、」

ギリシアとエジプト・メソポタミアで「文化的に優劣がはっきりしていた」と言えるのか。

P21-22
「「ベルベル」という名称は、前述したように、ギリシア人によるバルバロイがラテン語化したバルバルスに由来するらしい。」

根拠不明。

http://www.m-w.com/
BerBer
Etymology: Arabic Barbar

P28-29
「世宗大王」

なぜ「世宗」ではなく「世宗大王」という言葉を使っているのか。使う必要があるのか。

P29
「諺文(おんぶん)」

「オンモン」だろう。

『大辞林』
オンモン【諺文】
〔朝鮮語。「諺文」の朝鮮漢字音から〕ハングルの旧称。オンムン。ウンムン。

P29
「もともと朝鮮半島は一つの民族である。」

推敲を要する。

P32
「「大韓民国」の「韓」という呼称には、「唯一の」「最高の」「神聖の」という意味がある。これは紀元前に「馬韓」「弁韓」「辰韓」という部族名として使用され、」

「韓」という字にはそんな意味はないだろう。
「馬韓」「弁韓」「辰韓」と「唯一の」ものが三つもあったと言いたいのか。

P32
「一〇世紀の高麗」

意味不明。「一〇世紀に建国した高麗」の手抜き表現か。

P33
「北朝鮮側首相代表」

「首相代表」とはなにか

P33
「韓国民」

「韓国国民」だろう。

P34
「三十八度線を南下したことによって、」

「三十八度線を南下」はないだろう。

P35 「韓国人に「日本がまた侵略してくると思うか」と質問すると、大半の人が「そう思う」と答える。」

根拠は何か。

P39
「マヤ、インカは、ともにアメリカ大陸の代表的な古代文明である。」

アメリカ大陸は16世紀でも古代か。

P39
「マヤは、中米グァテマラ高地から低地密林にかけて、集団間のネットワークによって二千年以上も継承発展してきた。」

「二千年以上」というのはどこから出てきた数字か。

『大辞林』
マヤぶんめい【―文明】
〔Maya〕中央アメリカ、グアテマラ高地からユカタン半島にかけて栄えたマヤ族の古代文明。紀元前後に興り、四〜九世紀に全盛。トウモロコシの焼き畑農耕を基盤として神権政治を確立。巨石建造物を造り、天文・暦法・象形文字などを発達させた。

P39
「一方のインカは、南米の中央アンデスを中心に、諸民族を支配した帝国の名である。」

「インカ」は皇帝の呼称であり、帝国の名は「タワンティンスーユ」である。

P39
「この異質な二つの文明は、ともに一六世紀、スペイン人の侵略で悲劇的な結末を迎えた。」

マヤがどう「一六世紀、スペイン人の侵略で悲劇的な結末を迎えた」というのか。

P40
「ちなみに「ラテン語」は、古代ローマ帝国の共通語で、中世、ローマ教会によるキリスト教の布教とともにヨーロッパに広まった言語のことだ。」

ラテン語の定義が「中世、ローマ教会によるキリスト教の布教とともにヨーロッパに広まった言語」か。

P42
「インカの皇帝アタウアルパ」

P82
「インカ皇帝アタワルパ」

「アタワルパ」だろう。
「インカ」の意味を知らないようである。「インカ皇帝」という言い方は重言。

『大辞林』
インカ [Inca]
一五、一六世紀頃、南アメリカのアンデス地方を支配した帝国およびその皇帝・部族の総称。〔元来は太陽(インティ)の子という意味で、部族の王をさした語〕

P42
「いにしえの帝国」

十六世紀が「いにしえ」か。

P44 「アフロ・アジア語族」 P47-48
「セム・ハム語族」

「アフロ・アジア語族」に統一すべきではないか。

http://www.britannica.co.jp/search/item?m=0+1+1&rgid=003402007178
アフロ=アジア語族
アフリカ北部および隣接するアジアに約2億人以上の話し手をもつ諸言語が同系であるとして設定された語族。次の5語派から成り立つ。 (1) セム語派 東方セム語のアッカド語 (死語) ,西方セム語のヘブライ語,アラビア語,エチオピアのアムハラ語やティグリニャ語など。 (2) エジプト語派 古代エジプト語とその後裔コプト語から成るが,16世紀にアラビア語に滅ぼされた。 (3) ベルベル語派 南モロッコのシュレ語,アルジェリアのゼナ語など。 (4) クシ語派 ソマリ語,ガラ語などアフリカ北東部で話される。 (5) チャド語派 ハウサ語が代表で,共通語でもあり約 600万人。以前は (2) 〜 (4) をまとめてハム語族とし,セム語族に対立させたが,5語派対立というのが最近の考えである。なお,この語族の成立に疑いをいだく学者もある。

P44
「アメリンド(先住民族)語族」

そういう語族はないだろう。(「諸語」のつもりか。)

P46
「世界の言語は六千種」

どこから「六千」という数字が出てきたのか。

P46
「新しい道具を携えてアフリカを旅立った新人の祖先は、すでにかなりの高度な言語能力をもっていたはずだからだ。」

「新しい道具」とは何か。
「新しい道具を携えて」いたという根拠は何か。
「新しい道具を携えて」いると「かなりの高度な言語能力」をもっていることになる根拠は何か。(カラスだって道具を使う。)

P47
「なるほど、たしかにインターネットの世界では、実際には英語が標準語だ。ただし、英語を母国語とする人の割合はずっと下がる。母国語とする人口の順でみると、圧倒的に多いのは中国語、正確には北京語(標準語)で、九億人近い。次いで三億五千万人の英語、以下スペイン語、ベンガル語、ヒンディー語、ポルトガル語、ロシア語、日本語、ドイツ語、中国の呉語が、上位十言語となる。(『ナショナル・ジオグラフィックス日本語版』一九九九年八月号付録)。ただし、北京語と呉語をまとめて中国語とすれば、十番目にはアラビア語が入る。ちなみに三〇年前の統計では、ロシア語は第四位だったが、ソ連の解体で七位にまで下がっている。」

『ナショナル・ジオグラフィックス日本語版』ではなく『ナショナル・ジオグラフィック日本版』である。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/bn/199908.shtml

「母語」と「母国語」の区別がついているのか。

『大辞林』
ぼご 【母語】
(1)ある人が幼児期に周囲の大人たち(特に母親)が話すのを聞いて最初に自然に身につけた言語。

ぼこく-ご 【母国語】
自分が生まれた国や所属している国の言語。

「母国語」のことを言っているのに、「呉語」が出てくるのはなぜか。
「母語」のことを言っているのなの、ソ連が解体したからと言って、ロシア語を母語とする人が(短期間で)減るわけがない。

P48
「たとえば、日本語ですら、一般的にはアルタイ語族に属するといわれるが、系統不明であるとの説もあり、実はよく分かっていないのである。」

「一般的にはアルタイ語族に属するといわれ」ていない。一般的には「系統不明である」といわれている。

P51
「アラビア海では、夏季は南西、冬季は北西のモンスーンが自然現象としてあり、」

冬季の風が北西だというのはどこから出てきたのか。

『大辞林』
モンスーン[monsoon]
(1)アラビア海(インド洋北西部)に見られる半年交代で吹く風。夏季は南西風、冬季は北東風。

P51
「七世紀から中世にかけては、」

意味不明。どこの国・地方の中世なのか。またヨーロッパの時代区分をその他の地域に当てはめても意味はない。

P52
「新しい民族ソヴィエト人」

意味不明。

P54 図
「[アルタイ語族]
朝鮮
「日本」

なぜ「アルタイ語族」なのか。

P54 図
「バルト・スラブ語族」

「語族」は「語派」の間違いである。

P55
「ヘブライ語は、実際には、学者や聖職者によって細々と継承されていた。だが、少なくとも話し言葉としては、二千年近く忘れ去られていたのだから、やはり奇跡の復活といってもよいだろう。」

P226-227
「ユダヤ人にはヘブライ語という共通の言語があったために、どこに行っても不自由がなく、それが成功につながったというわけだ。」

矛盾している。

P57
「ラテン文字は、キリスト教とラテン語の普及にともなってヨーロッパ中に広がり、」

ヨーロッパ中がラテン文字を使っているわけではない。キリル文字の存在を無視しているのか。

P58
「オセアニアの東のかなたのイースター島」

「イースター島」は「オセアニア」の一部だが、それで「かなた」などと使っていいのか。

P59
「漢字とそれから生まれた仮名文字、そして一五世紀に創案された世界でもっとも効率的な表音文字ハングルだけが、古代の近東に発祥したアルファベットの表記体系とは、別に存在しているのである。」

「だけが」などと気軽に言わないほうがいいだろう。
とりあえずは「トンパ文字」を挙げておこう。

P60
「カスティーリャ(スペインの主要民族)」

「カスティーリャ」は民族名ではない。

『大辞林』
カスティリャ [Castilla]
スペインの中央部と北部の高原地帯。一〇世紀カスティリャ王国が成立、1479年アラゴンと合併し、スペインに統一王国をもたらした。

P61
「ヨーロッパの言葉は、次項に述べるハンガリー語とフィンランド語とエストニア語、北欧先住民サーミ(ラップ人)のサーミ語、それにバスク語を除き、ほぼすべてが印欧語族に属する。」

「ほぼ」なのか「すべて」なのか、どちらなのだ。(マルタ語は印欧語族ではないのだが。)

P63
「ハンガリー語はアジア系
ハンガリーはよく、ヨーロッパのなかのアジアなどといわれるが、東欧諸国のなかで、なぜハンガリーだけがアジアなのだろうか。」

P98
「印欧(インド・ヨーロッパ)語族とは、その名称のように特定の人種や民族を指すのではなく、共通の言語の起源をもつ言語集団の総称だ。おそらく中央アジアを故郷にもつとされるその人々は、」

印欧語族が「中央アジアを故郷にもつ」と言っておいて、それで「東欧諸国のなかでハンガリーだけがアジア」か。

P66
「アル・アクサ・モスク」

P217
「アル・アクサ・モスク」

P218
「エル・アクサ・モスク」

「アル」と言いたいのか、「エル」と言いたいのか。

P76
「基本的にイスラム教徒は、「神に絶対、服従する者」という意味で、ムスリムとよばれる。そのなかでとくに、旧ユーゴスラビアの「ムスリム(英語ではモスレム)」、フィリピンの「モロ人」や中国の「回族」は、そのまま民族名として定着している。」

「モロ人」の語源が「ムスリム」だという根拠はなにか。

http://www.m-w.com/
moro
Etymology: Spanish, literally, Moor, from Latin Maurus

「回族」は「ムスリム」という言葉とは無関係である。

「神に絶対、服従する者」は読点の使い方が変。

P77
「もともと、六〜七世紀にかけて旧ユーゴスラビア地域に移住したセルビア人とクロアチア人は東方正教会、カトリックを信仰していた。」

「六〜七世紀」の時点で、「東方正教会、カトリック」に分けられるのか。またその両方を信仰していたというのか。

P78
「やがてスペインは、フィリピンの人々をカトリックに改宗させる政策を進めたが、南部のイスラム教徒が頑なにイスラム信仰を維持したので、」

「イスラム信仰を維持」すると「頑な」なのか。「カトリックに改宗」すると「頑な」でないのか。

P78
「そこにはマレーシア、リビアから資金や武器が流れ込むなど、周辺国の思惑も入り乱れている。」

リビアは遥かかなたの国で「周辺国」ではない。

P79-80
「ローマ人はギリシア人やエトルリア人の神々を、ゼウスをユピテル(英語でジュピター)とよび変えるなどして、ほぼそのまま受け継いだ。」

「よび変え」たのではなく、当てはめたのである。

P86図
「カシュミール」

「カシミール」だろう。

P88
「一七七四年、キャプテン・クックが発見したことにはじまり、」

「発見」を使用している。

P91
「カンボジアはあるバラモン僧の名カプチャに由来し、」

『地名の世界地図』P265
「建国したインドのバラモン僧カンプー、ジャはその子孫たちを意味するといわれている。」

矛盾している。

P91
「ミャンマーはバラモン教の最高原理「清浄」に由来するといわれる。」

『地名の世界地図』P273
「ビルマ語でミャンマー myanma「強い人」。サンスクリット語のムランマ mranma「強い」に由来する。」

矛盾している。

P92
「スリランカの主要民族は、前五世紀頃にインド北部から侵入してきたアーリア系のシンハラ人で、」

『地名の世界地図』P267
「スリランカ民主社会主義共和国 前六世紀にインド北部からシンハラ人が侵入して支配。」

「前五世紀」なのか、「前六世紀」なのか。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/srilanka/data.html
「紀元前483年 ヴィジャヤ王子(シンハラ族の祖といわれる)スリランカ上陸シンハラ王朝建設 」

P93
「ちなみにタミル語は、言語学者の大野晋氏が日本語の起源との説を唱えている。」

大野晋は「言語学者」ではなく「国語学者」だろう。
推敲を要する。

P94
「キリスト教というとカトリックとプロテスタントが一般的だが、」

「ギリシア正教」は「一般的」ではないのか。

P98
「印欧(インド・ヨーロッパ)語族とは、(中略)おそらく中央アジアを故郷にもつとされるその人々は、欧米人に代表されるコーカソイドの祖と考えられ、その動きと重なるアーリア人が彼らだとする考えも根強くある。」

印欧語族の故郷が中央アジアだと決まっているわけではない。
人種(コーカソイド)と語族(インド・ヨーロッパ語族)は区別して考えるべきである。
「その動き」とはどの動き。
「彼ら」とは誰か。
指示詞・代名詞の使い方がいいかげんである。
「アーリア人」をどういう意味で使っているのか。

P98
「ペルシアから改名したイランの国名には「高貴なアーリア人」の意味があり、」

「アーリア」の意味は『地名の世界地図』P162にはこうある。
「サンスクリット語で aria,arya(高貴な・偉大な)という意味である。」
「高貴なアーリア人」とは何を考えて訳しているのか。

P101
「ヒッタイトは『旧約聖書』にヘテ人と記載されている最古の印欧語族である。」

「最古の印欧語族」とはどういう意味か。

P102
「さて、エジプトを吸収したローマ帝国にも終焉が訪れる。そのきっかけとなったのが、有名な、四世紀のゲルマン民族大移動である。」

これは「西ローマ帝国」のことか。

P104
「前五世紀以降は、ブリタニア、イングランド、アイルランド、スコットランド、北イタリア、ドイツの一部へと移住した。」

「ブリタニア」があるのに、なぜ「イングランド」、「スコットランド」もあるのか。

P104
「「大陸のケルト」は東端を小アジア、ボヘミア、西端をガリア、イベリア半島とする広い範囲にその痕跡がみられる。」

東端が小アジアなら、ボヘミアは東端ではない。西端がイベリア半島なら、ガリアは西端ではない。

P108
「「ベドウィン」という言葉も、「町ではないところに住む人」という意味のバドウという語のフランス語訛だといわれている。」

『地名の世界地図』P267
「シリア沙漠はアラビア語では、バーディア「草地性の沙漠」とよばれ、そこに住む遊牧民は「バダウィ」、のちにこれが訛って「ベドウィン」という名称が生まれたという。」

矛盾している。

P110
「それは土着の言葉で「石の家々」を意味する「ジンバブウェ」とよばれていた。」

『地名の世界地図』P283
「ジンバブウェ(中略)ショナ語で「石の家」。」

「ジンバブウェ」は「石の家々」だと言いたいのか、「石の家」だと言いたいのか。

P110
「そのため彼らは、大ジンバブウェ遺跡を『旧約聖書』の「列王紀」に記された、金や香木を産出する豊かな国オフェールの遺跡だ、と発表した。」

「列王紀」ではなく「列王記上」である。
新共同訳聖書では「オフィル」である。

新共同訳『列王記上』10-11
「また、オフィルから金を積んで来たヒラムの船団は、オフィルから極めて大量の白檀や宝石を運んで来た。」

P112
「ソマリアの国名は、ヌビア語(スーダン)の「ソマリ(黒)」、あるいはアムハラ語(エチオピア)の「ゾンマ(家畜をもつ人)」に由来するといわれている。」

『地名の世界地図』P188
「ヌビア人の言葉でさらに「黒い人の国」とよばれていた所もある。それがソマリアである。ヌビア語のソマリ(黒い)に由来するといわれているが、一説では、土着のアムハラ語のゾムマ(家畜をもつ人)に由来するともいわれている。」

『地名の世界地図』P285
「語義はヌビア語のソマリsomali「黒い」に由来するといわれている。」

「ゾンマ」か「ゾムマ」か。
アムハラ語とは「エチオピア」の言葉なのか、「土着」の言葉なのか。
「あるいは」と「一説では」では説の重さがだいぶ違うが。
『地名の世界地図』P285には「ゾンマ」説が書かれていない。この説はどうでもいい説なのか。

P113
「香料(乳香、没薬、黒檀)」

「黒檀」は「白檀」の間違いか。

『大辞林』
こくたん【黒檀】
(1)カキノキ科の常緑大高木。インド原産。葉は長楕円形で、革質。雌雄異花を同株につける。花は白色でカキの花に似る。心材は黒色で堅く、光沢があり、唐木の一種として家具・装飾材・細工物などにする。烏木(うぼく)。烏文木(うぶんぼく)。
(2)材が(1)に似た熱帯産のカキノキ属の樹木の通称。

びゃくだん【白檀】
ビャクダン科の半寄生常緑高木。インドから東南アジアにかけて産し、約二〇種がある。心材は淡黄色で堅く芳香があり、仏像や扇の材として珍重される。細片は香にし、また白檀油を得る。〔「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」の栴檀は白檀のこと〕

P114
「ソマリアが欧米列強の都合に振り回されることになったのは、一八八七年、ソマリアにイギリスが侵攻し、北部を保護領としたことにはじまる。八九年には、イタリアが南部を保護領とした。」

『地名の世界地図』P285
「ソマリア民主共和国(中略)一八八七年、北部がイギリス領、一九〇八年、南部がイタリア領に。」

イタリア領になったのは「一八八九年」、「一九〇八年」どっちなのか。

P118
「フェニキア人の活動にかげりがさした前一、二世紀からおよそ千年の後、ヨーロッパのはるか北方ではノルマン人が得意の航海術を駆使して、おもに大西洋を舞台に移動、進出を繰り返す。」

ポエニ戦争が終わったのは前146年である。「かげりがさした前一、二世紀」というのはどこから出てきたのか。
「おもに大西洋を舞台に」というのはどこからでてきたのか。

ポエニせんそう【―戦争】
ポエニ(Poeni)はラテン語でフェニキア人の意〕ローマと、フェニキア人の植民市カルタゴとの三回にわたる戦争。第一次(前264-前241)、ローマがシチリアからカルタゴ勢力を駆逐、属州とする。第二次(前218-前201)、カルタゴの将ハンニバルがアルプスを越えてイタリア半島に侵入し、カンネーの戦いなどに勝利したが、ザマの戦いで大スキピオに敗れる。第三次(前149-前146)、ローマの小スキピオがカルタゴを包囲、壊滅させた。

P119
「こうした説を裏付けるのが、アウトリガー・カヌーである。アウトリガーとは、カヌーがひっくり返らないように片側または両側に取りつける浮材のことで、その分布はオセアニア、フィリピン、インドネシア、南インド、スリランカ、そしてマダガスカルなど、アウストロネシア語族と分類される人々の広がりとみごとに重なり合う。」

「アウストロネシア語族」は南インド、スリランカには分布していない。

P120
「ジプシーの語源はエジプシャンで、」

「エジプシャン」は英語の「Egyptian」(エジプト人)のつもりか。
英語の「Egyptian」の発音は「エジプシャン」ではない。
なぜ「エジプト人」と書かないのか

P125
「世紀末」

「二〇世紀末」だろう。

P139
「イオマンテ」

「イヨマンテ」が正しい。

P139
「「アイヌ・ネノ・アンアイヌ」(人間・らしく・ある人間)」

「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ」(人間・らしく・ある・人間)

P140
「日本史の文献の中でアイヌと考えられる名があらわれるのは、七世紀からである。しかし本格的な接触は、江戸時代に松前藩が北海道に入ってからだ。」

コシャマインを知らないのか。
松前藩が北海道に入ったのは江戸時代ではないだろう。

『大辞林』
コシャマインのたたかい【―の戦い】
1457年、北海道渡島半島でおきたアイヌ民族の蜂起。前年の和人によるアイヌ青年の殺害に端を発し、東部アイヌの首長コシャマインに率いられたアイヌ民族は和人館を襲撃したが武田信広指揮の和人軍により鎮圧された。コシャマインの蜂起。

まつまえ【松前】
北海道渡島(おしま)半島南端にある町。一五世紀半ばに武田信広がこの地を平定、五代慶広が福山城を築き、松前氏を称して城下町とした。江戸時代、蝦夷(えぞ)地経営の中心地。

P142
「今日、彼らの文化を守り、ユーカラ(詞曲)などの口承文学や、研究者が記録したアイヌ文学をもとにして、文化を復元しようとの動きがあるが、文字記録がないうえに、一度忘れられ、失われた言葉、文化を復元することは難しい。」

「研究者が記録したアイヌ文学」があることにふれていながら、なぜ「文字記録がない」などと書くのか。
アイヌ語は「失われた言葉」ではない。萱野茂氏のようにアイヌ語を母語とする人もいる。

P148
「馬はもともとアメリカにはいなかったのである。」

アメリカに馬がいなかったわけではない。絶滅しただけである。

http://city.hokkai.or.jp/~uma/horse/stage.html
 ウマ属の始祖は約5500万年前で、アメリカとメキシコで第三紀層の始新世の下層で発見された「エオヒップス」といわれ、体高は25〜50cmくらいで前肢は4本指、後肢の趾は3本で、キツネくらいの大きさといわれている。
 その後、体高の増長と趾の一本化の進化が進み、現代の馬の祖先「エクウス」が出現したのは約500万年前の鮮新世の後期とされている。
このエクウスが洪積期にアメリカ大陸からヨーロッパ、アジア大陸に分布し、沖積期の氷河から逃れたヨーロッパ南部の生存種が、その後各地方の気候風土により特徴づけられ数多くの種や品種がつくられた。

P159
「正式にはエチオピア連邦民主共和国。国名は、ギリシア人がサハラ砂漠以南のアフリカについて、漠然と「アイトスオポスィア(日に焼けた土地の人々)」とよんでいたことに由来する。」

『地名の世界地図』P188
「エチオピアEthiopiaは、ギリシア語のaitos(日に焼けた)とops(顔)と地名接尾辞の-iaからなる。アフリカが「スーダン」とよばれる以前、古代ギリシア人がサハラ沙漠以南を漠然とエチオピア(アイトスオプシア)とよんでいた歴史がある。」

『地名の世界地図』P279
「エチオピア連邦民主共和国()ギリシア語のaitos「日に焼けた」とops「顔」に地名接尾辞の-iaからなる。古代ギリシア人はサハラ沙漠以南を漠然とエチオピア(アイトスオポス)とよんでいた。」

「アイトスオポスィア」、「アイトスオプシア」、「アイトスオポス」のどれが正しいと主張したいのか。
「日に焼けた」+「顔」+「地名接尾辞」では「日に焼けた土地の人々」にはならない。

P160
「伝説では、前一〇〇〇年頃、シバの女王とイスラエルのソロモン王とのあいだに生まれたメネリク一世がエチオピア王国を興したとされている。」

「前一〇〇〇年頃」というのは、どこから出てきたのか。

『大辞林』
ソロモン [Solomon]
イスラエル王国三代目の王。ダビデの子。在位は紀元前一〇世紀頃。知恵にすぐれた王として知られ、王国の未曾有の繁栄を築き、エルサレム神殿の建設などを行なったが、他方国民の不満を招き、死後南北に王国は分裂。

P160
「五〜七世紀にはエチオピア固有の文字ゲエズ語が発明され、」

「文字」と「言語」の区別がついてない。

P165-166
「スロベニア(スラブ人の地の意)は、一三世紀にハプスブルク帝国の支配下に入って以来、民族文化をめぐってオーストリア政府との対立もあったが、一八世紀にはその対立も緩んだ。」

「一八世紀にはその対立も緩んだ」の根拠は何か。

『世界史事典』(旺文社)
スロヴェニア
「13世紀後半からはオーストリアのハプスブルク家に統治されることとなった。18世紀後半、ヨーゼフ2世によってスロヴェニア語による教育が禁止されたが、1860年ころからスロヴェニア語を守る教会がつくられ、民族主義運動も開始された。」

P166図
「ボイボジナ」
「自治州」という言葉が抜けている。

P167
「これをきっかけに、第一次世界大戦が勃発し、戦後の一九一八年に「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人の王国」が誕生した。」

『地名の世界地図』P241
「クロアチア共和国(中略)一九一八年、ユーゴスラビアの前身クロアート・スロベーン連合王国に参加。」

『地名の世界地図』P243
「スロベニア共和国(中略)一九一八年、ユーゴスラビアの前身クロアート・スロベーン連合王国に参加。」

「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人の王国」なのか「クロアチア人・スロベニア人の王国」なのか。矛盾している。

P168
「独立でセルビアから分離させられることになったセルビア人がそれに反対して蜂起し、」

「セルビア」ではなく、「ユーゴスラビア」だろう。

P169
「その後ムスリムが、セルビアの領土を」

「セルビア」ではなく、「セルビア人」だろう。

P170
「また最南端のマケドニアでは、二〇〇〇年半ばになって戻りはじめているというが、」

何の最南端だと言いたいのか。
何が戻りはじめていると言いたいのか。

P171
「数百年におよぶ対立の発端は、イングランド王国による度重なるアイルランド侵攻にある。」

「発端」が「度重なる」では矛盾している。

P171
「プロテスタント(英国国教会)」

「英国国教会」は「プロテスタント」なのか。

P171
「一九世紀前半のアイルランドは社会全体としてはかなり落ちついていた。ところが一八四五年から五年間、空前の大飢饉が起こる。」

五年間なのか。

『世界史辞典』(旺文社)
「ジャガイモ飢饉 アイルランドで1845年9月から49年5月まで続いた大飢饉」

P175
「現在のクルド人は、さらにアッシリア、アラブ、トルコ、モンゴルなどの民族の侵入を経験し、それらの民族との混血があったとも考えられている。」

「アッシリア」は民族名ではない。

P176
「しかし、この広大なアイユーブ朝では、クルド人は軍人として力をもっていただけで、政治面までは占有することができなかった(〜一二五〇年)。」

「一二五〇年」が何の年なのか説明されていない。

P179
「ロシアはコンスタンティノープルを目指して黒海からカフカースへと進出をはじめたが、」

コンスタンティノープルを目指すのなら、黒海からカフカースへは行かない。

P183
「アルメニアとは、古(いにしえ)の族長アラムの名に由来する。」

『地名の世界地図』P252
「もともとアルメニア人はハイ族といい、伝説では、前一九世紀頃、カスピ海南沿岸に住んでいた。このなかから、英雄アルメネケArmenakeが一族を率いて独立し、アルメニア族を名乗ったといわれている。」

矛盾している。族長の名は「アラム」と言いたいのか、「アルメネケ」と言いたいのか。

P193
「「スーダン」とはアラビア語で「黒い人の国」を指す語の「黒い」だけが残った名称で、」

『地名の世界地図』P283
「スーダンとは、アラビア語で「黒い人」を意味する。」

「スーダン」の意味は「黒い」と言いたいのか、「黒い人」と言いたいのか。

P194
「いまスーダンの人口の七、八割を北部のアラブ系が占め、残りが黒人の諸民族、キリスト教徒とアニミストなのだが、そういうわけで北部の住民がみなセム語系の「アラブ人」であるとはいえない。」

文意をくみ取りにくい文章である。
説明もなく「アニミスト」などという言葉を使っていいのか。

P206
「北アラブが記録にあらわれるのは、前八五四年、アッシリアの戦争を記録した碑文で、その後、ヘレニズム時代(前三三四年のアレクサンドロス大王の東征から前三〇年のローマのエジプト併合まで)には、隊商都市として有名なパルミラ王国(現在のシリア)やナバテア王国(現在のヨルダンのペトラ)を建設し、交易の中継地として栄えた。」

パルミラ王国はヘレニズム時代ではない。

『大辞林』
パルミュラ [Palmyra]
シリアにある都市遺跡。一〜三世紀頃、東西通商のオアシス都市として栄えた。古代ローマ建築に似た遺構が残る。パルミラ。

P206
「クライシュ族(現在のサウジアラビアのメッカ)」

意味不明。

P207
「やがてアラブは、アラビア半島を出て、大規模な侵攻をおこない、六六一年のウマイヤ朝から一九二二年まで続いたオスマントルコ帝国まで、強大な支配者として君臨することになった。」

オスマン帝国(の皇帝)はアラブではない。

P214
「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地だが、」

ユダヤ教はいつから三大宗教の仲間入りをしたのか。

P217
「アル・アクサ・モスクの建つ神殿の丘(上)と内部(下)イスラム教では、ここでムハンマドが昇天したとされている」

ムハンマドが昇天したとされているのは岩のドームのはずだが。

P218
「エデンの園を逐われたアダムとエバはカインとアベルをもうけた。やがて、カインがアベルを殺し、その子孫のなかからノアの家族が選ばれ、」

「その子孫」の「その」とは誰を指しているのか。カインか、アベルか。(この文章で「その」が「アダムとエバ」を指すとはビックリである。)

P219
「ところがアブラハムの家族は、神から土地を示されたのに、おそらく『聖書』の記述からすると前二〇世紀頃、飢饉が起こったからといって、豊かなエジプトへ逃れる。」

『聖書』は「歴史書」で、『聖書』に書いてあることは全て歴史的事実だと言いたいのか。それで「前二〇世紀頃」に起こったということまでわかるのか。

P219
「ここで神はイサクと契約を結び、イシュマエルについては「わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は一二人の首長の父となろう」(創世記、17・20)とした。」

この後の『創世記 17・21』にはこうある。
「しかし、わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」
つまり『創世記 17・20』の時点ではイサクは産まれていないので、当然のことながらイサクの契約は結ばれていないのである。

P219
「さて、イサクの子ヤコブのとき、神はヤコブにあらわれて「お前は神と人と闘って勝った」(創世記32・28〜29)から「イスラエル」(神の戦士)とよぶ、そして子孫は増え、ひとつの国民になるだろうと言った。「イスラエル」という呼称は、このときにはじまったのである。」

新共同訳『創世記』32-28〜29
「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

ここには「子孫は増え、ひとつの国民になるだろう」などという言葉は見当たらない。しかし、他の箇所にこうある。

新共同訳『創世記』(35-11)
「神は、また彼に言われた。
「わたしは全能の神である。
産めよ、増やせよ。
あなたから
  一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり
あなたの腰から王たちが出る。」

つまり『民族の世界地図』の記述は『創世記』の二つの離れた箇所の記述を勝手に編集して、一箇所かのごとく見せかけているのである。

なぜ「イスラエル」の訳が「神の戦士」なのか。『地名の世界地図』のオビでは「神と戦う者」だが。

P221
「ユダヤ人が世界中で、とくにヨーロッパで嫌われてきたということも事実なのだ。」

ユダヤ人が世界中で嫌われてきたという根拠は何か。

P222-223
「ところが、ユダヤ教の場合は「契約の民」「選ばれた民」が宗教を独占し、強い民族アイデンティティをもっているがために、ユダヤ以外の人々が反発するのだ。もちろん、ユダヤ教徒が閉鎖的になった要因には迫害の歴史があるが、当然、特定の人たちだけが優遇されるとなると、そこに羨望と嫉妬の感情が起こる。」

意味不明。どこまでが事実なのか。

P223
「ローマ帝国ではキリスト教が国教化され、当時のローマ帝国の版図だったヨーロッパに広まった。そうなると、ローマ帝国内に暮らしていたユダヤ人に対しては、キリスト教徒との婚姻を禁じ、キリスト教徒の奴隷をもつことが許されなくなった。六世紀には、土地をもつことも禁じられるなど、すべての権利が奪われた。」

六世紀はローマ帝国分裂後で、すでに西ローマ帝国はない。「土地をもつことも禁じ」たのはどこの国だと言いたいのか。
「すべての権利」などという言い方をしていいのか。

P225
「一三世紀の初期まで、スペインはイスラム教の国だった。」

何のことを言っているのか。
スペインの成立は一四七九年だが。
レコンキスタは終了していない。

『大辞林』
レコンキスタ[(スペイン) Reconquista]
イスラム教徒に占領されたイベリア半島をキリスト教徒の手に奪回する運動。711年のイスラム侵入後から、1492年のグラナダ開城まで続いた。この過程でポルトガル・スペイン両国家が成立した。国土回復戦争。

P225
「しかし、スペインがキリスト教国となって約一世紀、一四世紀には、」

何のことを言っているのか。
スペインの成立は一四七九年だが。
レコンキスタは終了していない。

P226
「そして一五世紀末には、スペインの完全カトリック化によって、」

これはレコンキスタの完了のことを言っているのだろうが、「スペイン」という言葉を使っているのは不適切である。「イベリア半島」などとすべきである。

P233
「古代のレバノンはフェニキア人の国だった。」

「国」という言い方は不適切。

P233
「レバノンの「白」に対して、フェニキアは「深紅(不死(フェニックス)の鶏冠の色)」という色名であるところが面白い。」

『地名の世界地図』P12
「フェニキアPhoeniciaの語源は明らかではない。古代エジプト語で、ケペニィあるいはケベンとよばれていたものが、ギリシア、ローマと経るにしたがって転訛し、ラテン語の地名接尾時-iaがつけられてフェニキアになったと考えられている。」

矛盾している。フェニキアの語源は「深紅」なのか、それとも「不明」なのか。

P234
「アルファベットの起源とされるフェニキア文字」

P57の図「文字の伝播経路」では「古代エジプト」→「シナイ」→「カナ−ン」→「フェニキア」となっているが、それでフェニキア文字が「起源」と言えるのか。「起源」の意味を知っているのか。

『大辞林』
きげん【起源・起原】
物事の起こるもと。起こり。根源。始まり。「人類の―を探る」「地名の―」

P235
「第一次世界大戦でオスマントルコ帝国が崩壊すると、レバノン、シリアはフランスの委任統治領となるが、」

「オスマントルコ帝国が崩壊すると」ではなく、「オスマン帝国が敗北すると」だろう。

『大辞林』
だいいち-じせかいたいせん 【第一次世界大戦】
三国同盟(独・墺・伊)と三国協商(英・仏・露)との間の帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界戦争。1914年6月のサラエボ事件が発端となり、ドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリアなどの同盟国と、イギリス・フランス・ロシア・日本・アメリカおよび三国同盟を破棄したイタリアなどの連合国とが対戦。18年11月ドイツの降伏で同盟国側が敗北し、翌年パリ講和会議でベルサイユ条約が締結された。第一次大戦。

『世界史事典』(旺文社)
シリア
「1920年フランスの委任統治を受け、」

『世界史事典』(旺文社)
レバノン
「第一次世界大戦後の1920年、シリアの一部としてフランスの委任統治領となったが、」

『世界史事典』(旺文社)
オスマン帝国
「22年(中略)同年スルタン制が廃止され、600年以上にわたるオスマン帝国はここに滅亡した。」

P235
「国内はフランスの支援を受け、」

どこの国内なのか。

P238-239
「『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラの「オハラ」は「賢明なアイルランド人の末裔」という意味がある。」

『人名の世界地図』P278
「オハラO'Hara(姓)「ハラ」の息子。ハラは「苦い、鋭い」という意味。」

矛盾している。

P241
「黒人に対する侮蔑語サンボ(ザンボという奴隷制時代、黒人の出身地として有名だったザンビアに由来)」

『人名の世界地図』P271
「この言葉のもともとの由来は、スペインが植民地としていた西アフリカ地方にあると考えられている。それは、セネガル・フラニ語のサンボSambo(叔父さん)、北ナイジェリア・ハウサ語のサンボSambo(二番目の息子につける名前)、そしてコンゴ語のンザブNzambu(サル)にあるのではないかと考えられている。これらはいずれも、黒人たちが使っていた言葉だった。
 しかし「サンボ」のルーツについては諸説があり、決定的なものがまだないというのが正直なところである。」

矛盾している。

P256
「ジンギスカン」

今どき、なかなか見られない表記である。

P275-6
「バッグパイプ」

一般的には「バグパイプ」である。

P276
「日本では、尺八はむろんのこと、能管、龍笛、篠笛など、各種の横笛はみな竹で作られる。」

尺八は横笛か。

P280
「しかし、南部の農村部などでは黒い布をかぶり、」

どこの南部なのか不明である。

P282
「女子割礼(外性器切除後に膣の一部を残し封鎖する陰部封鎖)」

女子割礼の説明はこれでいいのか。

http://www2.neweb.ne.jp/wd/waaf/guideto.htm
「長い間秘密の儀式とされ、アフリカ、中近東、アジアの一部などで行われてきたFGM(Female Genital Mutilation)=女性性器切除。」
「内容は、地域や部族によって異なるが、主に3種類の形態がある。一つは、クリトリスの包皮に切り込みを入れる、あるいはクリトリスの一部または全部を切り取るというもので、FGM全体から見るとこのタイプの実施率はわずか5%である。
最も 多く行われているタイプは、クリトリスと小陰唇の一部または全部の切除である。
次に多いのが、クリトリスと小陰唇を切除し、尿と経血のために小さな穴を一つ残して大陰唇を縫い合わせてしまうというものである。」

P283
「しかし、冷静に紀元0年がどこに設定されたかを思い返してみると、」

「紀元0年」は存在しない。1年の前は前1年である。

P283
「旧暦(陰暦)」

「陰暦」ではなく「太陰太陽暦」である。

P284
「ホメイニ師は当初、国王によって追放され、トルコ、イラク、そしてフランスに亡命しており、イスラム暦で一四〇〇年にあたる西暦一九七九年に帰国した。」

P285
「一九八一年、この年はイスラム暦では一五世紀の最初の年、一四〇一年にあたる。」

イスラーム暦一四〇〇年 → 西暦一九七九年
イスラーム暦一四〇一年 → 西暦一九八一年
それでは西暦一九八〇年はイスラーム暦の何年なのか。

『イスラームの世界地図』P29によれば、 イスラーム暦一三九九年一月一日 → 西暦一九七八年一二年二日
イスラーム暦一四〇〇年一月一日 → 西暦一九七九年一一年二一日
イスラーム暦一四〇一年一月一日 → 西暦一九八〇年一一年九日
イスラーム暦一四〇二年一月一日 → 西暦一九八一年一〇年三〇日

『イスラームの世界地図』P116
「一月早々、国王はアメリカの勧めによって国外に退去。入れ替わりにフランスから帰国したホメイニ師を国民は歓迎し、」

ホメイニ師が帰国したのはイスラーム暦一三九九年ということになる。それを知っていて「イスラム暦で一四〇〇年にあたる西暦一九七九年に帰国した。」などと書いているのか。
「一九八一年、この年はイスラム暦では一五世紀の最初の年、一四〇一年にあたる。」これも推敲の必要があるだろう。

『イスラームの世界地図』P116
「そして、アラブ、イスラーム世界にとって新しい百年のはじまりである一九七九年を迎える。」

「一九八一年、この年はイスラム暦では一五世紀の最初の年、一四〇一年にあたる。」と矛盾する記述である。

(2003・1・13)


(参考)
 辻本武さんのホームページ『「歴史と国家」雑考』の『間違いの多い本』に、『民族の世界地図』の韓国・朝鮮関連の批判が掲載されている。


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