第37題 間違いの多い本

 

 民族問題には以前から興味があったので、文芸春秋から出版されている『民族の世界地図』(文春新書 21世紀研究会編 平成12年5月)を購入し、読んでみた。私の最も関心のある韓国・朝鮮問題のところで、間違いや疑問が多いことにすぐに気がついた。編者はグループ名で、各章・各節の執筆者の具体名が記されていないが、一流出版社の本であるから、それなりの専門家であろう。しかし間違いや疑問が多いのは困ったことであるし、今なお本屋に並べられていることはもっと困ったことである。

逆に言うと、韓国・朝鮮の問題はイデオロギーに基づく様々な運動のためにかなり歪められて宣伝されたため、客観的事実を冷静に分析する専門家の力が小さいことを意味しているのではなかろうか。

 

(間違いの記述)

「『大韓民国』の『韓』という呼称には『唯一の』『最高の』『神聖の』という意味がある。」(32頁)

 

朝鮮語の固有語の「ハン」は、一つという意味の「ハナ」の形容詞形である。例えば「ハン マリ」は一匹、「ハン ヘ」は一年という意味になる。ここからさらに「唯一の」あるいは「最高の」という意味にも使われることがある。

「韓」の朝鮮語の読み方は同じ「ハン」であるが、これは偶然にそういう読み方になっただけで、この漢字に「唯一の」等々の意味は全くないし、従って誤りである。同じように「ハン」と読む漢字は、漢、閑、限、恨、寒など多くあるが、そのような意味はない。 

読み方が同じだから意味も同じとは乱暴である。これでは単なる語呂合わせだ。

 

 

「韓国では、李承晩政権以来、今まで、慶尚道出身者が代々政権の座についてきた。」(32頁)

 

 初代大統領の李承晩は黄海道出身。その次は1960年四月革命後の張勉政権(大統領は尹潽善大統領)であるが、張勉は京畿道、尹潽善は忠清道出身である。1961年クーデターによる朴正熙政権以降が慶尚道出身である。

 

 

「在日韓国・朝鮮人の多くは、植民地時代に日本に渡ってきた。当時は、炭鉱、鉱山、土木労働などに従事し、非常に貧しい生活をする者が多く、日本人から『第三国民』として差別を受けてきた。」(37頁)

 

 在日朝鮮人を「第三国人」と呼んだのは戦後である。戦前・戦中の植民地時代に「第三国民」と呼んだというのは、あり得ないことである。

 

 

「在日は一、二世は母国で生まれているが、三、四世になると日本で生まれ…」(38頁)

 

 母国生まれが一世で、二世以降が日本生まれである。母国生まれの在日二世というのは明らかな誤りであるが、こんな間違いに気付かない周囲の人も問題がある。

 

 

「ソフトバンクの孫正義のように、韓国人でもなく日本人でもない、国際人として世界を股にかけて活躍する人が出現しはじめている」(38頁)

 

 孫正義はかつて韓国籍であったが、現在は帰化して日本国籍となっている。従って彼は日本人として世界を股にかけて活躍しているのである。従って「日本人でもない」は誤りである。

 

 

「『朝鮮』『朝鮮人』というと、現代日本では差別語のように扱われているが、これは朝鮮人が日本人より貧乏だったり、人がやりたがらない仕事をして差別されていた植民地時代の残滓であると考えられる。」(31頁)

 

 鄭大均著『韓国のイメージ』(中公新書 1995)では、日本人の朝鮮への差別意識は戦前ではそれほどではなく、戦後急速に悪化したことを立証している。つまり「朝鮮」「朝鮮人」が差別語のように扱われたのは植民地時代の残滓ではなく、戦後に形成されたものである。

 

 

「日本の敗戦によって日本国籍を剥奪されて以来…」(37頁)

 

「剥奪」というのは「無理に取り上げること」という意味である。

当時の在日朝鮮人は、我々は敗戦国民の日本人ではない、解放された民族だ、という考えであった。また1948年に成立した韓国政府や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も、在日朝鮮人は我が国の国民であるという考えであった。

つまり在日朝鮮人が日本国籍を離れたのは、自らの意思であり、同時に本国政府の意思でもあったのである。従って「剥奪」は事実に反する表現である。

 

(疑問な記述)

「朝鮮半島の文化は、約五〇万年前の旧石器時代からはじまり…」(28頁)

 

 この旧石器時代の遺跡は、北朝鮮の平壌近郊の黒隅里遺跡と思われる。北朝鮮の考古学の研究水準は四千数百年前に朝鮮を建国したという神話上の人物である檀君の遺骨を発見したというぐらいだから、眉に唾をつけなければならないものである。

ただし旧石器については、日本でも捏造事件があったので偉そうなことは言えない。

 

 

「吏読は民衆にとって非常に難解だったために、世宗大王は、広く人々が使用できるように言文一致である『訓民正音』を制定した。」(29頁)

 

 ハングル(訓民正音)制定の動機が「吏読が民衆に難解であったから」というのは初耳。こんな資料が発見されたのであろうか。どうも信じられない。

 ところで言文一致とは、文章の言葉使いを文語体ではなく口語体に一致することである。表音文字のハングルが「言文一致」であるとは、言葉の意味を取り違えている。そのうちにひらかな、カタカナやローマ字は言文一致だと言い出しかねない。明治初期に言文一致運動を行なった二葉亭四迷や尾崎紅葉らが嘆くことであろう。

 周りの人が気付かなかったということも信じられない。

 

 

「日本のなかでも在日韓国・朝鮮人が故郷の出身地ごとに固まって住んでいる」(32頁)

 

 日本国内には朝鮮人集住地区(いわゆる朝鮮部落)はかなりの数があるが、故郷の出身地ごとに固まっているというのは聞いたことがない。

 戦前・戦中に日本で土建業や小さな工場を営んだ朝鮮人が、故郷の出身地に行って労働者を募集する話は何回か聞いたことがある。この労働者たちは飯場(現在風に言うと寄宿舎あるいはタコ部屋)に住むことになるから、それぞれの飯場で出身地ごとに固まる傾向になる。しかし地域として固まることはない。

 

 

「親族の距離は、日本では『親等』で数えられるが、朝鮮では『寸』である。…現在でも十寸、十二寸くらいまでは、近い親戚として考えられている。」(33頁)

 

在日の著作家の尹学準氏は「本家に後継ぎがない場合…子宝の少ない家では皮肉なことに分家さえないことが多い。だからいきなり遠い親戚からでも養子を迎えなければならないはめになる。朝鮮に『七寸を養子に乞うごとく』という言葉がある。無理難題を承知で必死に頼み込むときのたとえで使う言葉だが、」(亜紀書房『韓国両班騒動記』113114頁)と書いてある。つまり諺では、七寸はもう遠い親戚なのである。

一方、この著者は同じ本のなかで「朝鮮では十親等以内はすべて身内(チバン)であり、一つの家族である。その理由は『同高祖八寸』だからである。…朝鮮の身内意識はすさまじい。たとえば十親等以内で一人でも出世すると、身内の者は当然そのお陰をこうむるものだと思っている。」(162頁)と書いている。

これは矛盾しているというよりも、親戚が遠いのか近いのかはその場に応じてかなり主観的なものであることを示している。

 

 

「朝鮮は、歴史的に、古くは中国の歴代王朝、近代には西欧や日本の侵略に、長い間抵抗してきたという歴史をもっている。」(30頁)

「朝鮮半島の住民は、近代以前は、主に中国と主従関係にあり、一番深い親しい国であった。」(39頁)

 

朝鮮は中国に侵略されて抵抗してきたはずが、その中国がいつのまにか「一番深い親しい国」となっている。侵略して主従関係を結べば、抵抗したことなど忘れて、親しみをもってくれる民族ということなのだろうか。どうも理解しかねる記述である。

 

 

「日本に、現在約六十七万人が居住している在日韓国・朝鮮人…」(37頁)

 

「在日韓国・朝鮮人」というのは、植民地時代に朝鮮籍を有し、戦後も引き続き日本に居住する韓国・朝鮮籍の人々及びその子孫という意味で使うのが普通である。この場合の彼らの人口は、ちょっと古い数字になるが548968人(1996年末の法務省統計)である。現在は毎年1万人が帰化していることから、約50万人と推測される。

 また韓国・朝鮮籍として外国人登録されているのは636548人(1999年末の統計)であるが、これには日韓条約締結以降に留学や商用等で来日した韓国人を含んでいる。

 67万人という数字は一体どこから出てきた数字なのであろうか。不法入国や不法滞在者を含めての数字なのかと憶測するが、その数字の根拠となる資料は探しても見当たらなかった。

 

(追記)1980年〜1995年では、ニューカマーを含めて韓国・朝鮮籍の人口は66万〜68万であったが、その後急減している。この本が出た2000年時点における最新の数字は、本文にある通りのものである。

                             2005年5月21日記

 

ホームページに戻る