さて、前章で消化管の特殊性について述べましたが、スポーツ時、特に激しいスポーツをしている時、消化管は何をしているのでしょうか。
一般的に言うと、「基本的に何もしていない」というのがその回答です。 激しい運動をする時、筋肉は多くの酸素を必要としますから、当然、筋肉の血液量も多くなります。しかし、人体中の血液量はほぼ一定で簡単に増減するものではありません。つまり、どこかの血液量が増えるということは、どこかの血液量が減るということです。この時、減ってしまうのが消化管の血液なのです。消化管とその後に続く肝臓にかけては、身体の約28.7%の豊富な血液があります(1)から、いざという時に動員されてしまうのです。 神経の働きで説明すれば、運動時に主に働いているのは交感神経という神経です。この神経が働くと、心拍数が増加し、筋肉(骨格筋)の血液量が増加します。つまり運動を始めると、神経は身体を運動に適応するように心臓や筋肉を制御してくれるわけです。この時、消化管は交感神経によって働きが抑えられます。 このように運動する時に消化管の血液が動員されてしまうしくみは、逆に考えると、運動時に筋肉に十分な血液を供給するためのしくみとも言えます。つまり、消化管は筋肉のための血液の予備タンクとして働いていると言えるわけです。 血液が筋肉に取られてしまうとはいえ、消化管がまったく働かなくなるわけではありません。主に消化管の蠕動運動が抑制される、つまり消化したものを肛門に向かって運んでいく機能が抑制されるということで、消化管の吸収能力が極端に低下するということではありません。水分やブドウ糖などの低分子は問題なく吸収することができますから、流動性の高いドリンク類は運動時に適していると言えます。
最近よく見かける言葉で「酸化傷害」というのがありますが、これは「酸素」の毒性によってもたらされるものです。酸素は動物にとって必要不可欠な元素ですが、決して安全な元素ではありません。酸素は化学的に反応性が非常に高く、生体はその反応性の高さをエネルギー生産に利用しているに過ぎないのです。酸素の化学反応性の高さは生体以外でも存分に発揮されています。燃えるという現象は酸素を必要としますし、鉄も酸素によって錆びていきます。また、食品にビタミンCが酸化防止剤として用いられている例は少なくありません。 生体が持っているこの安全策がオーバーフローしてしまい、酸素の毒性を受けてしまうことがあります。我々が比較的よく遭遇するシーンが、スポーツ終了時の消化管なのです。
上述のように、激しいスポーツ時には消化管の血液が筋肉に動員されてしまいます。消化管から血液が失われていくので、この状態を「虚血状態」と呼びます。もちろん100%失われるのではなく、おおよそ80%程度と言われています(2)。つまり、この間、消化管は残った20%の血液で組織の維持を図らなくてはなりません。当然、個々の細胞の新陳代謝は低下させなければなりません。 スポーツ後の消化管の虚血−再灌流傷害については、ハーフまたはフルマラソンに出場した24名の便を調べた研究で、うち20名に血便が認められたとの報告(3)や、市民マラソンランナーの66.1%が腹痛や食欲低下などの消化管症状を訴えたとの報告(4)があります。この消化管症状はレース中よりもレース直後から6時間以内に多く観察されました。ただし、この分野の研究報告はあまり多くはなく、どんなスポーツのどんな状態で、どの程度虚血−再灌流傷害が起こっているかは明らかではありません。防止対策についても積極的に論じられたことはないようですが、トレーニングによって症状は緩和することは知られています(5)。また単純に考えても、ビタミンC入り飲料は有効であるように思えます。 この章では、スポーツの時、ほとんど意識することがない消化管が、このような負荷に曝されていることを知っていただくだけでもよろしいかと思います。 (初版2001.5.7) |
【参考文献】
(1)「生理学」真島英信 文光堂
(2)「最新スポーツ医学」 文光堂
(3)Gastrointestinal blood loss and anemia in runners.,Ann.Inter.Med.,100,1984
(4)日本食糧・栄養学会総会要旨集,3H-15p,2000
(5)Effect of physical training on cardiovascular adjustments to exercise in man.,Physiol.Rev.,57,1977
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