丹波篠山記/篠山マラソン(1988.5.31)
最近、私の旅はちょっと変わってきた。
これまでのとにかく知らないものはなんでも見てやろうという旅から、何か自分でやってみようという旅だ。
そのいい例がマラソン大会への参加である。就職してからとみに体を動かさなくなった自分を憂いて走り始めたのが、いつの間にか自分の旅好きとあいまって、雑誌を見ては各地の大会へ参加するようになってしまった。大会に参加する他の多くと違って、私の場合は、記録は問題ではなく、走ることを通じて、そのまちを知り、人を知ろうとする。まちもまたそのときは、いつもとは違う姿を見せてくれるのである。だから私はいつか訪れたいと思っていたところでマラソン大会が開催されるとき、無性にその大会に参加したくなる。この3月の丹波篠山に参加したのもそんな気持ちが大きい。
篠山ABCマラソンは、関西におけるマラソン大会の横綱である。実に1万人以上の市民ランナーが参加する。それほど人気の高い大会だといえるのだが、私にとってはそれ以上に「丹波篠山」という響きが旅情を引き立てたのである。その理由は、実際に訪れるまで曖昧としていたが、まちで私の好きな「歌手」のさだまさし氏が丹波篠山を訪れたきっかけを「子供の頃から、田舎の代名詞のように聞いていた『たんば・ささやま』に会いたかったから」と書いているのを見たとき、なるほどと感じたものである。何もない平坦な地で育った故に山の中の田舎に対する憧れ、それが私の旅情をくすぐったのかもしれない。
篠山はそんな私に2つの姿を見せてくれた。1つは、大会で多くの人を集め、活気に満ちた姿。そしてもう1つは、いつもはそうであろうと思われる静かなどちらかといえばもの寂しい姿。私はそんなどちらの姿も好きだ。
大会の日、まちの人が沿道で我々に声援を送ってくれる。おにぎりやあめ、お茶などを提供してくれる。そこには、自分達の手作りの大会に多くの人々が集まってくることへの自負さえ感じる。まちが外からの人と地元の人とのふれあいの中で生きている、そんな気さえする。
翌日、前の日の喧噪が嘘のような静かなまちを散策する。空までもが雪を降らせ、寂しさを演出する。