オーストラリア雑感/
家族旅行(2006.12.28〜2007.1.4)
3年前のニュージーランドでのカウントダウン体験に魅せられ、念願のメルボルン、シドニーへ。昨年はよいツアーがなく断念。名古屋からの便は乗換えが多い上に費用が高くつくので成田発に。メルボルン3泊、シドニー2泊、機中2泊。何故か、シドーにずっと滞在した方がツアー料金が高い。
カウントダウンはメルボルンで。その人の多さに驚いたが、あとで聞いたところによるとシドニーのカウントダウンが有名で、同じ日にメルボルンに到着したツアー客の多くが1日前にシドニーに移動し、シドニーでカウントダウン体験をしたらしい。
どこでカウントダウンをやるのかもわからないまま22時ごろホテルを出るつもりでいたら、21時すぎに何やら外がやかましい。見てみるともう花火をやっている。あわてて出たけれどすぐに終わってしまった。どうもオーストラリアでは、21時と24時の2回花火があがるらしい。ずいぶん早くから花火を待っている人たちがいると思った。ホテルの近くのヤラ川沿いで22時すぎから待つ。カウントダウン会場からは離れているので、その様子はわからなかったが、24時からの花火はホテルの上空を含め5箇所からあがるのが見えた。時間は10分程度だったが、その迫力はすごい。ただ、ホテルに戻るには人の大渋滞でずいぶん時間がかかった。
メルボルンは路面電車が縦横に走っており、そのうちの1つはシティサークルとよばれ無料で乗れる。鉄道も多く、中心部は地下を走る。大きな公園(というよりも庭園)がいっぱいあり、そこにある木の1本1本が美しく絵になる。歴史的建築物が多く残され、活用されている。ナショナルトラストが所有する小さな建物がいくつかみられた。大きな建物はいろいろ活用されるが、小さなものは放っておくと無くなってしまう運命にあるためナショナルトラストが関与してくるというところだろうか。
シドニーではオペラハウスの日本語ツアーに参加。興味深い話が聞けたので記録しておきたい。(記憶をもとに書いているので間違いがあるかもしれないので注意、指摘お願いします)
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建築家のヨーン・ウッツォン氏が途中で設計を降りたのは労働党から保守党に変わったため。ウッツォン氏の意向が充分とりいれなくなり、このままではやっていけないという手紙を出したところ、それが新聞に掲載され、辞任を余儀なくされた。
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辞任後、2度とシドニーにくることはないだろうという言葉どおり、ウッツォン氏はオペラハウスの完成した姿をみていない。改装にあたり、州政府がウッツォン氏に依頼し、関係は修復されたが、高齢のためシドニーに来るのは無理だという。
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ウッツォン氏が設計を降りたこと、保守党がシドニー交響楽団のパトロンであったことから、当初、オペラ劇場として計画されていた第一劇場がコンサートホールとなり、第二劇場がオペラ劇場に変更された。そのため、第二劇場は当初の1,100席では採算がとれないということで400席も増やされ(1,547席)たため、座席の間に通路はなく、非常に見にくい場所にも座席がおかれれている。前から3列目までは字幕が見えない。(その分値段は安い)
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コンサートホールも座席の間に通路がなく、座席も狭い。通路がないのはできるだけ、座席数を増やしたいためだが、避難の際にはこの方が逃げる人が集中しないことから安全性が高いという。
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外部と内部は構造的にも切り離されている。内部の設計はウッツォン氏の者とは全く異なる。2000年になって、当初のウッツォンの内装案がレセプションホールに実現。ウッツォン・ルームと呼ばれ、この部分は写真撮影が許可されている。
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外壁は白とクリーム色の2色のタイルで構成。当初、すべて白にしたところ、曲線がうまく見えないということから変更した。見る前の印象では「まっしろ」をイメージしていたが、実際にみた感じは「くすんだ白」。古くなったためかと思っていたが、そうではないらしい。
*以上の話の一部はウィキペディア「シドニー・オペラハウス」にも記載されている。(2007.1.8)
海から望むオペラハウス |
コンサートホール (通常は撮影禁止だが、1分間だけ許可された) |
ウッツォン・ルーム |
白とクリーム色のタイル |