滋賀県建築士会青年部会設立25周年記念事業  セミナー第2講座
「住民参加型のまちづくりに学ぶ」
(2000.4.22)

レジメ

1. はじめに
・ 自己紹介:名古屋の印象
・ 話題:2005年愛知万博

2. 名古屋市における住民参加型まちづくりの試み
○名古屋のまちづくり−戦災復興を確実に、100m道路、区画整理
→まちづくりの優等生。しかし、面白みに欠ける
○官のまちづくりよりも民のまちづくりでの先進地
・ 名古屋が「まちづくり」の発祥地/栄東の再開発
・ 第1回町並みゼミは名古屋の有松で
○最近の注目すべき事例
・ 藤前干潟の埋め立て断念→ゴミ問題に対する関心の高まり、中村エコ商店街
・ 橦木館、白壁アカデミア
○まちづくりにおける住民参加の意味−住民参加から住民主体へ
・ 名古屋でのまちづくりの展開−地区総合整備、協議会方式
・ しかし、住民参加であっても住民主体とならず
・ 地区総でのワークショップの手法の導入−身近な施設整備から
・大曽根北−住環境整備でのポケットパーク整備
    ・築地地区−夢塾21のとりくみ
○支援体制としての名古屋都市センター−まちづくり基金による助成

3. 築地地区におけるとりくみ
○築地地区におけるまちづくりのとりくみ
○公園づくりのとりくみ
・ 公園づくりワークショップ(1997年度、4回)−夢塾21が主催
・ 遊具選びワークショップ(1999.2)
・ 絵タイルづくりワークショップ(2000.1)
→現在、半分の工事が終わる
○取り組みの成果
・ 住民の意識変化→トイレ問題の解決、管理面、ごみ問題への対応
・ 小学校との連携−環境教育
○新たなまちづくりの展開
・ 防潮壁の修景−現在、進行中

4.おわりに−ワークショップについて
○ まちづくりはおもしろい
・ 住民の意識は高い
・ しかし、思いやアイデアを計画に結びつけることは難しい
○ ワークショップで必要なこと
・ 参加の手法
・ 様々な意見をまとめ形にする技術=参加者のつぶやきや提案にきめ細かく耳を傾け、その意味を読みとる対話型の設計者であること
○ ワークショップは万能ではない−一部の人の意見でしかないことは事実

講演原稿

1.はじめに

 私は生まれは滋賀の守山ですが、大学からずっと名古屋に住んでおりまして、今ではすっかり名古屋人となってしまいました。しかし、言葉は昔の名残を引きずっており、名古屋でも滋賀でも「おまえの言葉は変だ」と言われています。
 滋賀に住んでいた時(今から20年以上前ということになりますが…)、京都、大坂については遊びに行くことがあったりして、身近に感じていましたが、名古屋についてはほとんど印象がありませんでした。はじめて名古屋に来た時、道路の広さに驚いたのが記憶に残っています。滋賀県人にとって名古屋というまちは距離的には近くても印象としては非常に薄いのではないでしょうか。
 ちなみに名古屋では今、2005年に愛知県で開催される万博が大きな話題になっているのですが、どれだけの人が知ってみえるでしょうか。最近では、噂の真相などにもとりあげられるようになり、「どうも計画がとん挫しそうだ」ということで話題になっているので、聞かれたことがあるかもしれませんが、実はこの万博を愛知県で開催することがBIEの投票で決まったのは3年近くも前のことです。当時、愛知県では大きな記事としてとりあげられたのですが、愛知県以外ではほとんど話題にならなかったというところです。万博問題については本日の本題ではありませんし、話しだすときりがないので省略いたしますが、今後の動向については、これからの地域のあり方や環境問題を考える上でいろいろ示唆に富むことがでてくると思われますので、注目していただければと思います。

2.名古屋市における住民参加型まちづくりの試み

 それでは本題に入らせていただきます。本日のテーマは「住民参加型のまちづくりに学ぶ」として実践報告をしてほしいという要請を受けています。そこで、私がコンサルタントとしてまちづくりに関わってきた経験から、前半は名古屋市における住民参加型まちづくりの試みについて報告させていただき、後半は具体的なとりくみとして、私がまちづくりのお手伝いをさせていただいている名古屋市の築地地区というところの話しをさせていただきます。
 まず、名古屋市のまちづくりというとどのような印象をもっておられるでしょうか。名古屋市では戦災復興を期に区画整理が大規模に行われ、100m道路とよばれる広幅員道路が2本も整備されています。東京や大坂の戦災復興が当初計画を大幅に縮小して終わったのに対して、名古屋では中心部のほとんどで区画整理が行われました。近年でも建設省がモデル事業を打ち出すと、必ず名古屋のどこかで1カ所はそれが行われるという形で、ある意味では官のまちづくりの先進地といえます。ただし、その結果、生まれたまちはかつて「白いまち」と呼ばれたこともあるように面白みに欠けていたことは否定できません。私はこのようなまちづくりを少し皮肉をこめて「まちづくりの優等生」とよんでいます。
 一方、住民参加のまちづくりという点でいうと、先進地としてあげられるのは東京都の世田谷区です。ワークショップが住民参加の手法として注目を集めていますが、それが広がったのも世田谷区における様々な取り組みがあったからです。その後、全国各地で様々な住民参加の取り組みが報告されています。このような動きからみると名古屋は住民参加のまちづくりからみれば後進地といえるかもしれません。
 ところで皆さんは「まちづくり」という言葉がいつごろから使われ、その取り組みはどこで始まったかご存じでしょうか。レジメの2ページに新聞記事をつけておきましたが、ここに驚くべきことが書かれています。まちづくりのルーツは1960年代はじめに起こった名古屋の再開発運動にあると。この再開発運動そのものは計画が大ぶろしきすぎたために実現しないまま終わってしまいましたが、名古屋がまちづくりの発祥の地であるということは名古屋人として多くの人にPRしていきたいと思っています。もう1つ、全国の町並み保存にとりくむ市民団体が年に1度集まって経験交流をする「全国町並みゼミ」というのが今年で23回目を迎えますが、この第1回が名古屋の有松という地区で開催されていることもすごいことだと思っています。ちなみに、名古屋には町並みなどないと思われているかもしれないので付け加えておきますが、名古屋市内にも市で町並み保存地区として指定している地区が有松を含め4地区もあります。このように、今から20年以上も前はまさに名古屋が住民参加のまちづくりの先進地だったともいえます。
 近年では、住民参加のまちづくりの先進地は世田谷にお株を奪われた感じがありますが、名古屋でもいくつか注目すべき取り組みもみられます。
 その1つはごみ処分場として計画していた藤前干潟の埋めたて問題をきっかけとした環境問題への取り組みです。それまで、他に方法がないということで埋め立ての姿勢を堅持してきた名古屋市が環境を守ろうという市民の声に押され、代替地がきまらないまま計画断念を公表しました。レジメの3ページに新聞記事をつけておきました。滋賀県でどの程度とりあげられたかわかりませんが、私はこのことは名古屋のまちづくりに大きな影響を与えたと思っています。象徴的なできごとが、市民によるごみ減量のとりくみです。それまで減量が必要だといくら行政が訴えてもごみは増え続けていました。それが、埋め立て断念以後の平成11年度についてみると、実に前年比10%以上もの大幅減を示しています。市民がごみ問題を自分自身の問題としてとらえたことが一番大きいと思います。さらに、様々な市民運動が展開されています。レジメの4Pに新聞記事をつけた「エコ商店街」の取り組みもその1つです。ここでは、ごみの分別回収の拠点となるリサイクルステーションを商店街に設けています。また、買い物袋持参の客に割引券の代わりにエココインを発行するという取り組みもはじまっています。ホームページも作成されていますので、見ていただければと思います。
 歴史環境の保全という点でも注目すべき事例があります。市民が空家になった建物を借り受け、人が気楽に立ち寄って自由に話しのできる場をつくろうというとりくみです。この建物は名古屋の街並み保存地区の1つである白壁・主税・撞木地区内にあり、建物は地名をとって「撞木館」と呼ばれています。これもレジメの5Pに新聞記事をつけておきました。この取り組みがすごいと思うのは、単にここだけの取り組みに終わらず、建築士会がこの地区を中心に「建築資産をまちづくりに活かす」をテーマとしてシンポジウムや見学会、展示会などを開いたり、ここでの大学公開講座がきっかけとなって、「21世紀の知の集積」を図る市民塾「白壁アカデミア」が生まれたり、加藤邸という実際にひとが住んでいる古いお屋敷の一部を展示会に活用するような取り組みも行われています。この地区の取り組みが注目できるものとして新聞記事にもシリーズとして取り上げられています。その記事も 6・7Pにつけておきました。
 さらに、このような市民の取り組みがきっかけとなって、名古屋市では橦木館の建物を名古屋市文化財に指定したり、旧豊田佐助邸の公開活用や名古屋城から徳川園までの一帯(その中間に白壁地区がある)を「文化のみち」と位置づけ、楽しみながら歩いて歴史を感じられるよう整備する構想もたてています。市民と行政のパートナーシップによってまちづくりが進められているという点で非常に注目すべきとりくみだと思います。

 さて、ここでまちづくりにおける住民参加の意味について考えてみたいと思います。
名古屋における官のまちづくりとしては地区総合整備という形ですすめられています。これは様々な課題があり、総合的なまちづくりが必要な地区を市の総合計画の中で位置づけ、様々な手法を導入しながら整備していこうというものです。現実にはなかなか総合的なとりくみが行われているとはいえないのですが、まちづくりの考え方としては一歩すすんだもので、すでに昭和55年からこのような取り組みが行われれてきたことはすごいことだと思っています。
レジメの8Pに資料をつけていますが、全部で26地区あります。とりくみ状況は地区によって様々で、5番の神宮東のようにすでに大規模な工場跡地を住宅団地などに整備し、ほぼ完了したような地区もあれば、22番の中村〜25番の御剱のように、まだ、計画策定の段階で具体の事業には取り組まれていないところもあります。
 これらの地区で事業を進めるにあたって、住民との合意形成は重要な課題であり、アンケート調査や地元説明会など様々なことが行われてきました。まちづくり協議会を組織し、そこで計画内容について意見を聞くということも行われてきました。もう10年も前になるので、ご存じないかもしれませんが、OZモールという商店街の整備が話題になり、多くの方が名古屋に視察にこられたのですが、この時の整備にもまちづくり協議会が大きな役割を果たしました。さきほどの地区総合整備の図では9番の大曽根という地区で、商店街を含めた地区を区画整理で整備していたのですが、多くの建物がある地域で押せ押せ移転といって建物を順番に移転していったのではいつまでたってもの整備が終わらないというので、一斉移転を行い、短期間で景観にも配慮した協調建て替えによってモールが整備されました。近年の中心市街地活性化の取り組みにおいても先進事例として紹介されています。
 住民参加という点で、まちづくり協議会による取り組みは大きな成果ではあるのですが、あくまでも行政が主導する計画に対して住民が参加するという限界があり、住民主体とはなっていないのが現状です。
 このような中で住民の考えを引き出し、主体的にまちづくりを進めるための手法としてワークショップが注目されるようになり、地区総合整備地区の中でもワークショップに取り組むところが生まれました。1つは先ほどのOZモールと同じ地区にある大曽根北地区で住環境整備で作られるポケットパークの計画づくりです。実は、名古屋市の公園整備についてはアイデア公園という形で住民の様々なアイデアを取り入れて整備するという取り組みが以前から行われており、これもワークショップの1つであったわけですが、大曽根北の場合は単なる施設整備にとどめず、まちづくりの第一歩として、まずは身近な施設整備から始めたという点が注目できると思います。
 もう1つは、私が関わり、後半で話をさせていただく、築地地区(先ほどの地区総合整備の図では11番の地区)での夢塾21の取り組みです。これは地元のまちづくり組織がしっかりしており、主体的にまちづくりを進めようという点が注目できると思います。
 最近ではNPOや住民グループが主体的にまちづくりに取り組む例が増えています。住民と行政のパートナーシップでまちづくりに取り組むことが重要であり、住民の主体的な活動を支援していくしくみとしてまちづくりセンターがいくつかの自治体で作られています。名古屋においても名古屋都市センターという組織が作られています。概要はレジメの9Pにつけていますが、ここではまちづくり基金を設け、まちづくり活動に助成を行うという支援体制を設けています。レジメの10Pに昨年度の助成団体をあげておきましたが、夢塾21をはじめ8団体が助成を受けています。活動内容をみていただくと、名古屋において様々な市民主体のまちづくりが進みつつあるということがわかっていただけると思います。

3.築地地区におけるとりくみ

 それでは次に、具体的な事例として築地地区の取り組みについてお話させていただきたいと思います。築地地区の場所は、さきほどの地区総合整備の図面でみていただいたとおもいますが、市の南部にあり、名古屋港の一番奥にあたるところです。横浜や神戸のようにゆうめいではなので、名古屋に港があるということを知らない方もおおいのですが、名古屋にも水族館が作られ、倉庫を商業施設に活用することなども行われており、結構にぎわっています。
 この築地地区は明治の後期に名古屋港の開港に伴って埋め立てられたところで、当時は港町として大いににぎわったところです。地区の概要についてはレジメの11Pに資料をつけておきましたので参考にしていただければと思います。
 道路整備などの必要性と市民に親しまれる港づくりという点から地区総合整備地区に指定され、13Pに示すように、再開発や住環境整備事業などにも取り組まれていました。当初は行政による取り組みが中心でしたが、再開発の実施に伴う地元組織を母体としてまちづくりの会が生まれ、12Pのようないろいろな活動が行われています。世界デザイン博覧会においては、築地地区全体を宝島にみたてた「宝島フェスティバル」を開催したり、ラブホテル建設反対運動などにも取り組んできたという経緯があります。
 夢塾21はまちづくりの会の中に設置された「福祉・景観」を中心テーマとした専門委員会の愛称で、当初は1年間の活動として発足しましたが、「車いすタウンウォッチング」などの取り組みを通じて、住民のまちづくりに対する関心が高まり、具体的なまちづくりの取り組みの第一弾として、稲荷公園の再整備の計画づくりにとりくむこととなりました。
 稲荷公園とは、14、15Pに位置図と現況図をつけておきましたが、区画整理事業によって生み出された3000u程度の公園で、築地地区が福祉のまちづくりモデル地区に位置づけられ、その計画の中で福祉のまちづくりの観点から再整備が必要だとされたところです。計画策定にあたって住民の意向を計画に活かして行きたいという行政の思いに地元が応える形で、夢塾21の主催によってワークショップを開催し、多くの人の意見を入れながら計画をまとめ、行政に提案していくということになりました。
 計画づくりの流れはレジメの16Pに示していますが、4回のワークショップとその準備などのための10回の会議において計画案をとりまとめました。ワークショップに関しては、毎回その報告をニュースとして発行しており、それを17〜21Pにつけています。
 この計画策定をおこなったのが1997年度ですが、翌年度にこの案をもとに実施設計を市が行い、その際に、公園に設置する遊具を子供たちに選んでもらうという遊具選びワークショップを開催しています。この記事を23ページにつけておきました。1999年度(昨年度)から工事に入っているわけですが、その途中に絵タイルづくりワークショップというものも行っています。これも新聞記事を24Pにつけておきました。本当は単年度で整備したかったところですが、近年の財政危機の中で予算がつかず、工事は2カ年にわたって行われることになっており、今は半分が終わったところです。
 それでは、ワークショップで具体的にどんなことをやってのか、またどのようなものがアイデアとして出されて、整備されたのかを見ていただくために、スライドでご紹介させていただきたいと思います。

   (スライド説明、約60枚、説明省略)

 さて、このような形でワークショップに取り組むことによってどんな成果があったかですが、ワークショップは非常に手間がかかります。これだけの手間をかけて得られる成果が少なければやる意味はあまりありません。ワークショップがこれだけ流行っているのは、やはりそれに見合う効果があるということです。築地地区での取り組み成果をあげてみますと、大きく2つの点があげられると思います。
 1つは住民の意識の変化です。稲荷公園は地区内の貴重な公園ですが、その利用状況は多くの人々に日常的に利用されているとはいいがたい状況にありました。それがワークショップを通じて、公園に対する愛着がわき、その管理についても地域で取り組んでいこうという意識が生まれています。さらに、大きな点としては、当初、トイレの設置に反対していた周辺地域の人々が、子ども達の声を聞くなどする中で、トイレの重要性を認識し、設置する方向でまとまったことです。稲荷公園が公園のある町内だけの公園ではなく、地区全体の公園として意識されてきたといえるのではないでしょうか。絵タイルづくりワークショップの際に、茶碗とはしをもちより、ごみ減量をしようというアイデアも住民の中からでたものであり、この点も注目してよい取り組みだと思います。
 2つ目は、小学校との連携という点です。地元の西築地小学校では、まちづくりを教育のテーマとしたとりくみを実施しており、まちづくりの会が授業を受け持ったこともあります。夢塾21にも小学校の先生の参加があり、絵画コンクールについては小学校として取り組んでもらったこともあり、  166枚という多くの応募が得られました。また、遊具選びワークショップは学校の授業として取り組まれました。公園は子どもの利用が最も多く、その意見を取り入れていくことは重要であるとともに、環境教育として、まちづくりは重要なテーマであるといえます。まちづくりにおいて、小学校と連携し子どもを巻き込んだ取り組みを展開していくことは、今後ますます重要になるのではないかと思われます。
 稲荷公園については来年の完成にあわせてオープニングイベントをすることも考えられていますが、一段落ついたというところで、これに続く新たなまちづくりも進められています。それがレジメの25Pの新聞記事につけた防潮壁の修景のとりくみです。地区内には今はもう防潮壁の機能はなくなったものの土留めとして利用されている壁が東西400mもあり、現状では古くなって汚れており、町を分断するようなものになっているのですが、これをまちの魅力づくりに生かせないかということで、その修景方法についてワークショップを開催しながら検討しています。すでに防潮壁の修景のあとは何をやろうかという声もでており、住民が主体的にまちづくりにとりくもうという動きが着実に進んでいるという感じです。
 なお、このとりくみについてはホームページでも紹介させていただいており、26,27Pにつけています。昨年の11月に書いたものでその後の取り組みについてはあまり触れていませんが、一読していただければと思います。ついでなのでPRさせていただきますと、このホームページは愛知県で住まい・まちづくりに取り組んでいるコンサルタントが集まり、協議会というものを作っており、その協議会として設置したもので、私が事務局を担当しています。ほかにも面白まちづくり講座として、取り組みを紹介していますので、みていただければと思います。

4.おわりに−ワークショップについて

 以上で築地地区の取り組みの紹介を終わりますが、最後にまとめにかえてワークショップについて少しふれてみたいと思います。
 地元の住民の方々とおつきあいさせていただいて感じたことは、まちづくりは面白いと感じ、積極的にまちづくりに関わりたいと思っておられる方が多くみえることです。しかし、その思いやアイデアを具体的な計画に結びつけることは容易ではありません。これは素人なのだから当然のことです。
 そんな思いを形にし、住民が主体的に関われるようなまちづくりに変えていくための手法の1つがワークショップであると思います。しかし、最近ではワークショップが流行し、時としてはその実施自体が目的化し、住民参加のアリバイづくりに利用されたり、単に参加という形式をとったイベントで終わってしまうようなケースもあるようです。
 ワークショップで必要なこととしては、いかに参加者の意見をひきだしていくかということがあげられます。この点に関しては世田谷区の先進的な取り組みにより、いろいろな手法が開発されており、このような「参加のデザイン道具箱」といった書籍も世田谷まちづくりセンターから発行されています。
 もう1は、個々ばらばらに出される様々な意見を1つにまとめ形にする技術です。このあたりは個別の施設設計を行う建築士の方々に期待したいところですが、参加者のつぶやきや提案にきめこまかく耳を傾け、その意味を読みとる対話型の設計者であることが重要です。この点はまだまだ技術的に確立しているわかではなく、個人の力量に任されているところですが、今後、ますます重要になってくる点だと思います。
 最後にワークショップは住民参加のまちづくりの有効な手法の1つですが万能でないことも指摘しておきたいと思います。ワークショップを通じていろんな人の意見を聞いたといっても、結局は参加者の意見であり、一部の人の意見でしかないことも事実です。そういう意味では、ワークショップでどんなことをやったのか、どんな意見が出されたのかということをみんなに知らせておくことが重要です。その上で、だれでも参加できるよう、参加機会を常に広く開いておく必要があります。ワークショップの限界を知った上で、ワークショップを使いこなしていくことが必要ではないでしょうか。

 以上で報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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