豊田市の中心市街地
建築学会東海支部都市計画委員会住宅部会見学会(1999.9.11)

 住宅部会の見学会で数年ぶりに豊田市を訪れた。豊田市はいくつかの町村が合併してできた都市で、市の名前を基幹産業の自動車会社の名前からとったことでも知られる。欧米ではNAGOYAよりもTOYOTAの方が有名であるが、30万都市でありながら、その中心がはっきりしない状況であった。
 そんな中で力を入れて取り組まれてきたのが、中心市街地の顔づくり。1973年に(財)豊田市都心整備公社がつくられ、都心総合整備基本計画に基づく、様々な都市づくりが推進されてきた。

 以前はこれが30万人都市の玄関?という感じであったが、この10年間の間に駅前は大きく変貌した。名鉄の豊田市駅を降りると再開発でできた3つのビルが目に付く。西側に「そごう」(1988年竣工)、東側に「ギャザ」(1995年竣工)と「豊田参合館」(1998年11月竣工)がある。10年間で3つの再開発を実現することができたのは財政力豊かな30万人都市の力だろう。ただ、その中身はバブルからその崩壊という時代を反映し、大きく異なっている。最初の「そごう」はほとんどが大規模店舗で占められていたが、2番目の「ギャザ」では核店舗+ホテル+住宅という複合開発となり、3番目の「豊田参合館」では店舗+公共施設(図書館、能楽堂、コンサートホール)と公共が大きく関わることで再開発が成立している。
 見学会では「豊田参合館」の能楽堂とコンサートホールを見学させてもらうことができた。都心の利便性の高いところにこのような文化施設があることは都市の魅力であり、にぎわい形成にも大いに役立っているようだ。能楽堂は建築物そのものが文化財として残ることを意図しているといい、再開発のビルが100年で壊れても中の能楽堂は解体移築し、もっと長く使うという。

 桜町第一地区の優良再開発は、3つの大規模な再開発と異なり、5人の権利者による店舗と住宅の共同開発であり、周辺の町並みとなじんだものとして特筆できる。このような小規模な再開発が連続してできるといいのだが、なかなか難しいというところか。ただ、街並みをみていると、隣接するビルがお互いのデザインを意識しているようなところもみられ、街並みとしての調和がとれていた。このような動きも長いまちづくりの成果なのだろう。

 道路整備については、個別事業でかなり整備されており、コミュニティ道路や細街路の舗装など配慮されている。豊田では道路整備が単独買収で行われると「天国」で面整備として行われると「地獄」だという考え方があるという。ここにも豊かな財政を背景にどんどん、単独買収で整備を行ってきたという姿が伺えそうだ。

 このほか、特筆すべきものとしては、「車のまち豊田」を反映した駐車場整備と駐車場案内システムがある。駐車場は公共、民間あわせて4000台が整備されている。

 自動車交通を重視した施策が展開されてきたわけだが、この豊田でも中心市街地の衰退の問題は例外ではなく、長崎屋、アピタという大型店が撤退し、人通りが激減しているという。両者の跡地とも市が買収し、長崎屋は建物を「おいでん横丁」という形で賃貸し、アピタは更地を「おいでん広場」としてイベントなどに活用している。
 住宅部会でとりあげた田原町や犬山市、津島市と比較すると30万人都市だけあり、まだまだ元気があると感じるが、これら跡地を有効に活用し、いかに中心市街地の魅力を高めていくかは大きな課題であろう。

 その魅力の1つとして、ビオトープ公園として再整備された児ノ口公園があげられる。この公園は、緑の少ない中心市街地の中にある貴重な近隣公園であり、以前は野球場やプールがあったそうだが、それをなくし、緑豊かな空間を形成していた。野球場などを廃止することについては反対もあっただろうが、それをやりとげたところがすごい。矢作川などでの自然再生の経験があったからだろう。この公園ができたり、文化施設ができたりしたことが、郊外から都心に移り住んだ理由、と見学会に参加してくれた地元の方が話してくれた。

 最後に蛇足になってしまうが、豊田市スタジアムと豊田大橋のこともふれておかなければならないだろう。
 豊田スタジアムは当初、ワールドカップの会場として立候補していたところで、日本の中心にあるので落とされるわけがないという甘い期待が外れてしまったところ。どうなるのかと思ったが、財政豊かな豊田はこれを作ってしまうという。現在建設中だ。駅からは1km強あり、歩くにはややつらい。都心の短距離交通システムが望まれるところだ。
 豊田大橋は建築家の黒川紀章氏が設計したことで有名であり、巨大な橋が完成している。デザインとして優れているかどうかは、それぞれに任せたいが、訪れた時に感じたことは、橋そのもののデザインよりも、むしろ橋の下の河川敷公園との一体利用を考えたデザインを考えるべきだったのではないかということだ。ちょうど、橋の下でどこかのグループがバーベキューを楽しんでいた。このような利用を想定したデザインとした方が、都心の魅力形成には役だったのではないだろうか。

 都心の顔づくりに力が入れられてきたわけだが、ここに来て都心に市財政を集中的に投資する事に対して疑問の声も出されているという。都心整備公社も1999年4月より都市整備公社に名称変更されている。豊田市の都市づくりは2幕目を迎えたというところだろうか。

(1999.10.20)

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