鈴鹿峠〜坂下宿、関宿へ
みえ歴史街道構想鈴鹿・亀山地域推進計画策定委員会現地調査(2000.11.10)

 みえ歴史街道構想の地域別計画策定の現地調査で関町を訪れた。
鈴鹿峠〜坂下宿

 滋賀県との境の鈴鹿峠から歩き出す。鈴鹿峠は、高校時代の紀伊半島一周サイクリングの際に訪れているはずなのだが、全然記憶にない。滋賀県側はなだらかな勾配が続くのだが、三重県側は急勾配。鈴鹿八丁二十七曲がりと呼ばれているらしい。下りとはいえ急坂はつらい。
東海道自然歩道のコースとなっており、歩く人も多いようだが、聞くところによると、東海道自然歩道と書かれた案内板を持ち帰る輩もいるとか。そんなばかなと思っていたら、片山神社脇の常夜燈はその上部が持ち去られていた。平成9年度に作成されたウォーキングマップには、ちゃんと存在しているので、ここ数年のうちの出来事のようだ。また、片山神社は昨年の年末に不審火で消失してしまったという。火事で焼けてしまったからなのか、周辺の木も切り倒されてしまっており、痛々しい。貴重な歴史遺産が十分な保護もなく消えていくようで寂しいかぎりである。
片山神社からの道は街道が参道のようになっており、木々の緑が美しい。このあたりは古町とよばれ、大洪水で集落が壊滅し、現在の位置に移る前は、ここに坂下宿があったという。片山神社を守るように建つ古老の家や地蔵など趣深い。

 峠を下ってしばらく行ったところに坂下宿がある。道路拡幅によって宿場町の様相は大きく変わっているが、一部に昔の面影を残す家もみられた。本陣は残されていないが、その門が明治15年に坂下小学校校舎玄関に移築された後、昭和35年に法安寺庫裡玄関に移築され残っている。なお、坂下小学校は昭和13年に沓掛に移転して新築、昭和54年に廃校となったが、国の登録文化財として指定されており、現在は「鈴鹿峠自然の家」として活用されている。これに隣接して鈴鹿馬子歌会館が建設されており、そのホールではコンサートなども行われるという。


片山神社脇の常夜灯−上部がなくなっている
関宿

 関宿は、東海道の往事の面影を唯一残す歴史的町並みとして、昭和59年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。西の追分から東の追分まで、約1.8kmの間に歴史的な建物が続いている。西の追分が大和街道、東の追分が伊勢別街道との分岐であり、交通の要衝として繁栄したところであり、立派な建物が多い。

 ここでは町並み保存にあたっては様々なとりくみが行われている。
 街道の電柱については、無電中化が行われており、現在、最後の西部地区についても進められている。電柱がなくなった町並みはすっきりして気持ちがよい。道路もアスファルトではなく、地道風のカラー舗装とし、町並みとの調和に配慮している。日中は一方通行となり、車の通行も制限されている。
 施設整備としては、昭和63年に伝統的な町屋を公開した関まちなみ資料館が開館している。ここの土蔵の二階には、町並み保存指定当時と現在の写真が並べて置かれており、興味深い。事業によってどう変わったのかが一目瞭然であり、事業の効果を知ることができる。周辺がどんどん町並みにあわせて修復されていくと、手つかずのままにしているところは肩身が狭い思いをしていそうだ。
 平成9年には関宿を代表する大旅籠の1つ「玉屋」を復元整備し、歴史資料館として開館している。この修理にあたっては障子はりなどの地域の住民がボランティアとして参加したという。また、ここでは小学生による宿泊体験も行われている。貴重な歴史遺産が壊されないかと心配するところであるが、子供の頃から歴史を大切にするという意識を芽生えさせたいということなのだろう。
また、町並みの中心には町屋の跡地を利用して「百六里庭」という小公園が設けられている。住民参加のワークショップによってデザインが決められた(三重大の浅野先生参画)もので、眺関亭と名付けられた通に面した家屋の部分は屋根のごしに町並みを眺められるようになっている。町並みを上から眺めてみたいというアイデアを実現したもので、ワークショップの際には、実際にその高さから町並みをみるとどのように見えるかを確かめることもしたという。その眺めは、町並みの新しい魅力を見せてくれる。ただ、この眺関亭は町並みと調和しているが故に気がつかない人もいるようなのが残念。我々が訪問した時も観光客が知らずに行き過ぎてしまっていた。

 このほか、歴史的建造物を守り育てていくため、居住者の協力を得て保存修復工事を進めるとともに、新しい建物についても、周囲の町並みと調和するように様式などに基準を定めている。百五銀行の建物もその成果であろう。

 この町並みを気にいって退職後、歴史的町並みに移住したという方の家も拝見することができた。2軒分を利用したその家の内部には、車庫もあり、外見は古い意匠でも内部は近代的な生活空間となっていた。
 まちを案内してくれた役場の担当者も、近々この町並みの1軒に住むという。町を愛する人が住めば、町はどんどんよくなっていくに違いない。観光のまちとしてだけではなく、生活するまちとして関宿のまちづくりが展開されることを期待したい。 


関宿の町並み−電柱がなくすっきりしている

百六里庭−江戸から106里あることから名付けられた

眺関亭からの眺め

百五銀行

 関宿に移住した人が住む家
参考HP関宿まちなみ館

(2000.12.11)

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