文化財の解体修理の現場を訪ねて−京都冷泉家と宝塔寺本堂
橦木塾第1土曜建築学校(98.7.31)

 業務とは直接関係しないが、橦木塾で2つの重要文化財の解体現場の見学会をやるというので参加した。

 昔から興味は持っていたが、こんな機会はめったにないことであり、非常に興味深かった。橦木塾を主催している小栗氏の先輩が京都府の文化財保護課に勤めているということで、このような場が実現した。

 京都府では文化財の修理は所有者から府が委託を受けて実施しており、現場に京都府の職員が監督として常駐しているという。設計・監理のみならず工務店もやっているというところ。奈良県や滋賀県も同じしくみらしい。

●冷泉家住宅

 同志社大学に隣接。京都に残る唯一の公家住宅。1790年に建設。大正期に道路拡幅のために曳家をした経緯あり。内法が高いのが特徴。建設当時は大火の後で木材が不足していたことと、柱が長いことから1本の木では足らずに接ぎ木をしていた。

 修理では化粧材はできるだけもとの木を利用することとし、痛んでいる部分には埋木をしたり、接ぎ木をしたりして対応。目にみえる部分はできるだけ、古いものを残し、目に見えない部分(床下など、痛みがひどい部分でもある)は大胆に新しい木を利用するという。柱や扉、床の部分に古い木をうまく新しい木となじませながら修理されていた。

 修理の特徴としては、阪神大震災後ということもあり、耐震補強が行われた。壁がほとんどない構造であり、また板戸ではなく障子戸であり、耐震上ほとんど期待できないことから、べた基礎をうったり、アンカーで地盤と結んだり、壁の中にステンレス鋼板をいれるなどの補強が行われている。過剰投資ではないかという意見もあるようだが、役所が受託しており、補強をしなくて地震で壊れれば問題があるからだという。

●宝塔寺本堂

 1590年着工1608年竣工。当初は天井板がなく、80年ぐらいしてから天井板を張った。作るのに100年かかったことになる。

 修理のために大きな屋根をかぶせるが、冷泉家住宅にくらべ、寺社建築であるだけに、屋根も大きい。なお、これら足場は丸太で作られている。解体しながら調査していく段階で、復元するために屋根を大きくしたりする場合にも丸太の足場であれば、簡単に変更できるからだという。

 足場にあがり、上から眺めることができた。屋根の妻に設けられている懸魚がこんなに大きなものであるということがよくわかった。冷泉家の住宅と比べ、利用されている木も大きい。

 瓦は新しいものとほとんどが交換されるということであるが、鬼瓦についてはできるだけ、もとのものを利用するという。

 

 住宅と寺という異なる解体修理現場を見ることができ、おもしろかった。これらは文化財保存のためのものであったが、再生利用のための現場も見たいものだと思った。また、宝塔寺本堂は現在解体中であり、これがどのような形になるのか、また途中の現場もみたいものである。(案内してくれた福田さんもリピ−ターとして訪れてくださいということを言っていた。)

 なお、京都府では清水寺で実施している解体修理の現場の一般公開を10月下旬に実施するという。一般の人にも関心をもってもらうのが目的とか。

(1998.7.31)

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