人にやさしいまちづくり連続講座受講リポート
1.はじめに
私は都市計画コンサルタントとして、これまで自治体のマスタープランの策定や地区の整備計画づくり等に関わってきており、まちづくりについては「知っている」つもりでいたが、この講座によって知らなかったことの多さを思い知らされた。これまでも「人にやさしいまちづくり」というキーワードをいろいろな場面で使用していたが、その理解が表面的であったがわかった。ここでは、講座を通じて感じたことを述べてみたい。
2.障害者問題から
障害者の方々の話には、我々には伺い知れない苦労が偲ばれた。このような苦労は聞かされはじめてわかるものである。もっと我々が積極的に知ることの重要性を改めて感じた。
物理的な障害よりも精神的な障害が問題だという話が出されたが、その要因の1つに「知らない」ことがあげられるだろう。欧米に比べ、わが国では障害者をまちで見かけることが少ないが、これは障害者が少ないのではなく、障害者が内にこもっているからだ。日常的に障害者と接する機会が増えれば、心のバリアもしだいに無くなってくるのではないだろうか。障害者が気軽に出かけられるような街にすることの重要性がここにもある。
同時に、障害者には、どんどん街に出て、どんどん話をして欲しいと感じた。「障害のプロとしてそれを訴えていくことが仕事」という話があったが、この視点が重要だ。健常者である我々がいくら障害者の身になって考えようとしても限界がある。障害の問題は、その道のプロに聞くのが一番である。障害者にやさしいまちはすべての人にやさしいまちになるだろう。
我々の責務としては、計画づくりの段階で、そのような人々が参加できるシステムを作ることではないだろうか。
3.まちづくりの側面から
「人にやさしい」という言葉は「何かしてあげる」というニュアンスが感じられてあまり好きではなかった。確かに、役所にとっては「何でもありの事業」であり、やる気のある人の手にかかれば、それを名目に様々なまちづくりの展開も期待できるが、使い方を間違えると、かつての「アメニティ」のように免罪符的な使い方をされる恐れもある。
問題は、障害者を人間として尊び、自立した生活が自然と行われるような街にできるかだろう。そんな街が実現すれば「人にやさしい」という言葉は死語になってしまうのではないだろうか。「人にやさしい」ということそのものは、まちづくりの一部であり、通過点にすぎない。意識しなくても自然と人にやさしい街ができるようなシステムを作り上げことが重要ではないだろうか。「人にやさしい街づくり」という万人受けする施策を活用して、これまでのまちづくりのやり方を変えて行こうという姿勢に大いに共感を覚えた。
そのための重要な方策が住民参加であろう。現在の都市計画の仕組みでは、形式的な参加しかないという状況の中で、いかに住民参加を実現するかが重要だ。
愛知県の取り組みの先進性として人づくりがあげられた。このような講座を実施し、それにこれだけ多くのまちづくりに関わる人達が熱心に参加してくることに、まちづくりの可能性を感じた。みんながそれぞれの持ち場で力を発揮することが、まちづくりのやり方を変えていくことにつながるだろう。
さらに、住民参加や人づくり手段としてのパソコン通信(インターネット)を有効に活用することによって、新しい展開が期待できる。人づくりとともに、これからは人材のネットワークと人材の有効活用が求められているのではないだろうか。
4.終わりに
都市計画コンサルタントとしてまちづくりに関わっていて、住民参加の重要性は感じながらもその限界を感じることも多い。計画策定に関わる我々コンサルタントに対する厳しい目も感じているが、コンサルタントにやれることは限られており、業務に忙殺されることもある。
まちづくりを仕事としてとらえるのでなく、夢のあるものとしてとらえ、取り組んでいくとともに、市民の一人として積極的にまちづくりに参加していきたいと考えている。
(1996.9.3)