21世紀愛知万博を考える

1.はじめに

 中部圏の将来をめぐる様々な話題が相次いでいる。中部新国際空港の第7次空港整備計画での着工をめぐって、現名古屋空港の廃止と新空港の採算の問題がクローズアップされている。ボストン美術館の誘致ですったもんだした名古屋市の金山駅南開発では、今度は地元のホテルの撤退発言をめぐってまたもめている。青島都知事の都市博中止が21世紀万博にも波紋をなげかけ、争点の乏しい参議院選挙の争点ともなっている。いずれのプロジェクトもバブル期に打ち上げられ、中部の未来を担うものとして期待されていただけに、その動向は大いに気になるところである。ここでは、21世紀万博の問題について考えてみたい。

2.これまでの経緯

 21世紀万博誘致に向けて動き出したのが1988(S63)年。1990(H2)年にはその候補地を瀬戸市に決定した。名古屋市でのデザイン博の成功をうけ、大阪で花と緑の万博が開催されるなど博覧会ブームの中での万博誘致は、オリンピック誘致失敗で意気消沈していた人々に大きな夢を与えた。

 そんな万博に疑問の声をあげはじめたのが自然環境保全派。環境問題への関心の高まりの中で、貴重な自然の残る瀬戸市南東部の丘陵地で開催することの是非が問われ、選挙の争点ともなり、青島都知事による都市博中止決定を受けて、万博そのものが時代遅れであるとする論調が高まってきた。推進派であったはずの愛知県議会与党の足並みにも乱れがみられるようになってきた。

3.テーマとしての「自然との共生」

 万博の重要なテーマとして「自然との共生」があげられ、推進派は、人間と環境の共生のモデルとして万博をやることに意義があるとしているが、その発言等をみていると、推進派の意識についても、かなりレベルの差があるように感じられる。すなわち、万博そのものが転換期を迎えているという認識のもとに、新しい方向を探り、環境との共生を第一に考えようとしている人から、とにかく万博の開催に意義があり、反対派をなだめるためのお題目とし環境を考えている人まで様々である。

 このままでは、いくら委員会で立派なコンセプトを作っても、それが事業推進者にとって都合のいいように解釈されてしまうおそれが充分にあるのではないだろうか。愛知県はいち早く「交流人口」に注目したところではあるが、21世紀万博の理由づけのために「交流人口」を利用しようというような面も感じられる。

4.21世紀万博は何のため

 21世紀万博については、まずイベントの開催ありきであり、地域開発のプログラムの中で生み出されたものではない。候補地についても、開発のしやすさから瀬戸南東部が選ばれたといえよう。地域開発戦略からいえば、中央リニア新幹線と中部新国際空港と近接する場所で万博を開催し、その跡地を新首都とするようなものが期待される。木曽岬干拓地で開催すべきという意見もでているが、新空港やリニアとの直結という点では瀬戸よりも有利である。さらに、新首都を特別区とすれば、県境や町境問題でもめることもない。平坦地では自然との共生をテーマとする万博にはふさわしくないというような答弁がされているようであるが、干拓地に自然を創造することこそ、これからの時代にふさわしい自然との共生のモデルを提示することにつながるのではないだろか。

5.おわりに

 万博が地域開発のプログラムとしてしっかり位置づけられ、時代にあったコンセプトによって開催されるのであれば、決して「時代遅れのイベント」という非難はあたらないであろう。しかし、イベント開催だけが目的になってしまっては「時代遅れのイベント」になってしまうおそれがある。 

 万博問題は、地元ではかなり大きな記事として扱われているが、地元以外ではどれだけの人がこの問題を知っているだろうか。名古屋オリンピック騒動の時のように地元だけが右往左往しているようでは、開催の意義は薄いといわざるをえないだろう。

(1995.2.20)

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