1.位置づけA
どのように「グローバル・エデュケーション」を中学英語に関連付けていけるか?
1.位置づけ 2.学習目的 3.学習形態 4.指導計画 5.評価 6.実践例
Updated: 97/08/15 03:20:34
2.1990年代の英語教育はどうあるべきか<英語教育1991年10月>(島岡 丘 -- 筑波大学教授)
1)はじめに
世の中は速いテンポで変化しつつある。その中にあって、英語教育の分野はどうなるであろうか。
またわれわれ英語教師は,これからどんなところに重点をおいて生徒たちを教育すづきであろうか。
1990年代の英語教育のあるべき姿を求める場合,まず現状の認識から始めなければならない.
1 日本人の英語の現状と
国際通用語としての英語
親日家であった故ライシャワー氏(元駐日大使,ハーヴアード大学教授)は日本人の英語について
次のように語っている。
“People are often surprised to find at interna−
tional conferences that the Japanese,because of
their weakness in foreign languages,are among
the least competent participants.Frequently
they are the worst.”−Meaning of Internationalization
(成美堂,1990年)
以上のような国際会議における日本人の消極性の指摘は英語教育の関係者の集まる団際会議一−
TESOL,IATEFL,AILA,ICCCなど−−では必ずしも当てはまらないが,教室における生徒た
ちの受動的な学習態度、ペーパーテスト指向などを考えると.指摘どおりの現状があることを認め
なければならない。日本における外国語教育が,とかく「読解力の養成」と「音声抜きの入学試験」
に影響されてきたため.国際会議でロ頭発表したり,論じ合ったりする日本人が少なかったという
ことは多くの識者が認めるところである。もちろん,英語を必要としない学習者もおり,依然とし
て英語は選択科目であるが.90年代の英語教育のあり方としては,まず他国の人たちと国際語とし
ての英語を通して話し合える基礎的な力を培うべきであろう。言い換えれば,パートナーとして交
流できるためのコミュニケーションを重視する英語教育であるべきだろう。
その方向に向かうための具体策を考えるならば,次の4つの角度から検討することにするのがよい
であろう。
1.音声によるコミュニケーションの重視
2.世界的広がりを持つ題材・言語活動の重視
3.発想の転換
4.Problem−Orientedな外国語教育
以下において,それぞれの角度について掘り下
げてみよう。
2) 音声に上るコミュニケーションの重視
コミュニケーションには聞き取る作業(listening)と発話する作業(speaking)とがある。平成5年度
から施行される中学校学習指導要領では,この2つの作業を区別しているが,これはぜひそうあっ
てほしいと前から考えられてきたことである。今や全国で3,000人はどの英語指導助手(Assistant
English
Teacher)が日本人の英語教師とペアを組んで生徒の英語教育に携わるという時代になった。
読解中心の教材では文字意識が強く,たとえ,AETの英語の発音を開いても文字と関連させよう
とする意識が出てくるものだ。「言葉は第一義的には音声であり.文字はそれを思い起こさせるヒン
トである」というように学習者の考え方を変えていくのがよいのではなかろうか。
実際,英語がその文字どおりに発音されることはまれであり,談話の中では,文字と音声とのず
れが様々な形で生じる。音のつながり,音声の変化,強弱リズム.綴り字と発音とのずれ,音調に
よる意味の違い,日本語にない音素村立,スピードに伴う音声変化と弱い音の脱落などがある。従
来は,このようなことを十分教えなかったために英語は読めても話せない,音声を開いても分から
ない大人を生み出してきたのではないだろうか。
したがって1990年代の英語教育では,音声面に焦点を当てた英語教育が行われるべきであろう。
このことは現行のやり方を否定するのではなく,焦点を明確にするということである。L・S−R−Wの
4技能のドリルを毎時間すべて行うのではなく,それぞれの技能の焦点化ということであり,例え
ばこの1時間はlisteningを焦点とする,ということがあってもよい。
*4技能の焦点化、本時の指導目標が技能面であるならば週3・4時間の時間量では自ずから活動を絞らざるを得ない。L−S-R-Wのすべてが大切なのであり、「トータルな英語力」を目指すのであれば最終的にはすべてカバーできたと言いたい。確かに、現状を分析して足りない力に重点を絞って指導するのも一考である。しかし、週3乃至4では入門期としては、極端な焦点化は危険な場合も有りうると私は思っている。そうだとしたら、基本的に毎時間何を目標にすべきか?。補充すべきことを家庭学習・自習等に委ねるとしたらそこには「やる気」という水面下にあって見えない力の存在が大きい。この情意面の向上こそが「関心・意欲・態度」でそれが中学入門期英語ではもっとも大切であると私は思う。その情意面をもっとも高めてくれそうなものが次の3)で言う題材であると私は考えている。
3) 世界的広がりを持つ題材の重視
1990〜1991年は,アラブの世界が「湾岸戦争」などで日本人の身近な問題となった。 アフリカや
西アジアなどの砂漠化と世界各地における貧富の差,環境破壊,都市における犯罪件数の増加,日
本人の海外におけるボランティア活動,個人レベルでの様々な国際交流などが,われわれの茶の間
の話題となっている。「日本だけ」ということは通用しなくなりつつある。一方,日本のニュースも
世界各国に即座に伝えられる時世である。日本における英語教育が「世界の中の日本」という観点
で捉えられなければななくなっているのである。
今後.異質な文化の日本への一層の流入は不可避である。言葉の背景には文化があり,その背景
的文化をよく理解していなければ.不要な摩擦や苛立ちを感じることになる。英語教師こそこのよ
うなことをよく理解し,生徒に,また生徒を通して父兄に正しい異文化理解をさせる重要な社会的
責任が負わされているのである。
英語の背景的文化はlow−Context
Cultureで.日本語の背景的文化はhigh−Context
Cultureと言わ
れでいる。つまり.日本語では文脈や相手の理解・解釈に依存して言葉はなるべく省略しようとする
傾向があるのに対し,英語では,言葉にウェイトを置き.話者は相手に対して自己の考え方や立場
を十分に伝えようとする傾向が強い。
英語教育も,英語を使う人たちの心的態度にも触れるべきであろう。英語圏の人たちと交わるこ
とによって.英語の背景的知識を深めることができるが,一方.英語を通して諸外国の人たちと交
わり,それぞれの外国の理解を深めることも必要である。国際交流に関する適切な題材を通して,
学習者に世界に羽ばたこうとする意欲を高めるのが望ましい。この心的態度は学習者に日本の文化
との違いがはっきり意識され,かえって自国文化の理解が探まるというプラスの面があるのである。
*世界規模の問題(Global Issues)を取り上げてクラスで討論するのも異文化理解には大変良いことだと思う。単に「知識」だけの異文化理解がこれからは、世界市民(Global Citizenship)として、その題材が身近な問題として考えられるのである。そこに生徒は英語の必要性や関心を抱いてくれないだろうか?
4) 発想の転換
文部省では,学習の困難点をできるだけ少なくするという観点から,検定教科書に学年指定を設
け,ゆえに現行の英語教科書はそのようになっている。例えば時制については,1年には現在形,
2年には過去形と未来形,3年には現在完了形を配し,関係詞は3年の学習事項というこいこなっ
ている。英語教師は英語検定教科書に縛られる必要はないものの,過度の学年指定はコミュニケー
ション能力の育成に問題が生じる。
平成5年度から施行される中学校学習指導要領では,従来のような文法・文型の学年指定はなく
なったので,英語教師は前よりは自由に文法・文型指導ができよう。しかし,ここで発想の転換が
必要である。英語教師は文法や文型を指導するのではなくて,英語を「こんなときどう言うか」を
指導すべきである。文法や文型はその内容伝達に必要な手段に過ぎない。文法のための文法でなく
て,コミュニケーションのための文法でありたいものである。
月曜の英語のクラスで生徒に向かったとき,
Did you have a nice weekend? How did you
spend your Sunday? Did you go anywhere yes−
terday? Did you watch any interesting TV
program?
などのクラスルーム・イングリッシュが中学1年の後半からでも自然に出てきてほしい。生徒は
文の分析はできなくても「休みをどう過ごしたか」と問いているのだ,ということさえ分かればいい
のである。私は自然に行われる英語の対話が英語教育で一番望ましと考えている。AETが教室に
来るときは,そのような自然なやりとりを生徒の経験として与えたいものである。
しかし英語の自然なやりとりがうまくいくためには,学習者一人ひとりが何か言いたくなるよう
な教室の雰囲気作りが必要である。生徒には何らかの課題を与え.やりがいを起こさせる授業形態
をとることが望ましい.
*課題解決学習にはそれなりの問題提起が必要であり、その問題性如何で生徒のやりがい・やる気が決まってくるように私は思う。あくまで、問題は世界規模であり、それに対しての解決策・解決に導く方法論を検討したくなるような題材が望まれると思う。
5) Problem−Orientedな英語教育
学習者が何を学習するか,また学習対象がはっきりしても,どんな障害があって学習が思うよう
にいかないか,さらにその困難点を克服するにはどのような教育手段が考えられるかを科学的に,
また応用言語学の成果を取り入れていくことがわれわれの視野になければならない。このアプロー
チがproblem−Orientedな教授法である。
一般的に言えば,日本語にない音声,文法,語彙は学習上困難であると言える。外国語学習には
言葉上の問題だけでなく,心理上の問題もある。 これまでの英語教育は,日本語から英語にいき
なりジャンプして英語を学習することが多かったが,それでは学習者はpass
or failということに
なってしまうことが多い。中間言語(interlanguage)の概念を取り入れ,母国譜から学習対象の言語へ
少しずつ近づいていくというプロセスとしての学習を考えたい。外国語の習得は,単に言葉上のこ
とだけでなく,外国語を習得するコツまたはストラテジーを身につけているかということである。
そこには知・情・意にわたる生きた言語能力が必要とされる。与えられたコンテクストにどれだけ
適切な英語力が駆使されたかがその目安となる。
そのような立場から英語教育を見るなら,英語の「落ちこぼれ」の問題はかなり解消するように
思われる。少なくとも,どの箇所が弱く,どの箇所が強いのかを同定することができるのである。
生徒が「できる」,「できない」の問題ではなく,生徒の知識や技能がどれだけ英語に近づいている
かという問題となるのである。
英語教育のカリキュラムも日本語との対比で行われることが望ましい。日本語の知識なら生徒は
持っているからである。英語教育で教える言語上の目標は,音声・文法・語彙・文化ということに
なるが,それらのうち,学習者が教師によって左右されるのは音声面であろう。従来のモデルは構
造言語学,変形文法,認知心理学,などいろいろと試みられたが.言語理論だけのおおまかなモデ
ル作成では,どうしても不十分である。
1990年代の英語教育は国際教育プログラム(international
education program)の一つとして
取り扱われるべきである。そのためには,まず,英語の体系をできるだけ単純化して日本語との共
通面や相違面を概念化させ,実際に,また実際の場面に近づけたコミュニケーション・ドリルにゆ
ったり時間を与えたい。
まとめ
1990年代の英語教育は主に4つの問題点の解決
が必要である。1つ目は,音声によるコミュニケ
ーションの力をどう培うかということである。そ
れに対する解答は,授業時間を性格付けし,特に
リスニング指導を焦点化した授業を行いたいとい
うことである。2つ目は,題材の問題である。1
つの言語題材を通してでも,世界的広がりに学習
者の目を向けさせ,言語の背景にある文化的バター
ンを理解させることがコミュニケーションの能力
を培うためにも必要である。第3は発想の転換で
ある。英語教育の目標としては外国の言葉だけを
教えるのではなく,外国語に秘められた感情や社
会的な機能までを取り上げなければならない。第
4はproblem−Orientedな外国語教育である。
生徒一人ひとりは貴重な存在で,いわば21世紀
からの使者である。学習上の困難点をできるだけ
すくなくし,現実の英語にでさるだけ能率的に到
達するような中間言語学的な学習プログラムが求
められている。英語教師が集まり,以上のような
問題の解決にディスカッションを行うワークショ
ップを全国各地また国際舞台で検討していく必要
があろう。国際的に立派に通用する英語を指導す
る調査研究が,より活発に行われることを望む。
(筑波大学教授)
<参考文献>
池浦貞彦 連載「これからの英語教育の課題」「英
語教育」開隆堂1991年4月号
大里文人 同上1991年5月号
土屋澄男 同上1991年6月号
松本青也 同上1991年8月号
松畑熙一 「英語授業学の展開」大修館書店1991年
英語教育・1991年10月号
文部省・学習指導要領/指導資料
unicef 「開発のための教育」
現代キーワード辞典
国際理解教育Q&A
3.まとめ
以上見てきたように、「グローバル・エデュケーション」の中学英語への位置づけは「国際理解教育」であり、外国語科としては「言語・文化に関する知識、理解」の観点である。さらに授業で具体的には、「題材重視の英語」として、教科書・教材の題材を計画的に工夫していくことである。とくに、国際理解教育が今後ますます多様化する社会にあって、その需要を増し必要に迫られてくると同時に生徒の「心の問題」が取り上げられてきている今日、国際理解教育を「グローバル・エデュケーション」とタイアップさせることは誠に重要なことと考えている。すなわち題材がGlobal
Issue的なものである必要がある。
英語授業で扱う題材自体が生徒に興味・関心・意欲を引き起こさせるものである必要があり、それは世界規模であって身近にも存在し、討論しやすく心の葛藤を伴うものである必要もある。その時英語は完全なツールとして生徒に認識されてくるのではないだろうか。
「グローバル・エデュケーション」の意識変革の活動を通して世界の中の日本を理解し、国際性豊かな生徒の育成につながっていくと私は思う。また、生徒はさまざまな世界規模の問題を垣間見、諸問題の解決を図る意欲を持ち始める。それは”ツールとしての外国語”の必要性を感じる瞬間でもある。必要性はやがて「やる気」となって外国語学習に還元されると私は信じている。
注:指導計画としての授業での位置づけは4.指導計画に載せている。