第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第25章
近代的植民理論



ここで扱われているのは、新大陸アメリカをはじめとする「処女地開拓」による植民をめぐる経済学的考察である。そのなかで、イギリス本国の経済学が隠蔽するか見過ごしている、資本主義的生産様式の特徴が、うきぼりになってゆく。

もっぱらわれわれが関心をもつのは、旧世界の経済学が新世界で発見し、声高く宣言したあの秘密――すなわち、資本主義的生産様式および蓄積様式は、したがってまた資本主義的な私的所有も、自己労働にもとづく私的所有の絶滅、すなわち労働者の収奪を条件とするということである。[802]

資本家への労働者の社会的従属……この絶対的な従属関係を、母国では経済学者は、買い手と売り手との――資本という商品の所有者と労働という商品の所有者との、同じくらい独立な商品所有者な商品所有者の――自由な契約関係だとなんとかごまかすことができる。しかし、植民地ではこの美しい妄想はずだずだに引き裂かれてしまう。そこでは多くの労働者が成人としてやってくるので、絶対的人口は母国でよりもはるかに急速に増加するが、それでもなお労働市場はいつも供給不足である。労働の需要供給の法則はこなごなに砕かれてしまう。一方では、旧世界が搾取に飢えて、禁欲を求める資本を絶えず投げ込んでくる。他方では、賃労働者としての賃労働者の規則的な再生産が、なんとも手に負えない、一部は克服もできない障害にぶつかる。……賃労働者の独立生産者への不断の転化、すなわち、資本のためにではなく自分自身のために労働し資本家の旦那ではなく自分自身を富ませる独立生産者への不断の転化……[797]

「……古い文明諸国では、労働者は自由ではあっても自然法則的に資本家に従属しているが、植民地では、この従属が人為的手段によてつくり出されなければならない」〔メリヴィル『植民および植民地にかんする講義』、第2巻、235−314ページの各所〕[798]

マルクスが実例としてあげている、この「人為的手段」の実態は、つぎのようなものである。

政府の職権で処女地に需要供給の法則にはかかわりのない人為的な価格をつけ、この価格のために、移住者は土地を買って独立農民になれるだけの貨幣をかせげるまでには、いまよりもっと長期間賃労働に従事せざるをえないとしよう。他方、政府は、賃労働者にとって相対的にはほとんど手が出ないほどの高値で地所を売ることから生じる基金、すなわち神聖な需要供給の法則の侵害によって労賃からしぼり取られるこの貨幣基金を、それがふえるのと同じ割合でヨーロッパから植民地に貧民を輸入し、資本家の旦那のため、彼の賃労働市場をいっぱいにしてやることに利用するとしよう。……これが「組織的植民」の大きな秘密なのである。[800]

国家によって裁定される土地価格は、もちろん「十分」(“十分な価格”)でなければならない。すなわち「労働者たちにとって、他の人々が現われて、賃労働市場で彼らに取って代わるまでは彼らが独立農民になるのをさまたげるほど」高くなければならない。この「十分な土地価格」というのは、労働者が賃労働市場から田園に引退する許可料として資本家に支払う身代金を婉曲に言い換えたものにほかならない。労働者は、まず、資本家の旦那がより多くの労働者を搾取しうるように「資本」をつくってやらなければならず、次には、労働市場に自分の「身代わり」を立てなければならないのであって、この身代わりを、政府は、労働者の負担で、彼の昔の主人であった資本家のために海を越えて送ってくるのである。[800-801]

この人為的手段は、実際、アメリカ合衆国だけではなく、イギリス領である他の植民地に適用されたのであったが、結果として、合衆国への移民投入が加速された。これらの植民地への移民の大量移入は何をもたらしたか。

年々歳々アメリカに向けて追い立てられる巨大な途切れることのない人間の流れが、合衆国の東部に停滞的な沈殿を残す。というのは、ヨーロッパからの移民の波は、西部への移民の波が彼らを一掃しうるよりも急速に東部の労働市場に人間を投げ込むからである。他方では、アメリカの南北戦争は、その結果として、莫大な国債、それとともに租税負担、もっとも下劣な金融貴族の創造、鉄道や鉱山などの開発のための投機会社への公有地の巨大部分の贈与――要するにもっとも急激な資本の集中をともなった。こうして、この大共和国は、移民労働者にとっての約束の地ではなくなった。[801]

イギリス政府による貴族や資本家への植民地の未耕地の恥知らずな捨て売りは、ことにオーストラリアでは、“金鉱採掘”によって引き寄せられる人間の流れや、イギリス商品の輸入が最小の手工業者にも仕掛ける競争と相まって、十分な「相対的過剰労働人口」をつくり出しているのであって、ほとんど毎回の郵便汽船がオーストラリア労働市場の供給過剰――glut of the Australian labour-market――という凶報をもたらすほどであり、そこでは売春が、所によってはロンドンのヘイマーケットにも劣らず繁盛しているのである。[801-2]



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