第1部:資本の生産過程
第7篇:資本の蓄積過程
第22章:剰余価値の資本への転化
ブルジョア経済学にとって決定的に重要だったことは、資本蓄積を第一の市民的義務であると布告し、出費するよりも多くのものをもたらす追加的な生産的労働者を獲得するために収入のかなりの部分を支出することをしないで、収入の全部を食い尽くしてしまうのでは、蓄積はできない、と倦むことなく説教することであった。……貨幣を流通しないように秘蔵することは貨幣を資本として増殖するのと正反対であり、蓄財的意味での商品蓄積はまったく愚かなことである。[615]
したがって、古典派経済学は、不生産的労働者によってではなく生産的労働者によって剰余生産物が消費されることを蓄積過程の特徴的契機として強調する限りでは、正しい。[615]
しかし、古典派経済学の誤りは、追加資本のすべてが、可変資本になると結論づけたことにあった。より厳密に言えば、
純生産物のうちから資本に転化される部分がすべて労働者階級によって消費される[617]
という命題である。すなわち、
各個別資本は不変的構成部分と可変的構成部分とに分かれるとしても、社会的資本はただ可変資本のみに帰着する……。たとえば、ある織物工場主が2000ポンド・スターリングを資本に転化するとしよう。彼は、この貨幣の一部分を織布工の雇い入れに支出し、他の部分を毛糸や毛織機械などに支出する。しかし、彼が糸や機械を買う相手の人々は、さらにその代金の一部をもって労働に支払い、こうして同様のことがつぎつぎに行なわれ、ついには、この2000ポンド・スターリングの全部が労賃の支払いに支出される、すなわちこの2000ポンド・スターリングで代表される生産物の全部が生産的労働者によって消費され尽くす[616]
という主張である。
アダム・スミスを筆頭に、リカードウやミルら、後継者たちが見誤った、社会的総資本についての分析について、マルクスは、その混迷の要因を、つぎのように指摘している。
年総生産の元本のみに注目する限り、年々の再生産過程は容易に理解できる。しかし、年生産のすべての構成部分が商品市場にもち出されなければならないのであって、そこから困難が始まる。個別諸資本と個人的諸収入の運動が、全般的な場所変換――社会的富の流通――では交錯し、混雑し合い、消失するのであり、この全般的な場所変換が見る目を混乱させ、非常にもつれた課題の解決を研究に提起する。[617]
古典派経済学の天才たちも、現実の資本の運動の諸連関に幻惑され、からみあった諸連関の背後にある資本の運動の本質に迫りきることができなかったのだった。それは、彼らの研究・分析方法に、“ボタンのかけちがい”があったからかもしれない。そのひとつは、マルクスが注(32)で指摘している“荒唐無稽なドグマ”――「商品の価格が労賃、利潤(利子)、および地代から、すなわち労賃および剰余価値のみから構成されている」([617])――という命題である。
マルクスが、この篇、第7篇の「序論」部分で、「資本の蓄積過程」をめぐる分析・叙述姿勢について、念の入った解説を行なっていたが、その分析・叙述方法に、混迷をさけるための重要なカギがあったのだ。
前節、第22章第1節で、マルクスが分析していたように([606])、社会的総資本は個別諸資本の総額であり、この社会的総資本がその年のうちに転化する、その年の総生産物は、市場にもち込まれるまえに、すでにその総生産物自身のうちに、不変資本価値部分と可変資本価値部分と剰余価値部分とを内在させている。
市場における経過は年生産の個々の構成部分を売買させるだけで、それらを一方の手から他方の手に移しはしても、年総生産を大きくしたり、生産された物の本性を変えたりすることはできない。[606]
もちろん、年総生産全体を、総体として見るから、このような分析が可能なのであって、実際の資本の運動は、年という単位よりも短いサイクルで、より複雑な経過をたどっている。マルクスは、叙述の構成上、別途、篇をもうけて、その全容についての考察を行なっている(第2部第3篇)。そこで、かの「ケネーの経済表」が登場するらしいことが予告されている。
第2部、第3篇において、私は、現実的連関の分析を行なうであろう――流通から出てくるさいの姿態で年生産の形象を示すという試みを彼らの“経済表”のなかではじめて行なったことは、重農主義者の大きな功績である。[617]