第1部:資本の生産過程
第3篇:絶対的剰余価値の生産
第8章:労働日
第5節から第7節にわたって、資本主義的生産の内的衝動による際限のない1労働日の延長に制限をくわえるための、長いながい、労働者たちのたたかいの歴史が考察されている。このたたかいの意義について、第7節の末尾の部分で、マルクスはつぎのようにのべている。
わが労働者は生産過程にはいったときは違うものとなって、そこから出てくるということをわれわれは認めなければならない。市場では、彼は、「労働力」商品の所有者として他の商品所有者たちと相対したのであり、商品所有者が商品所有者と相対したのである。労働者が自分の労働力を資本家に売るときに結んだ契約は、彼が自分自身を自由に処分するものであることを、いわば白い紙に黒い文字で書きとめたようにはっきりと証明した。取り引きが終わったあとになって、彼は「なんら自由な行為者ではなかった」こと、彼が自分の労働力を自由に売る時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間であること、実際に、彼の吸収者は「一片の筋肉、一本の腱、一滴の血でもなお搾取することができる限り」手放しはしないことが暴露される。自分たちを悩ます蛇にたいする「防衛」のために、労働者たちは結集し、階級として一つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれることを彼らみずから阻止する強力な社会的防止手段を、奪取しなければならない。「譲ることのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というつつましい“大憲章”が登場する。それは「労働者が販売する時間がいつ終わり、彼ら自身のものとなる時間がいつ始まるかをついに明瞭にする」。[319-320]
資本主義的生産においては、制限がくわえられなければ、1労働日は際限なく延長される。それが労働者の正常な発育や精神的発達を阻害しても関係なく。当然、労働者の労働力の発現は、このような労働過程に身をおいているかぎり、日に日に萎縮していき、もしくは、労働者自身の寿命を縮める。
労働力の確保は資本主義的生産において不可欠であり、労働者の数が減っていくか、あるいは労働者の発現する労働力が小さくなればなるほど、資本家の期待する生産過程を維持するのが困難になるから、マルクスのいうように
資本はそれ自身の利害によって一つの標準労働日を指向させられているかのように見える。[281]
しかし、これはあくまで「そうであるかのように見える」だけである、ということを、つづけてマルクスは考察している。その地域内、あるいは、その国のなかだけで考えれば、資本主義的生産は、みずからの存立基盤である労働力をみずからの内的衝動によって食いつぶしていくことで、上述したような困難をかかえることになる。しかし、その地域の外部、あるいは国外からの労働力の補填によって、その困難は打開されるのである。マルクスが例示するのは、アメリカにおける黒人奴隷労働のためにアフリカ大陸からつぎつぎに“投入”される労働力について。さらに、イギリス・ロンドンの製パン業に“命がけの志願”をするドイツなどからの労働力の集中、あるいは、イングランド南部の農村からマンチェスターへの労働力の移入などである。
『ベリー・ガーディアン』紙は、英仏通商協定の締結後は、1万人の追加の人手が吸収されうるであろうし、やがてさらに3万人か4万人の人手が必要となるであろうと嘆いた。人肉取引の周旋人と下請周旋人が1860年に農業地方をあさり回ってほとんど成果をあげられなかったが、そのあと、「1人の工場主代表が救貧局長のヴィラ―ズ氏にたいし、救貧院労役場から貧児と孤児とを供給することをふたたび許可されたいと請願した」。[283]
この部分を読んで思い浮かべたのは、『赤毛のアン』の主人公がマリラやマシューと出会うまでの生い立ち、『ジェイン・エア』の主人公の半生である。
国内の“過剰人口”を食いつくしたのちに、資本は、国外の“過剰人口”に目をつけるわけである。この場合の“過剰人口”というのは、彼らの労働力が資本主義的生産において発現されていない、あるいは、生産過程に投入するには効率が悪い、という意味においてのみ、そう資本から判断されているのである。その地域社会の住民、その国の国民の健康と寿命にはいっさい無頓着な資本主義的生産の内的衝動は、地域や国の枠を乗り越えて、その内的衝動のおもむくままに、精神的肉体的疲弊を広げていく。内的衝動が制限されないかぎり、結局、ある時期がくれば、世界中の労働力人口が、資本にとって無意味な存在になるところにまで行き着いてしまうだろう。しかし、それまでにはまだ間があると、資本家諸氏はみながみな考えるのである。「私の目の黒いうちにはまだそういう日は来ない」と。
どんな株式思惑においても、いつかは雷が落ちるに違いないということはだれでも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め安全な場所に運んだあとで、隣人の頭に雷が命中することをだれもが望むのである。“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。……しかし、全体として見れば、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家にたいして外的な強制法則として通させるのである。[285-6]
興味深いのは、企業家自身のなかに、“国家による強制介入”の必要性を訴えている例が、すでにマルクスの時代に存在したことである。
それゆえ、たとえばわれわれは、1863年のはじめに、スタッフォードシャーに広大な製陶工場をもつ26の商会……が、ある陳情書のなかで「国家の強制的介入」を請願しているのを見いだすのである。「他の資本家たちとの競争」は、自分たちが児童の労働時間を「自発的に」制限することなどを許さない。「それゆえ、いくらわれわれが上記の弊害を嘆いたところで、工場主たちのあいだでのなんらかの種類の協定によってそれを阻止することは不可能であろう。……これらすべての点を考慮した結果、われわれは強制法が必要であると確信するにいたった」(『児童労働調査委員会、第1次報告書、1863年、322ページ』)。【注114】[286]
資本が萌芽状態にあり、資本がやっと生成したばかりで、したがってまだ単なる経済的諸関係の強力だけによってではなく、国家権力の助けをも借りて十分な分量の剰余労働を吸収する権利を確保するような場合[286-7]
イギリスにおいてこのような時期は、14世紀中葉から17世紀末までであったと、マルクスは考察している。その時代の規制法は、労働日を「強制的に延長しようとする」。賃労働という搾取形態が社会的に一般化するためには、すなわち資本主義的生産様式が発展し、労働者が彼の労働能力を売るように社会的に強制されるようになるまでには、数世紀を要した。その結果、労働時間の強制的延長は、労働者の肉体的ギリギリの限界にまで達した。
それゆえ、14世紀中葉から17世紀末まで、資本が、国家権力の助けを借り大人の労働者たちに押しつけようとする労働日の延長が、19世紀の後半に、子供たちの血が資本に転化するのを防ぐために国家がときおり設ける労働時間の制限とほぼ一致するのは当然なのである。こんにち、たとえば、最近まで北アメリカ共和国のもっとも自由な州であったマサチューセッツ州において、12歳未満の児童の労働の国家的制限として布告されているものは、イギリスでは、まだ17世紀中葉には、血気さかんな手工業者、たくましい作男、および頑健な鍛冶屋の標準労働日だったのである。[287]
労働日を延長しようとする資本の側の意図的な努力がはじまっていたこの時代に、典型的な2つの思想潮流があった。まだ、資本が、労働者を週賃金でまるごと1週間拘束しきれていなかった時代、つぎのような議論がなされていたという。労働者が、4日間の賃金で7日間生活することは労働者を怠慢にする、という論と、労働効率をあげるためには強制的労働から解放される時間が必要だ、という論である。
週の7日目を休日とすることが神の摂理であるとみなされるならば、このことは、他の週日が労働に属することを含むのであり、神のこのおきてを強制することが残酷だととがめるわけにはいかない。……人間は一般に生まれつき安楽と怠惰を好むのであり、このことについて、われわれは、生活手段が高騰する場合以外には平均して週に4日以上は労働しないわがマニュファクチュア細民の行動から、不幸にも経験させられるのである。……1ブッシェルの小麦が労働者のすべての生活諸手段を代表し、その値段が5シリングであって、労働者が、その労働によって毎日1シリングかせぐとしよう。そうすれば、彼は週に5日だけ働けばよいし、1ブッシェルが4シリングならば、4日だけでよい。……しかし、この王国の労賃は生活諸手段の価格と比べてはるかに高いから……マニュファクチュア労働者は4日間働いて、週の残りを遊んで暮らす余分な金をもつことになる。……おそらく総人口の8分の7がわずかしか、あるいはまったく財産をもっていないわが国のような商業国家において、“群衆”を増長させることは、きわめて危険である。わが工業貧民たちが、いま4日間でかせいでいるのと同じ金額で甘んじて6日間労働するようになるまでは、治療は完全ではないであろう。【『工業および商業にかんする一論。租税にかんする諸考察を含む』、ロンドン、1770年、69ページ】[291-2]
労働者(“よく働く貧民”)が5日間で、生活するのに十分なものを受け取ることができるならば、彼はまる6日間も働こうとしはしないというあまりにも多くの人々の口にのぼる陳腐な言い方に注意を払わざるをえない。……彼らは、手工業とマニュファクチュア労働者とに休みなしの週6日間の労働を強制するため、租税その他なんらかの手段によって生活必要品をさえも騰貴させる必要があると結論する。……彼らは、「“働かせるだけで全然遊ばせない”」とうすのろになる、という諺を忘れている。イギリス人たちは、これまでイギリス商品に一般的な信用と名声を与えてきた彼らの手工業者とマニュファクチュア労働者との独創性と熟練とを自慢にしているのではないのか? これはどんな事情のおかげであったか? おそらく、わが労働人民が自分なりにうさばらしをするそのやり方のおかげ以外のなにものでもないであろう。もし彼らが、1週間にまる6日間、絶えず同じ仕事を繰り返しながら、1年中働き通すことを強制されるならば、このことは彼らの独創性をにぶらせ、彼らを機敏かつ熟練にするのでなく愚鈍にするのではなかろうか? そしてわが労働者たちは、そのような永遠の奴隷状態の結果、その名声を維持するどころか失ってしまうのではなかろうか?……彼らの多くは、フランス人が5日または6日間かかるのと同じ仕事を4日間でする。しかし、もしイギリス人たちが永遠の苦役労働者であるべきだとすれば、彼らはフランス人以下に退化するおそれがある。……なぜ、わが手工業者とマニュファクチュア労働者たちとの優れた独創性、精力、および熟練が、彼らが自分なりのやり方でうさばらしをする自由のおかげであってはならないのか? 願わくは、彼らがこれらの特権を決して失うことのなからんことを、また彼らの労働技能の、同時にまた彼らの勇気の源泉となっているよき生活を決して失うことのなからんことを!【ポスルスウェイト、『商工業百科事典』への補遺および『大ブリテンの商業的利益の説明および改善』、第二版、ロンドン、『第一諸論』、14ページ】[290-1]
労働時間の強制的延長が、労働者の肉体的限界まで達し、労働力の保持のためにあまりの延長の強制に歯止めをかけざるを得なくなる時期が到来した。