第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第8章:労働日

第3節
搾取の法的制限のないイギリスの産業諸部門



この節では、『資本論』第1部発行当時に、工場立法の対象外であるか、その当時ごく最近までそうであった産業部門の実態について考察されている。ここで紹介されている産業は、レース製造業、製陶業、マッチ製造業、壁紙製造業、製パン業などである。そして、農業労働者と鉄道労働者、婦人服仕立女工と鍛冶工などの労働実態も紹介されている。

ここでマルクスが依拠している資料は、官公文書である『児童労働調査委員会報告書』『公衆衛生報告書』と、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』、新聞や雑誌の記事などである。工場立法がまず制限したのは、児童労働と女性労働だったが、法的制限からのがれていた産業部門においては、この児童労働や女性労働の過酷さは凄まじい。成人男性労働者にいたっては、工場立法適用産業においても、実質上はその規制外におかれているものがほとんどであるから、規制がない産業では、1労働日は際限なく延長されている。ここでは、資本主義社会における剰余労働の追求がなんの制限も受けない場合の、人間の人格形成や生命の維持成長への影響が、どのような段階にまで達するものであるかを暴露している。

これらの産業部門の労働者に共通しているのが、不衛生な労働環境と超長時間労働などの過度労働による、発育不全と早期死亡、家庭生活の破綻である。また、製パン業など食品産業における不純物混和の凄まじさなども言及されている。

レース製造業に従事している人たちのあいだでは……9歳ないし10歳の児童たちが、朝の2時、3時、4時に彼らのむさくるしいベッドから引きずり出され、露命をつなぐだけのものを得るために夜の10時、11時、12時まで強制的に働かされ、その間に彼らの手足はやせほそり、彼らの体格は萎縮し、彼らの容貌は愚鈍な表情になり、彼らの人間性は、石のような無感覚状態にすっかり硬化して、見るだけでもまったくぞっとするほどである。……この制度は、……無制限的な奴隷状態の制度、社会的、肉体的、道徳的、知的な点で奴隷状態の制度である。……成年男子たちの労働時間が1日18時間に制限されるべきであるという請願を行なうために公開の集会を催す町があることを、どう考えたらよいであろうか。【ロンドン『デイリー・テレグラフ』、1860年1月17日付】[258]

陶工たちは、男子も女子も、一つの階級として、肉体的にも精神的にも退化した住民を代表する。彼らは、通常、発育不全で、体格が悪く、しばしば胸が奇形化している。彼らは早くから老い込んで短命である。彼らは無気力で血の気がなく、彼らの体質の虚弱さは、消化不良、肝臓・腎臓障害、リウマチという痼疾にかかることで示される。しかし、とりわけ彼らは、肺炎、肺結核、気管支炎、喘息といった胸部疾患にかかりやすい。ある型の喘息は彼らに特有のものであって、陶工喘息または陶工肺結核の名で知られている。……この地方の住民の退化がもっとひどくならないのは、もっぱら周辺の農村からの補充と、より健康な種族との結婚のおかげである。【『児童労働調査委員会、第1次報告書』、1863年6月13日付】[260]

フランスの化学者シュヴァリエは、商品の「“混じりもの製造”」にかんする論文のなかで、彼が検査している600いくつかの品目の多数について、10種、20種、30種のさまざまな不純物混和の方法を数え上げている。彼は、自分がすべての方法を知っているわけではなく、また自分が知っているすべての方法に言及しているわけでもない、とつけ加えている。彼は、砂糖については6種、オリーヴ油については9種、バターについては10種、塩については12種、ミルクについては19種、パンについては20種、ブランデーについては23種、小麦粉については24種、チョコレートについては28種、ワインについては30種、コーヒーについては32種などの不純物混和の仕方をあげている。主なる神でさえ、この運命をまぬがれない。ルアール・ド・カル『聖体の偽造について』、パリ、1856年、を見よ。(注76)[264]

これらの労働実態、産業部門の実態は今日的問題として重なりあうものが多い。食品産業における“混和”問題などは、日本ハムの輸入肉詐称販売をめぐる一連の事件や、雪印乳業で発覚した廃棄乳の使いまわし事件などを思い浮かばせる。また、次に引用する鉄道事故多発をめぐる鉄道労働者の労働実態の暴露は、最近、日本国内で多発している運送トラックによる事故などをめぐる労働者の労働実態とも重なりあうものがある。

機関士と火夫の注意力が一瞬でもゆるめば、その結果どうなるかはだれもが知っている。それにしても、ひどい荒天のなかで、中休みも休養もなしに際限なく労働が延長される場合、どうしてそれ以外のことが起こりえましょうか? 毎日起こっている例として、次の場合をあげましょう。この月曜日、1人の火夫が夜明け早々に1日の仕事を始めました。彼は14時間50分後に仕事を終えました。お茶を飲む暇さえなく、彼はまた新たに仕事に呼び出されました。……彼は29時間15分、休みなしに苦役を続けねばならなかったのです。彼の1週間の仕事の残りは以下のように組まれていました――水曜日15時間、木曜日15時間35分、金曜日14時間半、土曜日14時間10分、この週の合計は88時間30分。そこで、彼が6労働日分の支払いしか受けなかったときのおどろきを想像してください。この男は新米だったので、1日の仕事とはどれだけのことを言うのかと質問しました。答えは13時間、したがって週あたり78時間ということでした。では、10時間30分の余分な時間にたいする支払いはどうなっているのか? 長い口論のすえ、彼は10ペンスの手当を受け取ったのです。【『レイノルズ・ニューズペイパー』、1866年2月4日付】[268]

ロンドンのある大陪審の前に3人の鉄道労働者、すなわち車掌、機関士、および信号手が同時に立っている。ある大きな鉄道事故が数百人の乗客をあの世に送ったのである。鉄道労働者たちの怠慢が事故の原因である。彼らは陪審員たちの前で異口同音にこう言明している。10年ないし12年前には、自分たちの労働は1日にたった8時間にすぎなかった。最近の5、6年のあいだに、労働は14、18、20時間へしゃにむに引き上げられ、また行楽専用列車の時期のように旅行好きな人々がとくに激しく殺到する場合には、労働は、しばしば中断なしに40―50時間続く。彼らは普通の人間であって、キュクロープスたちではない。ある時点では、彼らの労働力は役に立たなくなる。感覚麻痺が彼らを襲う。彼らの脳は考えることをやめ、彼らの目は見ることをやめる、と。[267-8]

マルクスがこの節のさいごに紹介している「調査報告」のなかに印象的な一文がある。

人間のほとんど本能的な一技術であってそれ自体としては非難すべき点のない職業が、単に労働の過重というだけのことで人間の破壊者になる。【リチャードスン博士「労働と過度労働」。所収、『社会科学評論』、1863年7月18日号、476-7ページ】[271]



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