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 Chapter 42 手賀沼のあちらとこちら(未定稿)

42−1 餅は餅屋,鳥は鳥屋


 さて,手賀沼の対岸の,手賀の丘少年自然の家との共催イベントも,2005年度は,06年2月の冬鳥観察会が最後となる。今年度は,野鳥観察などが絡む観察会だけを共催し,それ以外の観察会は少年自然の家の単独主催と言う棲み分けで進めてきた。イベント名は,先方のネーミングにより「来た,来た,冬鳥くん」……2月の開催だから,冬鳥が「来た」と言うよりは,そろそろ帰る準備をしているのだが,「冬鳥観察会」であることには変わりが無いので,まぁいいか。この観察会,我孫子で開催案内を出すときは「あびこ自然観察隊」の名前を被せて参加者を募っている。言うなれば,飛行機のコードシェア便みたいなものか。会場も集合場所も少年自然の家だが,観察案内は鳥の博物館から人を出す,と言うスタイル。「鳥のことは鳥の博物館に任せよう」と言うことでもあるようだ。
 観察の中身についての事前打ち合わせも,あまり行っておらず,正直,博物館のイベント事業が活発になってきたので,共催観察会の準備に割く時間が不足しがちな面もある。1月に入ってから,この観察会の具体的内容の検討をしようと学芸員にたずねてみたところ,斉藤さん曰く,「トラディショナルなスタイルの探鳥会でもいいんじゃないかな」……と。
 ハッを思った。
 あ,そうか。我々はこれまで,「トラディショナルな探鳥会」からの脱皮を図るべく,鳥の博物館ならではのイベントの形を模索してきたのだ。それは順調に進んでいるのだが,やはり,日本野鳥の会の作った探鳥会のスタイルは,全国津々浦々にある野鳥の会の支部はもとより,野鳥の会とは直接に関係のない野鳥関係の団体においても,今もなおスタンダードとして実践されているわけで,こういう観察方法に違和感を感じない人のほうが多いのかも知れない。手賀の丘でも,「探鳥会」と言えば,野鳥の会スタイルを期待しているのかも知れない。いや,もっとハッキリ言ってしまえば,野鳥の会スタイル以外の探鳥会を思いつく人のほうが,はるかに少数派なのではなかろうか。そのぐらい,「探鳥会と言えば日本野鳥の会」なのである。野鳥の会スタイルに準拠した形の探鳥会を提供するのは,ある意味,定型的な作業ので,楽と言えば楽なのだが…。

42−2 やはり下見は怠らず…


 とは言うものの,こちらも「市民スタッフ」が新たに加わって1年目。手賀の丘の事情を知らないスタッフも少なくない。下見はしておきたい。日程がなかなか取れない中,2月の定例探鳥会「てがたん」が終わった後,その日の午後に,下見をすることに。

 下見部隊は総勢6名。博物館のワゴン車で少年自然の家へ。とりあえず先方の担当者に挨拶。あちらからは下見会に出てくる人はいない模様。博物館のスタッフだけで,当日の観察コースに沿ってひと回り。少年自然の家から手賀沼の南岸に向かう途中,手賀の丘公園の森を通り抜けるのだが,ここで,森林性の野鳥が結構観察できる。ルリビタキを見かけたり,エナガの群れに出会ったり。「冬鳥観察会」は,水辺のカモ類の観察を想定した設定だが,森の中にもさまざまな「冬鳥」がいる。これも観察会に組み込んでしまおう。また,途中の道に,カマキリの卵やイラガのまゆ,泥団子のようなスズバチの巣なども見つかり,「生き物の冬越し」も見せたいね,と欲が出てくる。スタッフの誰もが,鳥を見つけて名前や特徴を教えるだけではもったいない,と思っていた。
 ……ああ,やはり,これが「鳥博スタイル」なんだな。鳥の博物館独自のスタイルの観察会を模索しているうちに,すっかり,「野鳥の会スタイル」の探鳥会とは別の世界を見るようになっていたのだ。たとえ「探鳥会」と名乗っていても,鳥だけを追いかけて観察するのではなく,「鳥」を観察の出発点にして,この土地の自然環境と,そこに住むさまざまな生き物たち,そして私たち地域住民とのつながりの見えてくる観察案内を目指し,地域の自然環境や自然史をしっかり紹介し,地域に根ざした観察会を作りたいと言う思いが,いつの間にか,我々の観察会作りの基準になっていたのだ。

 それにしても,下見は面白いし勉強になる。観察会の「本番」では,人に教えたり,安全管理や時間管理に気を使ったり,さまざまな作業が入ってくるので,純粋に自然観察をしながらディスカッションを進める下見会のほうが,「本番」よりも圧倒的に中身の濃い観察をしているのだ。それに,スタッフ間の意思疎通を図るのも,下見会の重要な目的。本番に向けた打ち合わせ以外にも,お互いの自然観察や自然保護,環境教育に関するビジョンなども見えてきて,とても勉強になる。
 観察会で10のことを人に伝えようと思ったら,10だけ予習すれば良いのではなく,20,30,場合によっては100ぐらいの情報を,バックグラウンドとして持っているのが普通だ。観察会の「本番」では表に出てこない知識や情報があることで,観察案内をするときに,より分かりやすく,面白く伝えることが出来るし,何より,語り手の自信に繋がる。だから,下見会では本番の内容の2倍,3倍の情報を調べ,学ぶ。下見のほうが面白くて勉強になる,と言われる所以である。本当に観察会を楽しみ,自然観察について学びたいのなら,絶対に「作る側」の立場に立ってみて欲しい。「参加者」としてあちこちの観察会に遊びに行くよりも,はるかに沢山のものが得られることだけは間違いが無い。鳥の博物館なら,作る側のスタッフの中に,いろいろな得意分野を持ったプロやプロ級の人がさりげなく入っているから,さまざまなことが学べる。

 下見を,単なる打ち合わせだと思って,軽視してはいけない。有能な自然解説者は,下見会で育ってゆくと言っても過言ではない。

42−3 丸投げ?全然構いません!


 観察会当日。我孫子側で予約した参加者は,30名ほど。博物館前の駐車場に集まって,少年自然の家のバスで,現地へ。現地集合の人を加えて,40名ほどの参加人数。鳥の博物館のスタッフだけで,十分に賄える人数だ。少年自然の家の施設ボランティアの人も合流し,参加者と案内役の人数比は4:1を少し切るくらいだ。1980年代の「バードウォッチング・ブーム」のときに,50人,100人の参加者を相手に喋った経験のある私には,涙が出るほど恵まれた条件だ。これは参加者にとっても,担当にとっても,とても幸福なことだ……。
 例によって,最初の挨拶は少年自然の家から。相変わらず「学校」っぽい雰囲気。しかし,観察に入ってしまえば,完全に鳥の博物館のスタイル。先方も,「鳥のことは鳥の博物館にお任せしよう」と言う空気が漂っている。もちろん,観察案内に関して丸投げされたって,全く問題は無い。しかも,こちらの観察案内は,「鳥」だけにとどまらない。「鳥を見せてもらいに来た」と言う程度の参加動機で来た人には,良い意味で,期待を裏切る多彩な内容の自然観察が楽しめると思う。

#本当に鳥にしか興味が無い,と言う人には,「余計なことを説明しなくてもいい」と言われるかも知れないが……。

 観察案内をしていて,結局,多くの参加者の興味を引き付けていたのは,本来はメインであるはずの手賀沼沿いの野鳥観察に本腰を入れる前の段階だった。森林性の小鳥として,キクイタダキやルリビタキなど,ちょっと珍しい鳥が見られたことも幸いしたが,森や耕作地周辺の観察では,鳥と他の生き物のつながり,人と生き物のつながりなどが,より強く印象付けられるものだった。下見で見つけておいたネタが活きている。逆に,手賀沼を見渡す場所で,水鳥や猛禽などを望遠鏡でたどる作業は単調で,子ども達はこの辺りから飽きてきた。作業が単純になったことに加え,生き物との距離が遠いのも,子ども達が飽きる原因の1つだ。こういうときは,足元の植物や昆虫を探したり,草花遊びなどでフォローするのだが,観察会の目的や環境教育効果と言う点では,森の中や田畑の脇での観察には及ばない面もある。

 前半の観察が盛り上がってしまったので,後半は時間にも追われる形となり,子ども達が飽きたのに乗じて,さらりと終わらせてしまった。まぁ,これ以上野鳥観察を引っ張っても,あまり効果は無いだろうし,野鳥も存分に観察できたし(後でまとめたら,47種類の鳥を見ていた)。

 「まとめ」の時間が十分に取れなかったので,バスで我孫子に帰る人は,帰りのバスの中で,観察したものについて,簡単な「まとめ」をやった。本来なら,これも時間内に終わらせておくべきだったのだが,バスの中は暖かくて話も聞きやすかったし,担当2名でジョークも交えて笑いを取りながら,和やかに「まとめ」の話を進めた。ちょうど乗車時間内に,きっちり話をまとめたので,トータルでは,このやり方のほうが印象に残ったのではないだろうか。車で参加した人には申し訳なかったが……。

 さて,すっかり「サブ担当」になってしまった,少年自然の家の施設ボランティアの人たちだが,この観察会は,後日,新たな展開を生むことになる。

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