<市振>
(いちぶり)新潟県糸魚川市(旧・西頸城郡青海町

旅行日 '95/12 '97/12

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 天下の難所、親不知・子不知(おやしらず・こしらず)。「親も子を見かへるいとまなく、子も親に尋ぬるに隙(ひま)なきとて、ここを親不知・子不知と名付けたり」
 昔の旅人は潮の引いた時、断崖絶壁下のわずかな幅の道を、打ち寄せる波を避けながらおそるおそる歩いてゆきました。
 現在でもここは難所です。国道8号を歩いていってみましょう。恐らく死ぬ思いをすることでしょう。うち寄せるのは「クルマ」の波なのですが・・。


 爆走するダンプやトレーラーを避け避け、やっとの思いで親不知・子不知を越えると市振(いちぶり)の宿。なぜかここはまだ越後の国(新潟県)。
 かつての宿場の入り口には、二方に伸びる松の木が。ボクら旅人の心をくすぐります。現在は山側に国道と高速道路とが通っていますから、町中を走るクルマもほとんどなく静かそのもの。


 さて芭蕉さん。市振に着いたのは七月十二日(陽暦8月26日)。
 宿では、新潟からきた二人の遊女と泊まり合わせます。二人は遠く伊勢へと参詣に向かう途中。彼女らは「女二人だけでは心細いので、お坊さま(芭蕉を僧侶だと思い違いしている)の跡をついて行きたい」と懇願しますが、芭蕉はこれを断らざるを得ません。
 断りはしたものの「あわれさ、しばらくやまざりけらし」と、薄幸な遊女の身の上に同情し、彼女らの行く末を案ずるのでした。
 もっともこの件、フィクションであるというのが学界での定説だそうです。


続いて、芭蕉の句(↓)へ。



<芭蕉の句>

 一家に 遊女も寝たり 萩と月

ひとつやに ゆうじょもねたり はぎとつき)

<句意>
(私と同じ)一軒の宿屋に遊女も泊合わせたことだ。(おりから秋の庭には)萩の花が咲いており、それを月が照らしている。

三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より

 写真は芭蕉が泊まった「桔梗屋」のあった場所、といわれているところ。



<ギャラリー>

親不知駅付近の高速道路
背中の荷物が公衆電話になっている
市振・長円寺の芭蕉句碑

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