<出雲崎>
(いずもざき)新潟県三島郡出雲崎町
旅行日 '96/3
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出雲崎(いずもざき)は日本海に面した小さな町。かつては北国街道の宿場町で、6kmも続くという家並みが往時を偲ばせます。
海を隔て佐渡ヶ島まで50kmあまり。出雲崎は佐渡金山の金の陸揚げ港としても栄えました。
右写真で海岸線の行き着く先にうっすらと見えるのは弥彦山。ここではお見せできませんが、真向こうに佐渡ヶ島がデンと横たわる姿を望めます。
出雲崎は良寛(りょうかん)(1758〜1831)生誕の地。良寛は芭蕉よりも百年あまり後の人で、歌を詠み、書をしたため、一生清らかに暮らした和尚として有名・・、だそう。最近映画にもなりました。
町と日本海とを見下ろす丘陵上に「良寛(りょうかん)記念館」は建ち、良寛の書画やゆかりの品々が展示されています。
写真は記念館前に建つ、子どもたちと遊ぶ良寛さんの像。
翁が出雲崎に宿したのは七夕も間近の七月四日(陽暦8月18日)のこと。左写真は、芭蕉が宿泊したと伝えられる「大崎屋」の跡。間口が狭く、奥行がいじょうに長い建物は、宿場としての歴史を感じさせます。
鼠ヶ関から市振まで、芭蕉の越後路は苦労の連続でした。夏の暑さは甚だしく、歩くにも難儀するし、宿に泊まろうにも断られたりするし・・。
暑湿(しょしつ)の労に、神(しん)をなやまし病おこりて、事をしるさず
『奥の細道』本文のなかで、越後路についての記述はわずかです。そこにあげられた二句が大海に浮かぶ佐渡ヶ島のごとく、凛乎としているのです。
続いて、芭蕉の句(↓)をどうぞ。
<芭蕉の句>
文月や 六日も常の 夜には似ず
(ふみづきや むいかもつねの よにはにず)
<句意>
(初秋)七月となった、(いよいよ明日は牽牛<けんぎゅう>・織女<しょくじょ>の二星が会う夜だと思うと)六日の夜もふだんとは違って華やいだ気分に感じられることである。
ここではもう一句紹介します。
荒海や 佐渡によこたふ 天河
(あらうみや さどによこたう あまのがわ)
<句意>
(眼前の日本海には)荒波が立ち騒ぐ。(その彼方には幾多の悲しい歴史を秘めた)佐渡島があり、(仰ぎ見る七夕の夜空には、今宵、二星が相合うという)天の川が横たわっている。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より
右は記念切手『奥の細道シリーズ』(全10集40枚)より。壮麗な情景が描かれています。
佐渡は古くからの流刑地。順徳院、日蓮、日野資朝(すけとも)、世阿弥などが罪人として島に流されています。一年に一度、牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)が出逢うという七夕の夜、遠い異郷の地にある孤独な流人は何を思うのでしょう。
この句の詠まれた地についてはいくつか説があり、はっきり定まりませんが、右に日本海と佐渡ヶ島を見、そして夜には美しい天の川を見た越後路の旅を結実させた句といえるでしょう。
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