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<玄海原子力発電所>
(げんかいげんしりょくはつでんしょ)

玄海原発・場所 <基本データ>
所在地
佐賀県東松浦郡玄海町今村字浅湖4112-1
運転開始日
1975年10月
事業主体
九州電力

<原子炉設備の概要>
 
原子炉型式
営業運転開始
定格出力
備考
1号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1975.10.15
55.9万kw
 
2号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1981.03.30
55.9万kw
 
3号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1994.03.18
118万kw
 
4号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1997.07.25
118万kw
 



玄海原発の全景 <玄海原発と玄海町>
 玄海原発は佐賀県の北西の端に近い東松浦半島の、さらに北西の端に立地する。原発より佐賀市中心部への直線距離は約50kmで、福岡市中心部へのそれもやはり約50km。さらに長崎県松浦市に属する鷹島(たかしま)までの直線距離は最短の地点で8.3km。玄海原発については何かと佐賀県の問題だと思われがちだが、長崎や福岡など、たとえ行政区は違っても原発の安全性は切実な問題である。原発関連のマネーは、まず立地する市町村に落ち、さらに立地する県に落ちる。先に挙げた長崎県の鷹島では、原発の危険性と向き合わなければならない一方、原発立地による島内の経済的利益は全くと言っていいほど無島内には無い。島内では原発に反対する意見が多いというのも当然であろう。

 この地域の中心は唐津であるが、2005年と2006年に唐津市は周囲の8町村と合併。人口は7万8千人から13万人に。面積は4倍近くに増大した。東松浦半島も大半は新・唐津市の市域となったのだが、半島の西部に位置し原発のある玄海町は何故かこの合併に加わらなかった。地図を見ると、玄海町は海に面した部分以外すべてをスッポリと唐津市に囲まれているという特異な姿になっている。平成の大合併に関してはいろいろな意見があり、唐津市に吸収された旧・町村の住民のなかにも「合併しない方が良かった」いう意見は少なからずある。一方で、玄海町が合併しなかったのは潤沢な町の財政を考た上での事だとのうがった見方もできる。

右写真は原子力発電所PR館「玄海エネルギーパーク」サイエンス館の展示パネルより



玄海原発・交通 <交通>
PR館としては「玄海エネルギーパーク」が、原発に隣接してある。
●昭和バス「大手口」バス停(JR筑肥線・唐津線、唐津駅より徒歩7分)より「玄海エネルギーバーク」行き(仮屋経由、石原経由、循環)終点下車(所要時間40〜50分)。
●大半の便は、唐津駅前には乗り入れない。駅より500m(徒歩7分ほど)の「大手口」バス停を使うことになる。
●唐津「大手口」より名護屋城跡、名護屋城博物館、波戸岬へゆくバスも出ている。玄海エネルギーバークから数キロの距離だが、それぞれの観光地を結ぶバス便は少なく不便。
●効率よく廻りたいならタクシーを使うとよい。原発の近くや呼子にはタクシーの営業所がある。

昭和バスのページへリンク

<近辺のお勧めスポット>
名護屋城
 日本史の教科書でもお馴染み。国の特別史跡。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築かれた平山城で、五層の天守閣も建てられた。また城郭の周辺には各大名の陣屋が数多く造られ、一部はその遺構が残っている。隣接して、佐賀県立名護屋城博物館があり、様々な資料を見学できる。

波戸(はど)岬
 東松浦半島の最北端。韓国プサンまでの直線距離は約170km。灯台、海中展望塔(魚の泳ぐ姿が間近で見られる)、海水浴場、国民宿舎、キャンプ場などがある。サザエなどの海産物を食べられる店もあり。


<地形図で見る玄海原発付近の変遷>
1967(昭和42)年3月発行の地形図より

典型的なリアス式海岸で、湾が陸側に深く食い込んでいる。後に原発が建設される値賀崎、外津浦を挟んで、その北側には串崎。ここが玄海町と鎮西町の境でもある。串地区と今村地区を結ぶ橋は無く、渡船が運行されている。
2014(平成26)年11月現在の地形図より

値賀崎のある突起部に玄海原発は造られ、大規模な造成工事が行われたのだろう。等高線はほぼ無くなった。串地区と今村地区を結ぶ橋が出来、往来は飛躍的に便利になった。その他の部分でも道路の整備は進んだ。

使用地形図・1/5000呼子(1967年3月30日)、電子地形図25000(2014年11月現在)国土地理院発行


<玄海原発PR館「玄海エネルギーパーク」訪問記>
旅行日 2011.7.6

波戸岬灯台
名護屋城跡
↑原発PR館へ赴く前に、せっかく佐賀くんだりまで来たのだからと観光。まずは東松浦半島の北端にある波戸(はど)岬へ。あいにくと雨模様でした。写真はなんだか電波塔のようにも見えますが、これが波戸岬灯台。他には海中展望塔などもあり、なかなか楽しいスポット。
↑波戸岬から名護屋城跡までは4kmほどの道のり。バスの便が悪いので、私は呼子から呼んだタクシーを使いました。日本史の授業でも習った通り秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築かれた城。秀吉の死後廃城となり、建物は破却されたり移築されたりして現在では全く残っていません。
名護屋城跡の模型
串崎から見る玄海原発
↑城跡に隣接して「佐賀県立名護屋城博物館」があります。秀吉の朝鮮出兵は、戦乱の時代から天下泰平の時代へと移行するきっかけとなる大きな事件ということで展示物も充実しています。上写真は当時の名護屋城の姿を再現した模型。天守閣もある実に大規模なものだったことが分かります。
↑ここから主目的地である「玄海エネルギーパーク」まで約5km。やはりバス便が悪いので先ほど乗車したタクシーをまた利用します。タクシー代は痛いけれど、運転手さんとの会話で地元の生の情報を聴くことが出来るのが有難い。途中「串崎」という所へ寄ってもらいました。海の向こうに原発の建物群を眺めることの出来るスポットです。
玄海エネルギーパーク全景
九州電力キャラクター「みらいくん」
↑「玄海エネルギパーク」へ到着しました。左側の先が二つに割れている建物が、原発関連の展示物のある「サイエンス館」。右側の平たい円形の建物が「九州ふるさと館」。
↑受付の裏側に鎮座しているのは、九州電力のキャラクター「みらいくん」。九電ブルーのウェアを着用しており、誕生日は電気記念日の3月25日とか。これから嫌というほどこの「みらいくん」の姿を拝むことになります。
九州電力キャラクター「みらいくん」の家族
玄海エネルギーパーク・サイエンス館内部
↑これが「みらいくんファミリー」。左上は「みらいくんパパ」、その下は「みらいくんママ」、右上は「はるかちゃん」、その下は「きぼうくん」。こんなこと覚えて何かの役に立つのであろうか。
↑「サイエンス館」の内部。4階までらせん形のスロープが通じ、その中央の吹き抜けの空間に実物大の原子炉模型がデンとそびえています。
玄海エネルギーパーク・原子炉実物大模型
玄海エネルギーパーク・原子炉実物大模型
↑サイエンス館の中央にあるのが、玄海原発4号機の実物大模型。高さは13メートル、重量は410トン。建物の通路が狭いので全景を写真に収められません。
↑その実物大模型の下部にはスクリーンがあり、原子炉の仕組みについてビデオが上映できるようになっています。ただいま「みらいくん」が説明中。
玄海エネルギーパーク・プレストレストコンクリート製格納容器
玄海エネルギーパーク・PWR用訓練シミュレーター
↑玄海原発3,4号機の原子炉格納容器は大きな圧力に耐えられる「プレストレストコンクリート工法」(PCCV)を採用しています。上部は半球形。第5の壁である「外部しゃへい壁」と一体になっているのも特徴。
↑国内初のPWR(加圧水型軽水炉)用の訓練シミュレーター。アメリカ製で福井県敦賀市内に設置され、1974年から24年間、PWR機を持つ各電力会社の運転員の訓練のために使われたとか。
玄海エネルギーパーク・高経年化対策
玄海エネルギーパーク・展望ルームより原発を望む
↑玄海原発の1号機の運転開始は1975年で、間もなく40年の寿命を迎えようとしてます。電力会社は経費削減のため寿命延長に熱心で、ここにも「原子力発電所の高経年化対策」という展示パネルがありました。
↑サイエンス館の4階は展望ルーム。原発はすぐ隣なのですが、雨が激しいためやや視界が悪いです。
玄海エネルギーパーク・展望ルームより原発を望む
玄海エネルギーパーク・ふるさと館
↑ズームしてみます。左側から2号機、奥の方に半分ほど見えるのが4号機、1号機、3号機の順です。1,2号機は円筒形、3,4号機は上部が半球形になっています。
↑サイエンス館を一通り巡り、隣の棟にある「九州ふるさと館」へ。佐賀県のご当地ものだけではなく、なぜか九州各県の祭り、民俗芸能の模型が飾られています。上の写真は「博多祇園山笠」の曳山の模型。ゆっくりし過ぎて時間が無くなり駆け足でざっと回りました。
玄海エネルギーパーク・記念のティッシュ
玄海エネルギーパーク・唐津へ向かう路線バス
↑サイエンス館とふるさと館にはスタンプコーナーがあり、5つ集めるとこの記念のティッシュが貰えます。
↑PR館を出ると雨はいっそう激しくなっていました。交通機関がストップしてしまってもおかしくないほどのどしゃ降り。これから博多まで無事たどり着けるのだろうか。エネルギーパーク前より出るバスに乗り、唐津の町へ向かいます。



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