「図書館/団塊世代/小説論」創作ノート3

2003年5月〜

5月 3月 4月  6月  7月  8月


05/01
のんびりしている。突然、夏の気温になった。浜名湖が湿気でかすんでいる。鷲津のイオンへ買い物。その前にビッグエンチョーという工具などを売る店で、トイレの部品を買う。トイレの水が完全に止まらなくなったので、ゴムのパッキンの劣化と判断した。ついでに台所の蛇口のレバーを買う。回転させるものから、大きなレバーを手前に引くものに替える。イオンではビールを買う。今日から発泡酒が値上がり。悔しいので久しぶりにビールを買った。ちなみに三宿では近所の酒屋さんが運んでくるので瓶ビールを買っているが、最近はあまり飲んでいない。酒はウィスキーを少し飲むだけ。しかし浜名湖を見ているとビールが飲みたくなる。
トイレの修理はうまくいった。ピタッと水が止まるところは感動的。台所のレバーは、あれれ、というようなものになった。回転式のものは当然、右ネジである。しかしレバー方式のものは、湯も水も手前に引くので、水の方は左ネジでなければならない。しかし左ネジにするには、水道栓の本体を替えないといけない。レバーだけ替えたのでは、水の方はレバーを押して出すという、アンシンメトリーなものになってしまった。妻もわたしも、水を出して何回かレバーを引いてしまった。

05/02
鷲津の駅に義父母を迎えに行く。義父母とは妻の両親である。まだ生きているがかなりよぼよぼしている。兵庫県の川西市に住んでいる。以前は車で来ていたのだが、義父の年齢からしてドライブは無理と判断して、新幹線で来るように言ったのだが、何と川西から鷲津まで在来線で来たのだという。尼崎、米原、大垣、豊橋と4回乗り換え。特急券をケチったようだ。

05/03
次男来る。突然来るのでびっくりする。元気そうでよかった。山口に行っていたという。

05/04
次男帰る。やれやれ。わたしは7日に東京で用があるので、6日の新幹線の切符を買ってある。しかし冗談で、東京まで車に乗せてくれないかと次男にいったら、いやーな顔をした。

05/05
また鷲津に行く。鷲津というのは浜名湖の西岸である。湖西市という町。三ヶ日は天竜浜名湖鉄道という第3セクターだが、ここまで来ると本物の東海道線になる。スズキの工場があって、ブラジルの人が多い。そのせいか、驚くほど物価が安い。日系の人のはずだが、顔だけ見ていると日系人には見えない。スペインのスーパーにいるような気分になる。

05/06
妻の運転で浜松へ。弁当とビールを買って「ひかり」に乗り込む。浜松に停車する「ひかり」は少ないので、指定券を買ってあった。25分で静岡。窓側の席で、隣には誰も来なかった。池尻大橋の駅から地上に出ると、何だか知らない街に来たような気分だ。三ヶ日から帰る時は車だから、そういう手順だと三宿に戻ったという感じがするのだが、新幹線で帰るとへんな気分だ。仏教関係の本が2冊出るので、宛名ラベルを作る。これで本日の作業は終わり。いつも膝に抱いているパソコンは三ヶ日においてきた。だから仕事もできない。インターネットに使っているこのパソコンでもできないことはないのだが、キーボードのサイズが違うので、あまりやりたくない。このノートはそのパソコンでやっているのだが、何か調子が出ない。明日、2件、用があって、たぶん飲んで帰るから、仕事はできない。パソコンがないというのも、何かへんな気分だ。

05/07
文化庁との定例の協議。7月のあたまに一斉に関係団体に文書を送って、管理業務の開始を告げなければならない。そのための文書は誰が書くんだ。実際の業務は諸般の事情から10/01とすることが妥当ということになった。まあ、それでいいだろう。終わったあと、文芸家協会のある文春ビルの近くのコンサルタント業をやっている事務所の知的な飲み会みたいなものに招かれて、仏教の話をした。これはなかなか楽しい会であった。ということで、東京での仕事は一日で終わった。明日から、京都の取材に行く。「桓武天皇」を書くため。単に山を見にいくための取材だ。現在の京都の文化遺産のほとんどは、平安、鎌倉、室町時代に築かれたものだから、意味がない。桓武天皇が京都を築いた時にすでにあったものは、弥勒菩薩二体のある広隆寺くらいのものだろう。あと、乙訓寺というのもある。あとは、ただ地形を見る。

05/08
本日は移動日。のぞみで新大阪へ。それから宝塚線で川西池田へ。これは昔は福知山線といっていたローカル線だが、いまは学園都市線と名を変えた片町線と、東西線という地下鉄道でつながった上、東西線が神戸方面へ直通で進むこともあるので、京都方面からの電車がそのまま宝塚の方へ進むこともある。こういう状態になっていることを知らなかったので、少し驚いた。昔は義父の家へは阪急で行っていたので、2回乗り換えが必要であったが、乗り換えなしで川西まで行ける。ただし阪急の川西能勢口より少し歩く距離が遠い。バスもあるし、タクシーに乗ればすむことだが、土地勘を養うために歩く。ものすごい上り坂でやや疲れる。徒歩30分。これなら三宿から渋谷まで歩くよりも少し近い。下北沢よりも少し遠いが、いつも散歩では下北沢へ往復するのだから、これくらいの距離は散歩としても短い。東京は梅雨の終わり頃のような蒸し暑さだったが、関西は寒い。京都のあたりで冷房が効きすぎていると思ったのだが、外に出るともっと寒かった。義父母、妻と、2日ぶりに再会。妻が車で義父母を実家に送ってきたのだ。パソコンも含めて、わたしの荷物も車とともにここに来ている。

05/09
車で京都の西へ行く。大枝というところ。ここは桓武天皇の母、高野新笠の実家のあったところ。当然、桓武天皇もここで生まれ育ったはずだ。地図に見ると京都市の西部なのだが、小高い丘があり、竹藪があって、京都盆地は見えない。道は開かれていたはずだから、馬に乗ればすぐに広隆寺のあたりまでは散歩の感じで行けたはずだが、気分的にはむしろ、南の方に土地が開けている。緩かな坂道を進むと、やがて乙訓寺、そして、長岡京ということにる。桓武天皇が最初に長岡京に都を築こうとした理由がわかった気がした。ここはまさに生まれ故郷なのだ。
さて、乙訓寺は、いまは小さな寺だが、遺構が残っていて、創立当時は大きな寺だったことがわかる。寺そのものには、わたしにとっては意味がない。のちに空海が関わって現在の寺になったのだが、空海は桓武天皇の次の時代で活躍した人物だ。
長岡京のあたりで道を間違えて山奥に入り込んでしまった。高槻に出て、そこから枚方を経て、交野へ。桓武天皇が少年の頃に出入りしていたと思われる百済王家の里だ。そこから甘南備山の峠を越える。このあたりは小説のファーストショットに使いたい。今回は山を見るのが目的。

05/10
本日は電車で京都へ行く。京都駅の駅舎の屋上から周囲の山を見る。空気がかすんでいるので山はすべてぼやけている。昨日行った大枝の里が、ここからは見えないことを確認。京都盆地と大枝の里を隔てているゆるやかな丘陵が、黄緑色の光を放っている。竹藪の笹か光っているのだろう。
妻の友人がやっているという、「やおやの二階」というところで昼食。実に味わい深い料理であったが、やおやの二階だというので、酒は出さない。料理だけがあって酒がないという状況に、アル中のような禁断症状になる。京福電鉄は、三軒茶屋の世田谷線のようなトラムカー。世田谷線はそれでも二両連結だが、こちらは一両だけ。太秦で降りる。広隆寺。弥勒菩薩と、百済から来たもう一つの弥勒菩薩を見る。あとは3メートルの不空ケン索観音だけ。それ以外の仏像、菩薩像、神将像はすべて平安以後のもの。
三条から京阪に乗る。昔はこの三条がターミナルだった。驚いたこと。京阪が地下鉄になっていた。始発が三条ではなく、ホームに入ってきて特急に人が乗っていたこと。まあ、座れたけれども、当然、無人の電車が来るものと思っていたのでショックだった。さらに、京阪特急といえば七条から京橋までノンストップであるはずが、丹波橋、中書島といったマイナーな駅で停車したこと。さらに中書島を過ぎると、パリの地下鉄みたいに、ドアの前の通路に椅子が飛び出してくること。実に、京阪電車には驚かされた。
京橋駅の一階で、ようやく中ジョッキに到達した。やれやれ。元気が出た。京橋で降りたのは、妻の姪の阪大生が、商店街の壁に絵を描くコンテストに出場していたため。優秀賞(2位)を獲得して5万円をゲットした。

05/11
久しぶりにパソコンにさわる。このパソコンは妻とともにこちらに来ていた。キーを叩く感触に違和感があったが、すぐに慣れた。「図書館論」9章終わる。あと1章だ。

05/12
妻と運転を交代しながら、名神と中央高速で三宿に帰る。「釈迦と維摩」の見本が届いている。素晴らしい想定。ひさしぶりに立派な本を出したという感じがする。昨年は「頼朝」はハードカバーだったが、ヤマトタケル三部作はノベルス版だった。やっぱり本はハードカバーに限る。明日は「わたしの十牛図」の見本が届くはず。

05/13
文芸家協会で副理事長と打ち合わせ。例によって少しずつだが前進していく。「著作権管理部」の業務の開始は10月だが、契約書の送付を7月の始めにしたいので、6月はものすごく忙しくなる。
夜、佼成出版の担当者来訪。「わたしの十牛図」の見本を受け取る。カバーはすでに色校を見ているので装丁のイメージはあったが、各章に十牛図の絵が入っていて、いい感じになっている。三宿で飲む。いい仕事ができたと思う。

05/14
久しぶりに三軒茶屋を散歩。何事もなし。

05/15
ペンクラブで緊急言論表現委員会。コミック作家事務局等から、貸与権についての説明。これはこちらの方が詳しいテーマだ。相模原のレンタルビデオ店で、新古書店が貸本屋を始めた。規模が大きくチェーン店化の可能性がある上に、これまでのようにコミックだけでなく、推理小説等、書籍にまで波及している。しかしこれは、著作権法の付則にある、暫定的な猶予に関する規定を削除すればいいだけだから、話は簡単だ。著作権管理のシステムは、わたしが準備しつつあるので、予定どおりの展開である。愚痴を言うようだが、これに関わる出版社の人は給料をもらっているし、弁護士は顧問料などをもらっているのに、わたしだけ無償だということだ。しかしまあ、言論表現委員長の猪瀬さんも同様だから仕方がない。

05/16
本日は何事もなし。下北沢まで散歩。昨夜、ペンクラブで秦恒平さんから、ペンクラブの電子文庫に作品を出してほしいと言われたことを思い出した。前から言われているのだが、短篇というものをあまり書いていないので、データとしてすぐに出せるものがない。活字になっているものを自分で打ち込むしかないのだが、さて、自分にとって代表的な短篇とは何か、と考えているうちに、「髭」か「碧眼」だなと思った。前者は「鹿の王」、後者は「命」という短編集所収。「髭」は私小説で、読み返したことはあるが、「碧眼」は名作を書いたという記憶だけがあって、中身は何を書いたか忘れてしまっていた。本を出して読み返して見ると、感動のあまり涙が流れた。こんな名作を、雑誌に発表した時は誰も誉めなかった。自分自身しか評価しない作品なのか。まあ、それでもいいだろう。

05/17
めじろ台男声合唱団。現在の11人のメンバーに固まってからでも十数年だが、創立からだと20年になるらしい。とにかく、わたしがめじろ台に住んでいた頃からのつきあいである。三宿に引っ越してから17年になるので、その年月、八王子まで通い続けたことになる。すごいことである。本日はメンバー全員が揃った。かなり飲んだが、気持ちよく三宿に帰ってきた。

05/18
妻と三軒茶屋に散歩。買ったもの、5足1000円の靴下。「図書館論」は最初から読み返している。まだエンディングが完成していないのだが、ここまでの流れを確認するために、誤字をチェックしながら読み返して、その勢いでエンディングを完成させたい。するととりあえず、手が離れる。次の仕事、「団塊世代論」はまだ編集者との最終的な打ち合わせが終わっていないので、まだスタートできない。コンセプトは送ってあるのだが、企画会議を通っていないのではないかと思われる。その間、「小説論」を始めるわけにもいかないので、「桓武天皇」の出だしのところを書いてみようと思っている。そのために京都の取材に行ったのだし、イメージが強く残っている間に、主人公の少年時代を書き終えておきたい。

05/19
青葉台フィリアホール。天満敦子さんのヴァイオリン。天満さんとは大昔、佐藤陽子さんの家で会ったことがある。その頃はたぶんデビューした直後だったと思う。こちらも芥川賞でデビューした直後だった。その頃から比べれば演奏スタイルにずいぶんかんろくがついた思う。伴奏の末松くんは、わが長男のちょっと先輩。昔からものすごい練習熱心と、正確な演奏で定評があった。今日はちょっと、天満さんのかんろくに押され気味だった。まあ、仕方がない。

05/20
文芸家協会総会。定款改定という大きな案件があったが、質問や異議もなく、スムーズに承認された。この改定が承認されないと、新しい著作権管理の事業が始められないので、少し心配していたが、よかった。懇親会。常務理事になって4回目の宴会だが、挨拶すべき人がだんだん増えていく。疲れた。

05/21
久しぶりの上天気。湿度が低い。天気の好い日は小説を書きたい。少し「桓武天皇」の出だしをいじる。「図書館論」はこれまで書いたところを全部読み返した。細かいところをチェックしたが、大きな直しはない。これでエンディングを書けば完成である。「団塊論」も担当者から、ゴーサインが出たので、すぐに取りかかれる。

05/22
「図書館論」エンディングに向けて一気に進んでいる。今週中には完成するか。

05/23
「児童文芸」誌のインタビュー。若い女性3人。美人ばかり。家に子供がいなくなって久しいので、児童文学のことを考えることも少なかったが、著作権管理の問題で児童文学の関係者と会議をすることが多くなって、児童文学というものの大切さを痛感するようになった。児童文学は、子供の世界観をつくる。子供の頃に、ある種の世界観を確立しないと、世界というものはただのゲームのようなものになってしまう。最近の子供が簡単に自殺してしまったり、無気力な大人になってしまうのも、そのことが原因ではないかという気がする。わたしの「いちご同盟」という作品も、そういう切実な要求によって書き始めたものだが、自分の子供が大人になってしまうと、あまり切実なテーマと感じられなくなってしまった。そういうことではいけない。孫はスペインにいるので、あまりリアリティーはないのだが、子供向けにちゃんとした文学を書くというのは、大切な仕事だ。

05/24
西立川に行く。帰りに八王子インター近くの「くら寿司」に行った。有名な店らしい。わたしはそもそも寿司はあまり好きではないので、回転寿司というところへ行ったことがなかったが、どんなものか体験したいと思った。で、感じたことは、SARSの患者がカウンター席でクシャミをしたら危ないということと、店に落ち着きがないということ。それでもう二度と行きたくないかというと、そうでもない。生ビールの自動販売機が面白かった。生ビールは注文のタイミングが難しい。料理が運ばれた時に注文すればいいのだが、まだビールが残っているのに注文すると、あわてて飲まないといけない。注文のタイミングを誤るとビールがなくなってしまっても、ウェイトレスが近くを通らないということになる。わたしは大声を出して人を呼ぶのがきらいなのだ。人に命令するのも好きではない。で、自分でビールをとりに行くというのは、実に合理的なシステムだと思う。自分の小遣いでビールを買うので、妻の白眼視がないという点もいい。
わたしが寿司が好きでないのは、魚というものが好きでないせいだが、しかし食べられないわけではないし、たまには魚もいいと思う。ビールがあれば何でもいいということもある。今日は寿司だ、と覚悟を固めて店に入ったので、初志貫徹して寿司ばかり食べたが、店を出てからいろいろと気にかかるものがあった。ハンバーグ寿司とか、カルビ寿司とか、その種のものだ。魚の嫌いな子供のために考案されたメニューだろうが、何となくいまも頭の中をチラチラしている。オトナがああいうものを食べるのは恥ずかしいという思いがあって手が出なかったが、隣のおねえさんは、カルビ寿司をうまそうに食べていた。わたしは固定観念を拭えない頑迷な老人なのかもしれない。

05/26
文芸家協会にて副理事長に報告。先週の文化庁との会議は日程がずれたので参加できなかった。書記局から報告を受ける。大きな問題はない。6月中になすべきことを相談。ほぼ計画どおりの順調な進行。時間をかければ何とかゴールに到達できるだろう。ただし、なすべきことを一つ一つクリアしなければならない。自分の仕事も早く片づけたい。「図書館論」はゴール寸前で止まっている。現在、図書館とは協議を続いているので、継続中の問題について、どういうかたちでエンディングをしめくくるかが難しい。あと2〜3日はじっくり考えたい。

05/28
図書館との協議会。推理作家協会と図書館による実態調査がペンディングなので、公共貸与権の問題は進展せず。こちらも時期を見ているので、とくに発言せず。三宿に戻って床屋へ行ったから仕事。「図書館論」完成。これに3カ月かかったのは反省。仏教2書の校正が入ったこともあったが、雑用が忙しく集中力を欠いたかもしれない。並行して「桓武天皇」の資料も読んでいた。とにかく、一つの仕事が終わったことを喜びたい。次は「団塊世代論」。いい天気だし仕事が片付いたので、お台場で映画を見る。女性が割り引きになる水曜日だというのに人影少なし。六本木や汐留の方に人が流れているからか。これからプリントして明日、宅急便を発送する。

05/29
日本点字図書館の評議員会。こちらの状況を報告する。文芸家協会で新たに始める著作権管理事業の目玉は、福祉関係の利用に一括許諾を与えること。福祉関係についてはタダで自由に使っていただく。当たり前のことだが、この当たり前のことが、いままでは簡単にはできなかった。逆に点字図書館の場合は、著作権法に書かれた「権利制限」というもので対処していた。これは著作者から著作権を剥奪するというもので、きわめて全体主義的な発想だ。こういうやり方ではなく、著作者が主体的に、福祉関係の利用者にサービスするという姿勢が必要だ。結果が同じでも姿勢が違うというところにポイントがある。これはわたし個人の理念に近いものかもしれないが、あとわずかで実現できそうなところにまで来ている。

05/30
「図書館論」編集部に届いたとのこと。これでひとまずこの仕事は終わり。本日は「団塊論」のスタート。まず「まえがき」を書く。完了。これから1章を2〜3日くらいのペースで、10章までで完了。草稿は一ヶ月以内に仕上げたい。

05/31
東大仏教青年会の主催で、五月祭で講演。出たばかりの「釈迦と維摩」と「わたしの十牛図」の宣伝を兼ねて、仏教について語る。年輩の聴衆が多かった。台風接近の豪雨の中、東大まで来ていただいた人々に感謝。


次のノート(6月)ヘ進む
創作ノート1(3月)に戻る 創作ノート2(4月)に戻る

ホームページに戻る