「マルクスの謎」創作ノート1

2008年4月

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04/01
四月になった。ここでノートのタイトルを変える。「西行」が完成してすでに入稿となった。まだ校正があるが、次の仕事に進まなければならない。とりあえずは書きかけの二つの作品、堺屋太一伝と、童話を仕上げる。その次の仕事として「マルクスの謎」というのをやる予定なのでとりあえずノートのタイトルとする。わたしは還暦である。この歳になって、改めてマルクスについて考えてみたいというのがモチベーションであるが、これはマルクス主義やマルクス経済学の解説書ではない。そうではなく、人はなぜ思想に命をかけることが可能なのか、といったことを、自分が生きた同時代を検証しながら考えてみたい。同時に、なぜこの世界には貧富の差があるのか、貧富の差があるという現実をどのように改革していけばいいのか、といったことに言及したい。いまの若者はそういうことに興味はないだろう。しかし一人でも二人でも読者がいるのではないかという期待をもって書いてみたい。これがコンセプトであるが、まだ具体的に書き進むわけではない。まずは堺屋太一伝だ。
ところで本日は文藝家協会で会議が2件。連続なので疲れた。しかし2つの会議とも困難な状況からわずかに一歩踏み出せたという手応えを得た。本日はもう1件、音楽関係者と後楽園ドームで観戦。わたしはメンデルスゾーン協会の理事長をしているのだが、そこで知り合った音楽関係者とさらに交流を深めるというのが狙いであるが、単純に3連敗中に巨人軍がドームでの開幕戦で、たぶん今日は勝つだろうという期待のもとにドームに向かったのだが、あえなく4連敗。
試合には負けたが観戦中に次男から電話。孫、生まれたとのこと。スペインの長男のところにスペインの孫は3人もいるのだが、女、女、女である。それはそれで愉しいのだが、今回は日本の孫でしかも男の子である。わたしも嬉しい。早速、明日は顔を見に行こうと思う。ところで本日より「メンデルスゾーン協会理事長の日記」というものを書くことにした。このホームページの最初のインデックスページからリンクできるようになっている。ただし毎日書くわけではない。

04/02
昨日生まれた孫を見に行く。すべりこみの早生まれ。3800グラムもあるので、もう何日も生きているというような堂々とした顔つきをしている。4人目の孫だが、これまでの3人はスペイン娘なので日本男児は初めて。次男が生まれたのがつい昨日のことのように思われるが、もう父親の顔になっているのがおかしい。

04/03
昨日は次男のマンションに泊まった。スペインに行くといつも長男の家に泊まる。遠くにいる長男とはめったに会えないが、会うと何日も泊まるので生活をともにすることになる。考えてみると次男のところに泊まるのは初めてだ。孫も生まれたことだし、これからは次男のところも頻繁に訪ねたい。今日も病院へ孫を見に行く。立派な顔立ちの人物である。スペインの三人の孫、長女は生後一ヶ月くらいの時に会った。次女は三ヶ月くらいでもうかなり大きくなっていた。三女も一ヶ月くらいになっていたか。ということで、生まれた次の日に見たのは今回が初めて。それにしては、しっかりした顔立ちである。体重のせいだと思う。わが二人の息子は3000と2600だった。人間とも思えない小さな存在だった。さて本日は仕事場に移動。仕事をしないといけない。テレビで野球を見ようと思ったが5対1で負けているので消して仕事をしようと思ったら、次男からメール。病室のテレビで赤ん坊に「すりこみ」をしているという。負ける試合ですりこみをしてどうするんだと思ってテレビをつけると逆転していた。

04/04
仕事場での静かな一日。管理人の大工さんが来て浜北にあるフレンチレストランでランチをご馳走してくれる。管理費を支払ったお返しのようだ。あとはひたすら仕事。昨日、病院で赤ちゃんを見ながら談笑している間にメモ貼に手書きで書いた原稿をパソコンに入力。雑文7枚ぴったりの長さで驚く。あとはなぜか義経の資料などを読んでいる。堺屋伝をやらないといけないのだが、将来のことも考えないといけない。河出の次の仕事は「西行」の売れ行きを見て決める。売れないと困るということはあるが、売れたから次に進める。その場合、西行の続篇に行くのか、歴史的恋愛シリーズに行くかを考えないといけない。で、西行の続篇の場合は、後白河、頼朝、義経が主役となる。西行はあくまでも傍観者である。後白河、頼朝はすでになじみのある人物だが、義経のことはよく知らない。『遮那王伝説』という弁慶を主人公としてギャグ小説は書いているのだが、これは歴史を無視したファンタジーにすぎない。ということで、義経の情報をインプットしておく必要がある。

04/05
土曜日。妻はまた四日市に行くという。こちらは豊橋まで送ってもらって東京に向かう。友人の歯科医師からドームの阪神戦観戦の誘いで、火曜日に中日戦を観たばかりだが、新幹線で駆けつける。惨敗。しかし5時くらいからスタジアムの中で飲み始めて、歯科医師と盛り上がった。三宿に戻って資料を少し読んで寝る。

04/06
日曜日。四日市に行く。次男の嫁さんと孫が退院して自宅に戻ってきた。次男は昨年、マンションを購入して新居を築いていた。名前、決まる。命名の用紙に名前を筆で書く。いい名前だ。立派な名前でまるで作家みたいだ。健やかに育ってほしい。夕方、三ヶ日の仕事場に戻る。さあ、仕事モードに切り替えないといけない。

04/07
ウィークデーが始まったが、今週は公用がしばらくないので、まだ仕事場にいる。午後が雨という予報なので午前中に散歩。堺屋太一伝。ようやく全体の構想が見えてきた。書き始めた当初は、とくに構想を立てることもなく、年代記ふうに事実を追って堺屋太一の個人史をたどればいいと考えていたのだが、しばらく作業を中断していたこともあって、基本コンセプトを練る必要性を感じた。そこで冒頭にコンセプトを提示して、読者の関心を喚起することとした。これは、作業に取り組むわたし自身のモチベーションの支えともなる。いまわたしが堺屋太一伝を書く理由をしっかりと読者に提示しておかないと先へ進めない。理由は3つほどある。@シミュレーションで未来予測をするという小説の手法の新しさ。A官僚から小説家へという人生の途上で、大阪万博という途方もない事業を実現したその経緯への関心。Bこれは意外と重要なのだが、小学校の先輩であるだけでなく居住地もきわめて近く、不思議な縁と親しみを覚えること。この3点を冒頭に示すことにした。そのことによって、堺屋太一そのものに関心のある読者は三田誠広という作家がどういうモチベーションで堺屋太一伝を書くかが鮮明となる。三田誠広という作家に関心のある読者は、なぜ三田誠広が空海、日蓮、西行の次に堺屋太一を書くのかという理由を知ることができる。これは読者がページをめくって先に読み進む上でのモチベーションと密接につながっていることなので、必然的な戦略である。ということで、イントロの部分をまったく新たに書いていたのだが、ようやく、その前に準備しつつあったイントロの部分とうまく接合できた。イントロの全体がかなり長くなるのだが、ここまでの文体の密度は充分なので、読者の興味をつないで、いよいよ物語の本当の冒頭部に進むことができる。この作業を仕事場で完了できてよかったと思う。三宿に戻ると公用などもあるのだが、このイントロができているので、あとの作業はスムーズに展開できるはずだ。
ところで昨日、孫と会って、今日は会っていないのだが、どうしているのかと少しは気になる。次に会えるのは五月の連休か。この時期は体が大きくなるだけで、立って歩くわけでも言葉をしゃべるわけでもないのだが、何となく孫の動勢が気にかかる。昨日、名前を決めたので、わたしの世界認識の中に、この四人目の孫が名前とともに認知された。空海とか、西行とかと同じくらいに、4人の孫の名前はわたしにとって重要なものである。もちろん妻の名前と、亡くなった犬の名前も同じくらい重要なものではあるのだが。

04/08
前夜は嵐だった。しかし起きた時には雨は止んで、快晴であった。気分がいい。前日、イントロの部分が既存の原稿につながったので、これ以後は、半分ほど書いた原稿のチェックをするだけでいい。部分的な修正はあるが、とにかく読み進めていけばいい。後半についても、『団塊の世代』の担当編集者の取材メモが使えそうだとわかったので、気分は楽だ。この三ヶ日の仕事場にいると、世の中から遮断されたようで、気分的には仕事に集中できる。しかしメールは見ないわけにはいかない。新たな仕事の依頼もあれば、著作権関係のメールもある。世の中とつながっているという実感はあるが、つながりすぎているのも気が重い。文化庁からメールが入ったので、返事を出したら、すぐにまた返事が来た。時間を見ると夜中の1時だ。こんな時間に働いているのかと驚くところだが、いまは堺屋太一伝を書いているので、役人が夜中に働くことには驚かない。公務員の試験を受けた優秀な人々が、国のため、国民のために働いているのだから、感謝をしないといけない。問題は一般企業のように、会社が発展して管理職のポストが増えていくといった期待がないことだ。役所の構成はピラミッド型だ。つまり入省して十年、二十年と時が経過すると、ポストがなくなっていく。最終的には、最高のポストの事務次官になれる人は一人だけだ。その競争からはみだした人々は、いわゆる「天下り」ということになるのだが、もともと優秀な人材が省庁で働いてキャリアを積んでいるのだから、こういう人々の能力を民間で活用するのは当然のことで、天下りというもののすべてを否定するわけにはいかない。要するに人材の能力そのものを活用すればいいので、もとの省庁とのコネを期待するだけの天下りを期待するような風潮を排除すべきなのだ。

04/09
三宿に移動。仕事はわずかに前進。

04/10
早稲田文学の第十次スタートの宴会。早稲田文学はかつては平岡篤頼先生のポケットマネーで出ていたようなところがあるのだが、いまは大学から補助金が出ている。しかし充分ではないので、制作スタッフが一種のストライキでフリーペーパーを出して継続していた。今回、大学からの補助金が増え、平岡未亡人からの基金もあって、販売を担当してくださる出版社のご好意もあって、とりあえず年に2回、早い段階で季刊や隔月刊を目指して前進することとなった。フリーペーパーも継続して発行するとのこと。そのお祝いと復活した新人賞の授賞式であった。小さな宴会ではあるが思いのほか出席者が多く、ごったがえてしていた。何よりも若い人が多い。業界の宴会に出ると信じがたいほど高齢化しているので、この早稲田文学の若さは特筆すべきものだ。わたしは乾杯の挨拶をしただけなので、ちょうどよかった。しゃべりすぎて余計なことを言うことがあるので気をつけなければと思っていたのだが、適当な長さのスピーチだったと思う。

04/11
堺屋伝は快調に読み進んでいるのだが、編集部から通産省に関する資料が届いたので目を通す。当時の通産省の雰囲気がよくわかる。本日は渋谷まで散歩。ところで妻がわたしの国民年金の二カ月分を納めてきた。6月が誕生日なので、前月の5月ぶんまで納めればいい。わたしは還暦であるから、もう国民年金は納めなくていいのだ。ずいぶん長く生きたものだが、年金はすぐには貰えない。数年先でないと貰えないという奇妙なルールになっているようだ。しかし大学の先生などを務めたので厚生年金にも入っている。こちらの報酬比例のぶんは今年から貰えるはずだ。実際にもらってみないとわからないが。

04/12
土曜日。雑文一件。あとは堺屋伝。とにかく読み進むだけでいい。半分のところで未知の領域に出ていくのだが、この読み返しの作業で文字の間違いなどもチェックしているので、あとで余分な作業をしないでもいい。

04/13
日曜日。小雨。寒くなった。

04/14
文藝家協会理事会。今回はとくに発言することもなかったが、まあ少しは話した。とくに紛糾することもなく終わった。著作権管理部の部長にお疲れではないかと言われた。疲れているわけではない。何も取り憑いていないので元気がないように見えるのだろう。去年の今頃はまだ日蓮が取り憑いていた。ついこのあいだまでは西行が取り憑いていた。いまは堺屋太一だが、まだ生きている人に取り憑かれたくないので用心しながら書いている。それで元気がないのだろう。次の童話に行けば元気が出てくるはずだ。

04/15
ようやくヒマになったので久しぶりで母のところに行く。元気であった。百まで生きそうだ。孫の写真を見せる。母にとっては11番目の曾孫のはずだが、曾孫のことは誰一人思い出せないようだ。とにかく子供のことはまだわかる。ありがたいことである。

04/16
このところ春らしい陽気だ。ひたすら仕事。作品社の担当者から久しぶりにメール届く。作品社には「親鸞」を書くと約束しているのだが、親鸞は難しい。資料を読み込んではいるのだが、キャラクターが確定できないし、親鸞に関してはかなり新資料もあるようなので時間がかかる。そこで別のプランを提案したいと考えている。ちょっと先延ばしのためのバントヒットみたいなものを企画している。

04/17
文化庁アーカイブWT。WTというのはワーキングチームのこと。今回で4回目。最終回だ。初回は年末だった。会議に出てから、妻に丸ノ内まで迎えて来て貰い、そのまま三ヶ日の仕事場に向かったことを憶えている。その初回の会議は紛糾した。これでは一年かけてもまとまらないという気がした。しかし書協の人と打ち合わせをしたり、文化庁とも個別に話し合った結果、最終回の今回は、とくに議論することもなく、文化庁の試案のままでオーケーということになった。関係者の努力の賜物である。
それにしても、初回はまだ丸ノ内の三菱ビルだった。いまは虎ノ門である。もとの文部省のペンタゴンが半分だけ残されて、そこに文化庁が入っている。文部科学省の本体は新しいビルに入った。その奥のツインビルのもう一つには金融庁と霞山会館などの民間施設が入っている。中央省庁で初めてのBFI事業だというのことだが、これは民間の資金と知恵を利用した公共事業という意味で、確かに民間の知恵が入っている。二つの高層ビルと、大昔からある霞ヶ関ビルが、広大なテラスで結ばれている。日本には少ない快適な広場ができている。しかしテラスにいっかくに清潔なカフェバーがあって、ビールやワインが飲めるようになっている。思わずのぞきこんでメニューのポスターを見ると、千円以下のランチに、280円をプラスするとビールかワインがついているとのこと。まるでヨーロッパのランチのようだ。ついでのことにスペインでどの店でも用意されている「本日のメニュー」というのは、一皿目(ポテトサラダ、パスタ、パエージャなど)、二皿目(メインディッシュ)に、水、デザート、コーヒー、それにワインの小瓶かビールのの中ジョッキが必ずついている。車でないといけない山の中のレストランでもこういうメニューだ。

04/18
金曜日だが公用なし。ひたすら仕事。堺屋伝。半年前に書いた前半部分のチェックが終わり、ようやく先に進めそうだ。

04/19
土曜日。雨は止んだが風が強い。来週、NPO文芸著作権センター(わたしが理事長)のスタッフ会議があるので、それまでに原稿をいくつか用意しないといけない。何年か前に書いて使わなかった原稿をリライトしたいと思い、その原稿を探したのだが出てこない。ようやく、大昔に使っていた98(ウィンドウズ98で機種もNECの98)のメールソフトの「送信済み」の中に発見した。で、フロッピーにとろうとしたら、この内臓フロッピーが動かない。旧い機種なのでランケーブルもないし、いかなるメモリーカードも入らない。もちろんネットにもつながっていない。かろうじてUSBが差し込めるようなので、外付けのフロッピードライブをつなごうとしたら、電流不足の表示。フロッピードライブはモーターを駆動するために電源が必要なのだが、最近のものはUSBから電源をとるようになっている。しかしパソコン本体が旧いと、モーター駆動に必要な電流は供給されないようだ。困った。これでは画面を見て手で書き写すしかないかと思ったが、膨大な量の原稿である。
このときようやくアイデアがひらめいた。昔、最初の孫が生まれた頃、デジカメをプレゼントした。まだブロードバンドの環境ではなかったので、メールで大量の写真を送ることができない。それでメモリーカード(そのカメラはスマートメディア)の予備を何枚も送って、孫の写真を大量に入れたスマートメディアを航空便で送れと命じた。届いたメディアを見るために、スマートメディア用のカードリーダーがどこかにあったはずだ。本体はすぐに見つかったが、予備のカードがない。ようやく見つかったが、つないでみるとドライバーがないという表示。これまた引き出しの奥を探してようやくドライバーの入ったCDを発見。ここまでの作業で一時間以上かかったが、ファイルのコピーは一瞬。とにかく手で書き写す手間は省けた。

04/20
日曜日。何事もなし。

04/21
月曜日。某プロダクションの関係者、来訪。「日蓮」を読んで、感動したとのこと。宣伝に協力していただけるようで、講演会の企画や映画化などの話もした。ありがたいことである。「日蓮」を書いていたのは去年のいまごろで、その時は、日蓮が乗り移っていた。いまは日蓮がきれてに抜けているので、こちらは少し元気がない。担当編集者からのメールで、連休前に「西行」のゲラが出るとのこと。連休はまた西行とともに生きることになる。堺屋伝の追い込みはその後になる。5月末までには草稿を完成したい。明日は著作権の仕事で長い一日になる。

04/22
火曜日。長い一日が始まる。午前中に自民党本部で音楽文化振興議員懇談会総会の席で説明。音楽業界からは私的録音録画補償金など、優先順位の高いテーマがあり、その中に混ぜてもらうかたちなので、こちらに与えられた発言時間は5分ということになった。まあ、とくに言わねばならないことはないので、よろしくとお願いするだけにとどめた。昼食の後、議員会館を三つ回る。疲れたが必要なことなので果たせてよかった。午後の部の仕事もあるので飯田橋へ。少し早く着いたのでこういう場合にいつも行くカフェバーで休む。生ビール一杯。元気になった。教育NPOの定期協議。ここはいつものことだが順調に推移している。私立中学の校長先生の集まりだが、皆さんとても元気なので、こちにも励まされる。さて、ようやく長い一日が終わった。休んでいた30分ほどの間に、少し仕事をした。

04/23
明日、NPOのスタッフミーティングがあるので、必要な原稿を三本書く。疲れた。その勢いで堺屋伝は先に進む。「油断」ができるまでのエピソード。コンピュータでシミュレーションするという、40年前には考えられないような方法で小説を書く。シミュレーションの段階では小説を書くつもりはなかったということなのだが。

04/24
文藝家協会でスタッフミーティング。著作権管理部の宣伝チラシと、研修会用の資料。あとは軽く飲み会。

04/25
金曜日。本日は公用なし。渋谷まで散歩。東横で沖縄物産フェアをやっていた。ふらっと入って何だかわからない列に並んだ。サーターアンダギーという丸いドーナツのような菓子だった。帰って妻と食べた。固い。この触感が何ともいえない。沖縄出身のタレントがこの菓子を賞賛しているのを聞いたことがある。確かに、思われるものであった。

04/26
土曜日。一仕事してから男声合唱団の練習。今日は10人のメンバーのうち4人していない。小人数で飲むのも楽しかった。

04/27
日曜日。三軒茶屋まで散歩。歩行者天国が賑わっている。ところでいま使っているパソコンをネットにつなぎ始めたのは、浜松の仕事場にADSLを入れた昨年の夏からだが、それで仕事場の書斎の電話線が使えなくなったので、メールをこのパソコンでやるようになった。ところがなぜか、送信ができない。とりあえず回線を引くために取得したIDでつなぐと送信できたが、これでは来たメールに返信できない。しかもなぜか、三宿に帰っても送信できない。ホームページのミラーサイトを置いているハイホーのIDで送信することとしたのだが、依然として返信ができないし、IDをそのつど切り替えるのも面倒であった。それが昨日、ふと思いついて、ウィンドウズにオマケでついている最もシンプルなメールソフトでやってみたいら、簡単に送信できた。理由はよくわからない。迷惑メールのチェックがやや甘いようではあるが、それはウイルスソフトがチェックしているので問題がない。そもそも画面のレイアウトがものすごくシンプルで、余計なものが何もついていないのが何よりである。もっと早くこのことに気づけばよかった。パソコンにはわからないことが多い。

04/28
月曜日。本日は午前10時からの会議。夜は宴会がある。ここを乗り切れば、しばらくは公用がない。休みというわけではないが、自分の仕事に集中できる。まずは会議。旧文部省の五角形の半分が残った建物。いつもは孫会のワーキングチームで五階の会議室だったが、本日は一つ上の子会の小委員会。6階の講堂とのこと。行ってみると新しくフローリングされたきれいな部屋であった。しかしなぜか時々、スピーカーから女性の声が流れる。どこかのアナウンスが混信するのだが、その場にいるスタッフはなすすべなしといった感じで、最後までそのままであった。会議の内容は、まあ、順調である。順調だという意味は、大幅に前進はしないが悪化もしていないという意味。自宅に帰って一仕事してから、宴会。日本点字図書館理事長田中徹二さんの放送大賞受賞を祝う会。160名の出席。当然、立食だと思っていたのだが、視覚障害者の参加が多いということで、着席の会であった。思いがけず結婚式みたいにフルコースの料理を食べることになる。横はオペラ歌手の岡村喬生さん。旧知の人であるのだが、つねにスピーチが続いているので話をすることもできない。しかしさまざまな人のスピーチを聞いていると、田中さんという人の人生が見える気がして興味深かった。田中さんとは、点字図書館のネット配信のために法律を変えるというのを、二人で達成した。二人で文化庁に行って陳情したというだけのことだが、それで法律が変わったので、わたしにとって最短で法律を変えた実例となっている。その縁で点字図書館の理事に引き込まれてしまった。さて、着席の宴会というのは、自分で飲み物をとりにいくことができないので、お湯割りを2杯飲んだだけ。自宅に帰るころには完全に醒めていて、仕事がたっぷりできた。堺屋太一伝。『油断』が世に出るまでのエピソードが終わる。明日からは、集中力をパワーアップして、『西行』のゲラに挑む。集中力が持続するのはせいぜい5日くらいだろう。短期集中で片づけたい。

04/29
仕事場へ移動。「西行」のゲラに集中する。出だしのところ、いい文章だ。ゆったりとしたペースで話が進行するが、文体に緊張感があるので何事かが起こりそうな期待を抱かせる。実際にものすごい物語が進行することになるのだが、このオープニングのテンポはわるくない。

04/30
玄関の電灯が壊れていたので、管理人兼大工さんを呼んで直してもらう。ありがたい。気賀まで行ってランチをごちそうする。「西行」は快調に読み進んでいる。どこかで花の雨を降らせたい。書きかえるところはそこだけで、あとは草稿の段階に何度も読み返したので、文章を直すところはないはずだ。


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