「月の西行」創作ノート6

2008年3月

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03/01
いよいよこのノートも6月目に入る。すべての進行が予定より遅れているのだが、これは「西行」という作品を充実させるための作者の見識によるもので、作品の完成のためには採算を度外視して時間をかけるしかないのだ。しかしいい作品になっていることは手応えでわかる。ただし「空海」とか「日蓮」といった作品に比べれば思想はない。ただ理屈ではない主人公の心意気といったものは伝わるはずだし、ヒロインがいるという点では、これまでの仏教小説とは一線を画するものだ。とにかくゴールがぼんやりと見えてきたのでラストスパートをかけるべき時となった。本日は土曜日。かなりの集中力で前進できたと思う。

03/02
日曜日。ひたすら集中したいところだが、出さねばならないメールが数通あって時間をとられた。同時並行で進んでいる作業(PHPの連載のまとめ)もあるし著作権関係の仕事もある。少し忙しすぎる。とにかく「西行」は前進している。西行が一品経という、要人が「法華経」の一章ずつを写経するという企画の勧進に出向いて、主要登場人物と語り合うという場面を書いている。これはいちおう史実なのだが、わたしの小説ではとんでもない山場になっている。ここからこの小説が始まるといってもいい。そうするといままで書いてきたのは何だったかということになるのだが、ヒロインとのロマンスは保元の乱に到る長い序章だったといっても過言ではないのだ。しかしこの作品を恋愛小説と見るなら、すでにヒロインは出家しているので、あとは死ぬばかりだ。いま書いているところは、やや長い終章の冒頭部分ということになる。うまくいけばこの作品は三部作になるので、どこかで早く終わりたいのだが、この長い終章で保元の乱の顛末はコンパクトに語る必要がある。そうでないと崇徳天皇の死というエピローグの最終段階に到達しない。保元の乱そのものは詳細までは語れないが、スピード感のある文体で西行の活躍だけを語りたい。ということで、そろそろ3章は終わって、あとは終章ということになる。

03/03
ペンクラブ言論表現委員会。ペンクラブは久しぶり。どうやって行くんだ、と一瞬考えた。まあ、軽い散歩と考えて出かけていく。西行は一品経の勧進。主要登場人物が全員揃うことになる。

03/04
文藝家協会理事会。出かける前にも少し仕事ができた。帰りの電車の中で、藤原頼長がキーポイントだと気づいた。西行の立場を明確にするためにも頼長には少し長くしゃべらせたい。

03/05
今日と明日は公用がないので自分の仕事に集中できる。本日で3章が終わる。

03/06
第4章は「終章」ということにする。これまでの3章よりもかなり短くなるはずだ。同時に読者に小説がもうすぐ終わるということを告げておきたい。この終章の冒頭でヒロインが死ぬ。そこで物語は終わるのだが、待賢門院璋子の人生を考えれば、亡くなったあとで起こった保元の乱を抜きにして語るわけにはいかない。平安初期の薬子の変以来、300年以上、京都では戦乱がなかった。保元の乱から平治の乱、そして源平の合戦へと急速に時代は揺れ動き、平安時代の終焉が訪れる。璋子という一人の女性が時代を終わらせたということもできる。それを見守っている西行の心の内も、保元の乱を抜きにしては語れない。しかし全体を恋愛小説と定義しているので戦記物のように戦闘の様子を描くわけにはいかない。ここから先はアラスジだけのような展開になる。これまでの時間の流れとは違うということを読者に示すために、ここに「終章」という表示が必要なのだ。あとはまるで年表を読み上げるように事蹟を羅列することになる。しかしそこには取捨選択が必要だし正確な年号なども要るので資料を確認しないといけない。手のかかる作業だが、必ずゴールに到達できるという安心感はある。ラストシーンは松山になる。あと何日かかるかわからないが、ようやくゴールが見えてきた。

03/07

朝10時からの会議。申し訳ないが時間に追い詰められているのでPHPのゲラをもっいく。「プロを目指す文章術」。連載なので文章にばらつきがあるのではと危惧したが、4章まで見た感じでは安定している。出だしは面白い。この連載は後半に行くほど盛り上がったという手応えがあるのだが、出だしからけっこういいトーンで書いている。ゲラは読んでいても耳は会議の動勢に耳を傾けていて適宜に発言もした。昔、高校生の頃、授業中に内職したことを思い出した。さて「西行」はすでに終章に入っている。ヒロインが痘瘡になるシーン。小さな山場だが最後の山場なので慎重に書く。これから先は山もなく淡々と歴史が記されることになる。もうクーリングダウンという感じ。余韻を楽しみながら静かに着地したい。

03/08
土曜日。ひたすら仕事。もはや後日談を書くだけになっているのだが、一つ一つのイメージがうすいと印象に残らない。あわてずにイメージを定着していく作業が必要だ。後白河と西行の対決。これも一つの山場なのだが、次に展開する物語の伏線にもなっている。この作品は独立したものではあるが、物語には続きがある。その続いていく部分への暗示も必要だろう。

03/09
日曜日。本日はタイムリミットのためPHPの仕事。金曜日の会議中に冒頭の部分をチェックしていい文章になっていることを確認。あとはひたすらチェックを続けるだけ。昨年、大学を辞めたので、この本は「小説の書き方」の決定版としたい。夜中にはゲラの作業が終わり、西行。子息との対面。これはけっこう山場になる。ただ終章に入っているのでじっくり描いているとテンポが出ない。ものすごいスピードで歴史を語るというコンセプトの中で処理するしかない。

03/10
月曜日。本日はメンデルスゾーン協会が協賛している留学生オーディションがあるのだが、ごめん、欠席する。ゲラのチェックは終わっているのだが、「まえがき」が必要だ。書店で立ち読みして本を買う人がいるので、まえがきはキャッチコピーみたいなものだ。コシマキは編集者に任せるとして、まえがきは著者の責任である。わずか3枚ほどの原稿だが心を込めて書く。これでオーケー。原稿はメールで送りゲラは宅急便で送る。それからまた「西行」。
トウリという遊女を妻にするくだり。なぜヤンキースの元監督みたいな名前をカタカナで書くかというと、このトウリという漢字はJIS外の文字なのでユニコードでないと出ない。最近のバージョンのワープロソフトやブラウザはユニコードを使えるのだが、旧いブラウザだと、1文字でも規格外の文字を入れると全体が文字バケしてしまうらしい。ということで、トウリという文字は書けないのだ。
それから子息を出家させるくだり。ここはホロリとさせたい。伝説上の西行は娘と別れる時に邪険に突き飛ばしたりしている。わたしの西行はそんなひどいことはしないが、わりとサラッと別れてしまう。しかし息子との別れはもう少しセンチメンタルにしたい。それはわたし自身に息子しかいないせいかもしれないが、男にとって息子というのは大切なものだ。もっとも孫娘が3人できたので、娘も大切だといまは思っている。

03/11
著作権情報センター理事会。初台のオペラシティー。ここへ行く時はたいてい妻の運転で送ってもらう。車なら20分で行ける。会議中、「西行」のエンディングまでの段取りをメモ。こういう細かい手順はこれまで考えていない。これからどうなるのだろうというのは書く側にとっても興味の対象でありモチベーションにつながる。先が読めてしまうと書く楽しみがなくなるのだ。しかしゴールが見えてきたので、そろそろ手順を確認しないといけない。ロジックが貫かれていないと読者をひっぱっていけないので、論理的矛盾がないかを確認。オーケー。これで一気にゴールに突入できる。

03/12
ひたすら仕事。保元の乱に到る政治状況をある程度、丹念に書かないといけないのだが、理屈っぽくならないように注意したい。

03/13
連載の仕事を一つ片づける。いよいよ保元の乱の直前まで来た。

03/14
文化庁小委員会。今シーズンの幕開け。保護期間について昨年は議論が対立していたのだが、今シーズンは利用の利便性をはかるという一点に絞って提案していきたい。利用されることは著作者の望みだから、この点に関しては意見の対立は生じない。利用者の立場で考えていけば、理解が得られると考えている。さて「西行」は大詰め。ここから主要登場人物がもう一度、顔見せをしてエンディングということになる。最初は後白河天皇の出番。

03/15
国立国語研究所のシンポジウム。妻に送ってもらう。土曜なので東銀座まで30分で着いた。テーマは著作権。こういう集まりではいつも著作権は仇敵みたいに扱われるのだが、いまわたしは簡易な裁定制度という、利用者の味方みたいな提案をしているので、参加者に歓迎された。さて「西行」はいよいよ大詰めの保元の乱。頭の中が保元の乱になっているので、著作権問題に切り替えるのに苦労をした。このシンポジウム、国語研究所の主催なのでどういう人が来ているのかよくわからなかったのだが、ジャスラックと文藝家協会の人が来ていて、ちょうど打ち合わせをしたかったので一挙に解決した。
それはいいのだが頭が著作権でいっぱいになったので東銀座から日比谷線に乗ると頭の中を「西行」で埋める作業を始めた。しかしその結果、日比谷線に乗っていることを忘れてした。日比谷線は鬼門である。ふだん利用する半蔵門線と日比谷線は交差していない。線路は交差しているのだが接点がない。あえていえば水天宮から人形町まで1ブロック歩けばいいのだが乗換駅ではないので1度地上に出ないといけない。よーく考えてみると銀座で銀座線に乗り換える、日比谷か霞ヶ関でで千代田線、六本木で大江戸線、恵比寿でJR山手線といった乗り換えが可能だが、頭が西行になっていたので終点の中目黒まで乗ってしまった。中目黒から自宅まで歩いた。いい散歩になった。

03/16
日曜日。ひたすら仕事。エンディング直前の登場人物の総登場。後白河、崇徳が終わって、いよいよ清盛。この人物はまだチラッと出てきただけなので、ここで一気に個性を見せておきたい。

03/17
今週は金曜まで公用がない。ゴール寸前のこの時期なのでありがたい。ところでいま仕事用に使っているのパソコンは去年の今頃買ったもの。それまでは大学が貸与してくれたパソコンで仕事をしていた。辞職するとパソコンも返さなければいけないので、新たに購入したのだが、プリインストールされていたウイルスチェックのソフトの更新期限が迫っていた。一年が経過してお金を払わないと打ち切りというカウントダウンが数日後に迫っていた。仕方がない。本日、ネットでNTTのソフトを導入した。3台までオーケーというので、うちはちょうど3台使っている。ところがこの3台ぶんのインストールで3時間くらい時間をロスしてしまった。やれやれ、夕方の仕事ができなかった。本日は清盛との対話が終わったところでおしまい。

03/18
あと少しでゴールと思っていたが、いろいろと書かねばならぬことがある。とにかく前進するしかない。

03/19
1月に亡くなった河林満さんの追悼文を書く締切。河林さんは文学界新人賞をとり芥川賞の候補にもなった作家。現代ではめずらしくなったプロレタリア文学ふうの作風で、リアリズムに徹した筆致には安定感があった。明るく元気な人で、年に一度くらいの飲み会を楽しみにしていた。わたしより年下なので訃報には驚いた。さて、西行の方はラストスパート。最後に主要登場人物が全部出てくるうちの半分くらいまで書いた。ここからはさらに断片を短くしてスピードアップしたい。

03/20
春分の日。なぜ20日が春分の日なのか。あ、閏年なんだね。スペインにいる息子たちはもうセマナサンタ(聖週間)に入っているらしい。春休みである。これは復活祭前の一週間から十日間くらいの連休のこと。この復活祭が毎年移動するのだが、今年は3月23日だとのこと。正確に言うと、春分の日の次の満月の次の日曜日と規定されているらしい。春分の日が満月の翌日だったりすると、最大一ヶ月と一週間先になるので、四月下旬になることもあるのだが、今年は木曜が春分の日で土曜が満月、すると翌日の日曜が復活祭ということで、ほとんど最短のケースに近い。スペインでは太鼓の隊列が行進するのだが、裸足で歩く人もいて、三月のセマンサンタは寒いのではないか。おりしもスペインには大寒波が来ているらしい。
ところで本日は重大な決断をした。終章に入って、話はアラスジだけになりがちなのだが、コンパクトに描きながら必要なイメージはセリフと描写でしっかりと描くようにしている。しかし西行のいないところで話が進む部分があり、ここだけは理屈っぽいアラスジになっている。そこで決断。この作品はすべて西行の視点で描く三人称客観小説のスタイルで押し切っているのだが、一箇所だけ、西行のいない場面の描写をすることにした。ここだけ神の視点になる。スタイルを守ることと、読者の読みやすさをハカリにかければ、読者の負担を軽減した方がよいと判断した。もう一つ、ラストの直前で平清盛の印象的なシーンを思いついた。エンディングの直前になるとこういうアイデアが湯水のようにわいてくる。もっと早く出てくれれば楽になるのだが。

03/21
金曜日。書協で打ち合わせ。国会図書館のアーカイブに関して。この問題は国会図書館の問題ではなくて、背後にネット業者などの思惑があるのだろうと思う。いまちょうど保元の乱のことを書いているのだが、ネット業界というのは保元の乱より複雑だ。だから国会図書館のことだけを考えると読み違えてしまう。今日の協議は出版社などこちら側の人ばかりだけれども、全体を見下ろす視点が必要なのでかなり議論が白熱した。で、いつも会議中にやる内職はできず。しかしこういう白熱した議論は頭の体操になる。
「西行」はいよいよ追い込み。清盛との最後の会話を終えて西行が馬にのって戦場に駆けだしていくところまで。ゴールは見えている。このラストシーンの清盛はなかなかに魅力的だ。こうしう人物がわたしは好きだ。すでに「清盛」という作品は書いているのだが、清盛を主人公にすると清盛の魅力がうまく書けなかった。ちらっと脇役で出てくると魅力が見えてくる。

03/22
土曜日。夜はコーラスの練習なのでタイムリミットがある。時間にせきたてられながら作業をするうちにゴールに到達した。最後は讃岐の松島にまでいくことを考えていたのだが、上西門院が出てくるところで打ち止めとした。そのため保元の乱以後の後日談は数行にまとめて先に書き、エンディングに上西門院を登場させた。第四章は戦記物みたいになっているのだが、全体は恋愛小説という枠組みになっている。四章のはじめにヒロインは死んでしまうのだが、娘が最後に出てくることでエンディングをひきしめることになる。うまくいっていると思う。それからコーラス。気持ちよく祝杯をあげた。

03/23
日曜日。完成した「西行」の修正。プリントして読むひまがないのでパソコンの画面で修正している。半分くらいのところまでは何度も読み返しているので文字の間違いはほとんどない。後半はまったく読み返していないのでタイプミスがたくさんあるだろう。少し時間がかかるかもしれない。

03/24
部屋を貸していた妻の甥の卒業式。博士課程まで行ったので長い学生生活であった。親が大変だったと思う。「西行」はいよいよゴール寸前。全体は4章だが、3章の終わり近くまでチェック。ここまでの感想。西行という人物は文武両道に秀でた人物だが、つねに受け身なので物語の主人公としていかがなものかと思われるのだが、驚くべき時代背景の中に置かれているので、受け身であることがしだいに効いてきて、ユニークな個性が見えてくる。積極的でないのに時代の焦点につねに身を置いて、西行が移動するだけで歴史が動いていく。どうしてこんなにもてるのかという人物なのだが、その人間としての魅力がよくわからない。書いている作者がわからなくてどうするかと思うのだが、とにかく女性に不思議に慕われてしまう人物である。ヒロインが登場するのが2章の半ばで、4章の冒頭では死んでしまう。出番が少ない。その短い登場シーンで魅力が発散されるわけだが、実際にヒロインが登場するまでに前置きがかなりあるので、西行の想像力が刺激される。実際に姿を見る前にすでに恋をしているという設定になっている。そのあたりが読者にうまく伝わるか。たぶん大丈夫だと思う。さて、3章の終わりのあたりから突然、この小説は恋愛小説から時代小説へ急速にシフトチェンジする。その変化に読者がついてこれるかというところがポイントである。3章の終わりに清盛が出てくる。この清盛がなかなかに渋いキャラクターになっている。この作品の陰の主人公ともいうべき設定がある。白河院である。ヒロインは白河院の養女にして愛人、そして白河院の落胤が何人も登場する。いちばん父親に似ているのは後白河という設定になっているのだが、出番の少ない清盛にも白河院の遺伝子が色濃く出てくる。この二人が直接ぶつかるシーンはない。間に挟まった西行のまなざしの中で二人のイメージが交錯することになる。ややアクロバット的な構成なのだがうまくいっている。3章のエンディングがいい。

03/25
甥とその母親が去っていった。静かになった。こちらはひたすら「西行」。いよいよゴール寸前。だが4章はすごいスピードで書いたので間違いが多い。地名というか館の名前が間違っている。高倉殿と高松殿を混同している。三条東殿と東三条殿も入れ違っている。ややこしい名前をつけるなと言いたい。明日は午前中の会議なので早く寝たいのだがなかなか終わらない。結局、朝の8時に完成。

03/26
徹夜のまま会議。初台の著作権情報センター。自宅に帰って仮眠。夜は新橋の集&YUで講演というか談話会のようなもの。メンデルスゾーン協会の機関誌の編集長が企画している談話会のシリーズで、文学について少ししゃべってあとは飲み会になるという愉しい集まりであった。ところで先週の金曜日にやった会議で決まったことを文化庁に報告して、それで話がまとまると思っていたのだが、何やら紛糾しているらしい。今週の金曜に予定されていた会議がそれで中止になった。この会議は2時から4時までで、実はその日は4時から6時という会議があって、タイムラグがまったくないのでどうしようかと思っていた。スーパーマンではないので虎ノ門から高田馬場まで瞬時に移動することはできない。で、会議が中止になったのはありがたいのだが、議論が後戻りしたようなので、わたしとしてはもうどうでもいいという気分になっている。というようなことを文学の話をしている時にも頭の中の別のどこかで考えていたりする。「西行」は本日の早朝に脱稿したので、きれいに頭の中から消去されている。昔は小説を書き終えてから編集者に渡すまでにタイムラグがあったのだが、メールに貼り付けて送ればそれで終わりだ。ファイルはパソコンの中には残っているけれども、頭(という中央演算装置)から消去してしまえばきれいに忘れてしまう。さて、明日からは堺屋太一伝だ。

03/27
やたらと眠い。昨日は朝まで仕事をして徹夜で会議に出て仮眠してからまた談話会に出るという変則的な一日だったので疲れがたまっている。しかしまあ、小説を書き終えたあとのリラックスした気分に包まれている。今回の作品は主要登場人物が多かった。しかも保元の乱の前夜の緊張した状態で、ヒロインを除くほぼ全員が揃って動き回るので、キャラクターに関する情報が頭の中でオーバーフローしそうだった。幸い朝のうちに完成できたので、夜の談話会ではすべてが消去されていた。人間の脳は休ませないといけない。本日もすべてが消去されたままで、何を書いたかまったく想い出せない。いい作品を書いたという幸せな気分だけがある。通常は、この状態でまだ編集者に渡さず、一週間くらい放っておいてからプリントしたものを読み返し、赤字を入れるところだが、今回は時間に追われて書くという緊迫感を文章に反映させたかったので、エンディングに近づくにつれて書くスピードを上げていった。これは最初から計算していたことで、とくに保元の乱の半日くらいの動きを一気に書いたスピード感が出ていると思う。ということで、これはあとで変にいじらない方がいい。書き終えたホットな状態のものを編集者にメールで送った。つまりプリントしたものをまだまったく見ていない。横書きが縦書きになっただけでも印章が違うのでどうなるか楽しみだが、最初から読み返してチェックした印章でいえば、いい文章がいっぱいあった。どんな文章だったかは忘れた。
さて、本日はお花見。北沢川の桜が満開である。北沢川というのはいつもわたしが散歩するところ。川を暗渠にしてその上に人工の川が作ってある。人工の川といっても草花が生い茂り、メダカがザリガニがいて、カルガモやシラサギもいる。以前、一度だけだが、ゴイサギもいた。桜は昔、本物の川があった頃から両岸にあったもので、いまは人工の小川の両側が緑道になっているので、絶好のお花見ポイントである。しかし本日はウィークデーの上、とても寒い。宴会をしている人はなかった。いつもわたしはこの人工の小川に沿って環七まで往復する。某有名シンガーソングライターの家の前を通り、その先の友人の弁護士の家の前を通り、某有名タレントの家のベランダから顔を出している犬を見て、環七でターンして戻ってくる。往復で一時間近くかかる。桜はいま満開。本日は妻と環七の近くまで行き、それから下北沢でプルコギ鍋を食べて帰ってきた。よいお花見だった。
夜中の仕事はとりあえず半分くらいまで書いて半年近く放ってあった堺屋太一伝を読み返す。オープニングが少しかったるい。なぜわたしが堺屋太一伝を書くかということにこだわりすぎている。わたしとしては重要なことなのだが、されからあまり多くはないわたしの読者にとっても、何で堺屋太一なの? (空海、日蓮、西行のあとで……)という疑問は出るだろうが、堺屋太一伝を読むであろう多くの読者は、堺屋太一のことは知っているがわたしがなぜ書くかといったことはどうでもいいと考えているだろう。だから黙って堺屋太一伝を始めればいいのだ。とはいえ、どうしても書いておきたいことがある。大阪で生まれ、小学校が同じ、というだけではなく、同じ町で生まれ育った。町というのは大阪市ということではない。東区岡山町という、走れば数分で一周できるような街区である。安土桃山時代に宇喜多秀家の屋敷があった。それがそっくり岡山町(秀家は岡山の領主)になっているのだ。そのことだけは書いておきたい。その他の余計なことはカットして本編に進むことにする。それでスムーズなオープニングになるだろう。

03/28
日本点字図書館の理事会。昨日は実に久々にのんびりした気分になって、懸案だったメンデルスゾーン協会のホームページの仮設盤も作製した。三ヶ日の仕事場にブロードバンドを入れるのにプロバイダと新しい契約をしたらホームページもついていたのでそちらに「理事長のページ」というのを連載することにした。来月から本格的にスタートする。のんびりした気分で帰宅すると河出から「僕って何」のゲラが届いていた。30年前の作品である。角川と河出の文庫に入っているのだが河出で新版を出すのだという。別に書きかえるわけではないので、まあ、ぼやっと見るだけでいいのではと思うのだが、昔、大学の学生にこの作品を読ませたら、「先生、時代小説ですね」と言われた。確かに冒頭に新入生の主人公がキャンパス(いまの早稲田の文学部とほとんどキャンパスは変わっていない)に入っていくと記念会堂前の広場で白ヘルメットの学生がゲバ棒をもって武闘訓練をしている。まるで新撰組と鞍馬天狗の世界だ。とにかくしばらくはのんびりと仕事をすることにしたい。

03/29
土曜日。のんびりした週末。とりあえず「僕って何」のゲラを読む。30年前に書いた文章だ。赤ペンで添削指導したくなる。何というゆるい小説だろう。こんなものでよく芥川賞がとれたなと思う。選考委員のご好意にひたすら感謝したい。ともかく昔の作品の文章を書きかえるわけにもいかないので、校正に徹することになるが、すでに文庫になっているものなので、誤植みたいなものはない。漢字の統一などで校正者が疑問を出したものだけを見ていく。けっこう漢字の使い方が不統一だ。昔はこういうことに、担当者も無頓着だったのだろう。あとは編集者に任せることにして、わたしの校正はおしまい。ゲラをユーパックにつめて一件落着。さて堺屋太一伝。プロローグがよくない。ここさえ書きかえれば、何とかこれまで書いた原稿は使えるのではないか。

03/30
日曜日。雨が降り出したのであわてて散歩。北沢川。昨日も今日も寒いのに桜の下で宴会をやっている。生ビールのサーバーをもってきている人々もいる。数年前ごろは、火を使わないでと、近所のおばさんがうるさく言って回っていたのだが、諦めたみたいだ。この寒さでは火が恋しい。七輪を出現。雨が降っているので引き上げる人々もいるが、めげずに宴会を続ける人もいる。某有名歌手の前のあたりは桜が密集していて雨の影響がないようで、宴会は延々と続くようだ。雑文一件。なぜか急に雑文の依頼が増えた。プロローグの書き直しは慎重に何度も書きかえている。これで文体が決まる。

03/31
月曜日。妻と砧公園で花見。あとはひたすら仕事。堺屋伝のプロローグ。ここでは本編の内容をダイジェスト的に展開する必要があるのではないか。そうでないとこの本の中味の面白さが伝わらない。この本はプロローグさえできれば半分以上はできたも同然といった感じになるのではないか。


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