「マルクスの謎」創作ノート4

2008年7月

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07/01
教育NPOとの定期協議。教育のためのボランティア活動をしている人々で、彼らの熱意には感動する。わたしよりやや年上の人が多いので教えられることも多い。親しい人々なので、二次会ではつい飲み過ぎてしまう。

07/02
文藝家協会理事会。今月はロシア旅行に行っていたこともあるが、文化庁の審議会がストップしていることもあり、報告すべきことがない。本日はもう一件、所用があるのでウナギを食べずに早退。東京タワーの隣にあるとうふ料理屋で、堺屋太一さんらと会合。東京タワーに関するオムニバスの本を出す打ち合わせ。このとうふ料理屋は、ボーリング場の跡地に建てられたらしいが、高尾の先に野鳥料理の店を出している企業のチェーン店のようだ。店のつくりが似ている。わたしは8年間、八王子に住んでいたので、野鳥料理屋や、その手前のキジ鍋の店、ステーキハウスなどに、子供づれでよく行ったものだ。隣の席は泉麻人氏であった。以前に、某評論家から、顔が似ていると言われたことがある。わたしは自分では、アニメの押井監督や、コトー先生の吉岡くんに似ていると思っているのだが。

07/03
本日は公用なし。明日がややハード。とにかく毎日、童話は進んでいる。並行して「マルクス」の資料も読んでいる。

07/04
今週はハードだが、そのピークが本日。朝、8時20分に自宅出発。妻の車で千駄ヶ谷まで送ってもらう。総武線で新小岩に向かう。何と、10時まで座席がないというひどい電車に乗ってしまう。しかし対抗する電車を見るとちゃんと座席があるので、市ヶ谷で降りて次の電車に乗る。ふつうの電車が来て座れる。新小岩は小岩の次だと思っていたのだが、手前だった。予定より10分早く着く。しかしすぐに区役所の人が迎えに来る。江戸川区役所で講演。職員の「幹部会」の講演などで、聴き手はおじさんばかり。ふだんは女性の聴衆の方が多いので、最初は少し戸惑ったが、自虐的なギャグがうけて、笑いがとれた。あっという間に1時間半の講演が終わった。帰りも新小岩まで送ってもらう。快速に乗る。新小岩に快速が停まるということも知らなかった。次の駅は錦糸町。ここで下りて半蔵門線に乗る。熟睡。気がつくと池尻大橋。九段下を出てから池尻大橋に着くまで、進行方向左側のドアが開くことはないので、気配でわかる。少し仕事。夜、メンデ協会の理事会。しばらくメンデのことを忘れていた。事務局長の仕事が忙しくてすべてがストップしていた。こちらも仕事が忙しかったり、ロシアに行ったりしたので、完全に頭の中から消去されていた。で、この理事会では、スタッフの責任分担を明確にして、理事長の指令がなくともすべてが動くようにした。これで大丈夫だろう。というようなことをビールを飲みながら決めて、あとは雑談。この飲み会が楽しくてスタッフも参加しているのだ。気持ちよく酔って長い一日が終わった。

07/05
土曜日。ハードな一週間が終わった。童話。進んでいる。書き進むにつれて、広く深くなっていく。いい作品になりそうだ。「マルクス」の担当者が、はらはらしながらこのノートを読んでいるだろうが、童話はゴールが見えているので、あと数日でゴールインできる。ただし雑文が一日かかるので、まあ、本格的にスタートするのは月の後半ということになるか。でも、頭の中では何を書くか整理されているので、書き始めれば早いはず。ただし、来月はスペインの孫3人が来る。どうなるかなあ。

07/06
日曜日。童話。さらに進む。ゴールが少しだけ見えてきた。

07/07
中村くんと三宿で飲む。このノートに唯一、実名で登場する編集者。講義録シリーズからのつきあいなので、とても旧い。三宿の角のフランス料理屋。フランス料理ということだが、スペインのタパスのような前菜がたくさんある。前菜ばかり食べる。すべて美味。バー一軒はしご。

07/08
世田谷社会保険事務所。厚生年金の請求書の提出のため。請求書を出さないと年金をくれないというのは、どういうシステムか。しかし請求書の書き方が難解で必要な書類もわかりにくい。結局、1つ書類が欠けていることが判明したが、あとで送ればいいということで封筒をくれた。職員の応対はおおむね親切で、的確な説明をしてくれた。やさしいおねえさんだったので、説明書の不備は許すという気分になった。とにかく請求書を受け付けてくれたので、7月ぶんから年金をもらえるらしい。60歳から厚生年金がもらえることは、意外に知られていない。というか、わたしも人に言われるまでは知らなかった。何となく、65歳からだろうと思っていた。65歳からなのは国民年金で、厚生年金の報酬比例分は60歳からもらえるのである。多くのサラリーマンは定年延長で働くので、60歳から厚生年金をもらう人が少ないということだろう。わたしのような自由業者は、請求書を出してもらうことになる。たぶん一般のサラリーマンは、定年退職する時に、会社の担当者が説明してくれるのだろう。世田谷社会保険事務所はボロ市の通りにある。半年前のボロ市では、世田谷区役所まで歩き、そこからバスに乗った。同じコースで区役所まで行くとバスは出たばかり。自宅まで歩くことにした。1時間ほどかかる。保険事務所では1時間ほど待たされた。おいてある椅子の数からすると、今日は人の少ない方だろうと思う。ブースの中で大声でしゃべる人は、話の内容が聞こえてしまう。わたしのように請求書を出すだけの人は少なく、皆、何やら問題をかかえている。転職の記録がつながっていないとか、払ったはずの年金が記録されていないとか、勤めていた会社を思い出せないとか、どこかに同姓同名の人がいるらしいとか、そんな会話の断片が聞こえてくる。わたしの場合は、記録はつながっている。60歳をすぎても作家は働き盛りだし、実際、来年の仕事の予定も入っているので、年金がなければ生きていけないわけではない。年金をもらえるのはボーナスみたいなもので、とても嬉しい。

07/09
雑用一件仕上げてからNPO総会へ。わたしが理事長を務めている日本文藝著作権センター。これは児童文学二団体と共同で設立したNPOで、著作権管理部の広報活動を担っている。同時に児童文学の方々との交流の場である。今回は文藝家協会の出席は書記局だけ。まあ、それでいい。児童文学の方々とゆっくり話ができた。その後、スペインバーでスタッフを慰労。少し飲み過ぎたか。雑用を仕上げてあるので明日からは童話に集中できる。

07/10
今週の公用は昨日で終了。この週末にかけて童話を完成させたい。

07/11
金曜日。昨日から休日状態なので週末になるという感じはない。童話、いよいよ最後の章。「西行」の見本届く。いい本になった。仏教も少し絡むけれどもロマンティックなストーリーになっている。自信作。

07/12
土曜日。童話。ゴールは見えているが、ちょっと停滞している。夜中にくだらないテレビを見ているからだ。ひさしぶりにプロ野球を真剣に見てしまったせいもある。妻が実家に帰っているので衛星ハイビジョンが映るテレビを一人で見られるせいだ。さて、明日には完成したかったが、ちょっと無理か。

07/13
日曜日。本日まで妻が実家に帰っていた。そのすきに仕事が大いにはかどった。ゴール寸前。

07/14
今日は姉の芝居を見に行く。あと数行で完成するというところでタイムリミット。妻の車で初台に向かったが、その車内でノートに数行を書いた。これで完成。自宅に帰って入力。プリントして、少しおいてから読み返す。で、「マルクスの謎」に取り組む。出だしのところはすでに書いてある。この出だしでよいのかどうかを検討。まだわからない。しばらくこのまま進めてみたい。

07/15
「マルクスの謎」まだ文体ができない。読者として、同世代の老人と、わが息子たちの世代、もっと若い世代などを想定している。世代が違うと予備知識に差があるので、若い世代に対しては説明が必要になってくるが、説明しすぎると同世代の読者は退屈する。このあたりをどうするかは、難しい。最初は説明ぬきでテンポよく語って、少しずつ説明するというのが正攻法だろう。童話のプリント、少し目を通してみると、けっこうおもしろいのでどんどん読んでいけるのだが、漢字の配分が難しい。総ルビだから漢字を使ってもいいのだが、漢字が多すぎると全体が黒っぽい漢字になって小学生には敬遠されるだろう。固有名詞や名詞はなるべく漢字にして、動詞、形容詞、副詞など、補助的な言葉はなるべく平仮名、というのが鉄則だろう。チェックを始めると、平仮名にすべきものがたくさんある。これはワープロだから、すぐにできるのだが、漢字の数が多すぎる。けっこう手間がかかる。

07/16
昨日は文藝家協会で教材出版社等と協議。これで今週の公用は終わり。自分の仕事に集中できる。夕方、『群像』を買いに下北沢の三省堂へ行ったが、なかった。三省堂に『群像』がないということに、ショックを感じる。『新潮』も『すばる』もなかった。なぜか『文学界』だけは何冊もあった。綿谷りさの新作が出ているせいか。昔、仕事場のある浜松では、『群像』は手に入らなかった。いまはショッピングモールに大型書店があるのでそんなことはない。それが下北沢の三省堂で手に入らないというのは、三省堂の営業戦略だろう。下北沢には文芸誌を読む客がいないと三省堂の営業部は考えているのだ。ということはつまり、若者は文芸誌を読まないということで、これでは文芸文学に未来はないということだ。まあ、自分にとってはどうでもいいことだが。「西行」を若者が読むとは思えない。読んでほしいとは思うのだが。とにかく三省堂になかったので、斜め向かいの小さな本屋に入った。三省堂になくて、この本屋にあるという体験が三度ほどある。この本屋の経営者に見識があることは、前からわかっていたが、ちゃんと『群像』はあったし、『新潮』も『すばる』もあった。わたしは『群像』に作品を書いたことがない。ほかの文芸誌はつきあいがあるので本は送ってもらえる。だから時々、『群像』を自腹で買う。毎月ではない。この前に『群像』を買ったのは、埴谷さんの創作ノートが掲載された時だ。この時は、渋谷の紀伊国屋にもなかったが、これはたぶん売り切れたのだろう。今月の『群像』が売り切れたとは思えない。もとから入れてないのではないか。とにかくこの三省堂には二度と行かない。最初から小さい本屋に行けばいいのだ。

07/17
一日中ひたすら仕事。プリントのチェックは終わった。あとは入力のみ。明け方、入力完了。これで手が離れた。そこであらためて、今回の「童話」について書いておく。講談社の青い鳥文庫から「星の王子さま」の翻訳の依頼があって、担当者と打ち合わせをした時に、いずれオリジナルの童話を書きたいと伝えてあった。ただしいつになるかはわからないという、書き手にとってはつごうのよい、締切なし、催促なしの話であったが、昨年の9月、スペインに3人目の孫を見にいった時に、長男の家で、童話を書き始めた。そこで考えたのは、日本の神話を語るということだ。戦争に負けたために、日本の人々は神話を捨ててしまった。これは残念なことだ。どんな国にも、民族にも、固有の神話がある。自画自賛であろうが、独善であろうが、井の中の蛙であろうが、そんなことはどうでもいい。固有の神話というものは、民族のアイデンティティーにかかわることで、単に戦争に負けたというだけで、神話そのものを否定することになったのは、痛恨のできごとであったとわたしは考えている。これは、神話や天皇制が、戦争を推進する軍部に利用されたということで、日本の神話そのものに、戦争礼賛といった思想があるわけではない。むしろ、国の統一というのは、国内の平穏を実現するためには不可欠なことなのだ。反体制をつねに善とする、戦後の反体制運動とは訣別して、民族に固有の神話というものをちゃんと子供に伝える必要があるのではないか。ということで、「平和」を求める日本神話というコンセプトで、神話を書きかえていきたいと考えた。今回は、海幸、山幸として知られる、神武天皇の祖父の物語だ。そのまえには、アマテラスやスサノオ、大国主などの物語があり、そのあとには、神武天皇の物語が続く。その全体の流れの中に人物をおいて、大きな流れが感じられるような展開を設定するとともに、徹底して、「戦わないヒーロー」という、困難のキャラクターを描くことに徹した。わたしは子供のころに、「王女ナスカ」という童話を読んで、平和主義の過激さに感動した。無抵抗主義というのは、一種の原理主義で、ほんとうはとても過激な思想なのだ。神話の山幸彦はまさにそれだと思う。過激な平和主義。それが今回のテーマだ。ただし神話だから、つごうのいい神秘的な出来事が起こる。何しろ、神さまがいっぱい出てくる作品だ。そのあたりは、リアリズムと神秘主義の微妙なバランスの中で、物語が展開されることになる。いずれにしても、編集部への提案は、こちらがベストを尽くしたという実感が得られるかたちで達成された。さて、次の仕事だ。「マルクスの謎」。プロローグのところで行き詰まっているのだが、明日から、集中して仕事をしたい。とはいいながら、明日には日本の孫が来ることになっている。まあ、スペインの3人の孫に比べれば、日本の孫はまだ言葉もしゃべらず、寝返りさえうてない小さな人物であるから、仕事のさまたげにはならないだろう。

07/18
金曜日。明け方、入力作業を終えたので、メールに貼り付けて送った。昼頃起きて、着いたというメールが入っているのを確認。ただちに「マルクスの謎」を書き始める。行き詰まっていたところはクリアーした。いくらでも書ける感じはするのだが、急ぎすぎると袋小路に入って、もとに戻らないといけない。出だしは慎重に、一歩ずつ進んでいきたい。

07/19
土曜日。今年生まれた四日市の孫が「おくいぞめ」をやるという。そんなもの、四日市でやればと思うのだが、祖父母を巻き込んだ方が盛り上がるということらしい。ということで、二子玉川高島屋の最上階の京料理の店へ行く。嫁さんの母が町田にいるので、互いの中間地点ということで妻がネットで調べたのだが、メニューに「おくいぞめ膳」というのがある。生まれて3カ月半の赤ん坊が膳を食べるわけはないのだが、これも祖父母を巻き込んで金儲けをするというコンセプトのようだ。しかし見晴らしの良い個室が用意されていて、料理もなかなかのものであったから、気持よくビールを3杯ほど飲んだ。昼間飲むビールは格別である。

07/20
日曜日。いつもの日曜日だが、孫がいるので、勝手が違う。幸い、次男夫婦は孫をつれて外出したので、仕事に集中できた。「マルクスの謎」少し動き始めた。まだ試行錯誤だと文体も揺れている。プロローグの部分が完結すれば、それで文体が固まるし、あとは歴史的な展開に沿って書いていけばいい。プロローグの部分は、これから書く本のエッセンスであり、オペラの序曲のようなものだ。全体を書いてからプロローグを書く方がいいのかもしれないが、この本を書く心意気みたいなものを示すために、このプロローグは最初に書くべきだと思った。ここで文体が決まると同時に、書き手のスタンスが決まる。ここは重要なところだ。

07/21
月曜日だが祝日。何の祝日だ? 次男たちが帰った。もとの老夫婦二人きりの生活に戻った。寂しいが、少しほっとする。月末にはスペインから三姉妹が来る。先が思いやられる。

07/22
火曜日。今日からウィークデーが始まるのだが、本日も公用なし。もはや世の中は夏休みモードになっているのか。こちらは「マルクスの謎」をひたすら書くばかりだが、週末、孫がいる緊張感で疲れたので、妻と映画を見にいく。「ジャージの二人」。この映画はシベリアン・ハスキーが主役である。場所が軽井沢で、うちの竜之介が健在であった頃、軽井沢の別荘をタダで貸してくれる人がいて、二夏、軽井沢で夏を過ごした。映画にあるような、別荘地の先にキャベツ畑があるようなところで、スクリーンに映るすべての映像に、懐かしさを覚えた。ここに描かれている父と息子も、まるで自分みたいだが、映画の主人公が失業中なのに対し、うちの二人の息子はちゃんと働いているし、孫も作っている。よい息子をもったとあらためて何ものかに感謝したい気持になったが、考えてみればわたしの育て方がよかったのだと自画自賛したりもする。映画の中のハスキーは、うちのハスキーと同様、わがままそのもので、まっすぐに歩かないところまでそっくりだった。
ふだん映画はお台場で見るのだが、この映画はマイナーみたいで、お台場ではやっていない。ネットで調べると恵比寿ガーデンヒルズでやっていた。自宅からは車なら至近距離だ。ここもオープンしたばかりのころはよく通ったものだが、最近は行かなくなった。久しぶりに行ってみると人影も少なく、いいところだ。三越も閑散としているが、ヨーロッパのデパートはいつもこんなもので、日本の繁華街が混み過ぎているのだ。映画のあと、ビアホールで飲んで帰る。疲れがとれた。

07/23
ジャスラックで打ち合わせ。予定時間を30分ほどオーバー。わたしが議長なので、何とか話を打ち切って、夜の会合に向かう。メンデルスゾーン協会運営委員会。顧問の星野宏美さんと打ち合わせ。その後、スタッフとしばらく飲む。夜中、仕事を始めようとしたら地震。かなり長く揺れた。震源は岩手県北部。大相撲ダイジェストを見たかったのに延々とニュースが続く。

07/24
NHKの担当者来訪。講演の打ち合わせ。下北沢まで散歩。世田谷代田まで回ったので疲れた。

07/25
床屋へ行く。床屋はひまそうであった。灼熱の太陽が照りつけていて、誰も街路を歩いていない。散歩は床屋までの往復だけ。

07/26
土曜日。コーラスの練習。

07/27
日曜日。姉らと母のところへ行く。92歳の誕生日。母は元気。記憶もしっかりしている。

07/28
月曜日。公用なし。

07/29
日本図書教材協会創立五十周年記念式典。汐留のホテル・コンラッドというのは初めて。妻に六本木まで送ってもらって大江戸線に乗る。盛会であった。知人がたくさんいた。こういうところに知人がたくさんいるということにも感慨がある。

07/30
講談社青い鳥文庫の担当編集者来訪。打ち合わせ。メールで原稿を送っただけで、それまで打ち合わせみたいなことは何もやってなかった。『星の王子さま』の翻訳をやった時に、いずれオリジナルの児童文学を書きたいということは伝えてあって、去年の9月に半分くらい書いたことも伝えてあったのだが、締切なし、催促なしの仕事ということにしてあったので、まあ、本日が初めての打ち合わせである。『海の王子』というタイトルなのだが、引き続き「王子シリーズ」を書く、というようなことも伝えた。中味には自信がある。日本神話をベースにしているのだが、そういうことは強調せずに、オリジナルのファンタジーというコンセプトでやりたい。わたしのモチベーションとしては、「日本にもアーサー王伝説がほしい」というくらいのスタンスで書き始めたので、神話を押し付けるのではなく、楽しいファンタジーを提供するということで、読者と接したいと思う。日本の孫、一昨日からスタンバイしていて、編集者にも愛想を振りまく。明日はスペインの3姉妹も来るのだが、写真なども見せる。これで今月のわたしの仕事は終わり。ペンクラブから依頼されていた原稿も仕上げたので、これでわたしはオフになる。「マルクスの謎」は、プロローグの部分を担当者にメールで送って、これでいいという反応を得たので、このまま書き続ける。新書なのでボリュームが限られている。大論文を書くわけにはいかない。そこに全共闘運動のことなども入れたいので、すべての情報を可能な限りコンパクトに書くということを心がけたい。

07/31
スペイン3人娘をひきつれた長男とエレーナを迎えに行く。自宅には日本男児の孫がすでにスタンバイしている。成田まで行くのは大変なので箱崎にする。一年ぶりの対面。うちの車は法定8人乗りだが、幼児用の椅子を3つセットすると、6人しか乗れない。で、3人娘を椅子にセットすると、こちらは電車で帰ることになる。電車の方が早いので先に自宅に戻り、次男の嫁さんと待ちかまえる。やがて車が到着。荷物を下ろすのがたいへんだ。あとは喧騒の渦となる。こっそり書斎にこもって少し仕事をする。これからはこういう日々が続くことになる。


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