古代ロマンノート02

2017年6月

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06/01/木
6月に入った。まだ先月は白村江の再校ゲラをやっていたのだが、いまは完全に手が離れたので、次の仕事に集中できる。とりあえずは歎異抄の口語訳を進めたいと思う。半分くらいはできているのではないかというくらいの進行状況なのだが、この種の作業は推敲を始めたらキリがない。とりあえず最後まで完成させてから、プリントして、まあ、出来る限り時間をかけて推敲したい。並行して、古代ロマンについて考えたい。かつて書いた『角王』シリーズの続篇を考えている。これはやってみないとわからないのだが、まだ自分で書いたシリーズの内容が頭に入っていないので、何度も読み返して登場人物のキャラクターをつかみたい。4月から始まった大学の新年度は、次の週で1学期が終わる。大教室での2コマの授業が、水曜の2限と木曜の1限に設定されていたのだが、これがなくなるので、かなり楽になる。自分の仕事が少しはできるかなと考えている。6月はけっこう行事が多いので、落ち着かない感じがするのだが、毎年、そこを乗り切ってきているので何とかなるだろう。

06/02/金
午後、国立国会図書館へ。このところスケジュールが合わず、しばらく欠席が続いたのだが、とくに問題もなく進行しているようだ。アーカイブした書籍の公共図書館や大学図書館への送信も、できるようにはなっているのだが、あまり利用されてはいないようだ。アーカイブというのはそれでいい。ここには必ずあるという安心感がもてればいいのだ。会議が早く終わったので、いったん自宅に戻る。夕方、マッサージの予約を入れていたので、直接回るつもりで着替えなどももっていたのだが、時間があきすぎた。こうして自宅に戻ることができるのも、御茶ノ水の便利なところに引っ越したからだ。自宅の窓から国会議事堂も国会図書館も見えている。歎異抄を少しいじる。昨日、出退を記録する端末にカードをタッチしていると、大学の出版部の人が総務の部屋から出てきて立ち話をした。歎異抄は出版部から出すことになっている。やってます、と答えたのだが、確かにやっている。もう少しがんばりたいと思う。

06/03/土
5月の連休以来、車を動かしていない。都心の便利なところに住んでいるので車は必要ないのだが、仕事場への移動には必要だ。車をもつことにはプレッシャーがある。動かさないでいるとバッテリーがあがってしまう。で、妻がウミホタルへ行くというので、昼飯を食べて引き返すのかと思ったら、運転する妻が木更津の方に向かった。ぐるっと一周、などと言っている。まあ、それもいいかと思ったのだが、妻の頭には地図が入っていなかったようだ。千葉周りだと途方もなく距離がある。それでも道路がすいていたのでいいドライブになった。車が動いていれば、適度に楽しい。

06/04/日
日曜日だが、全国音訳ボランティアネットワークの10周年の会で講演をすることになっていたので、市ヶ谷の私学会館に出向く。市ヶ谷までは都営新宿線で3つ目なので、電車に乗っている間は数分だ。夜に懇親会があるのだが、仕事に終われているといって、自分の出番が終わると帰ってきた。実際に仕事に追われている。大学の出版部の人と会ったので、いよいよ歎異抄を出さないといけなくなった。これまでは、やりたいからやる、といった感じで口語訳を進めていたのだが、今年の夏休みのあとくらいには完成原稿を渡さないといけないようだ。これは親鸞になりきって語る、という作業なので、親鸞そのものに没入するために心の準備が必要となる。懇親会でさまざまな人と会って話すと、自分の体内から親鸞が脱けていく感じになる。文藝家協会でも同じことを感じる。大学は大丈夫。本願寺が創設した大学で、チャイムに四弘誓願というものが流れるくらいだから、親鸞が憑依した状態でいられる。日曜日に外出する仕事をすると、そのまま次の週が始まってしまう。来週の日曜はオープンキャンパスで学部の説明をしないといけない。しかし大教室の授業が水曜で終わるので、少し楽になるかという気もする。

06/05/月
本日は夕方に文藝家協会でオーファン委員会。2回目の文化庁実証事業の詳細について詰めているが、まだ問題があるようで、次回にもちこしとなった。明日は千倉に行くので早起きをしないといけない。

06/06/火
朝9時発の京葉線特急で安房鴨川へ。鈍行に乗り換えて11時48分に千倉着。中学の校長が駅まで迎えに来てくださって恐縮。かねて用意の手土産を校長に渡し、学生とともに学校を一周。担当の国語の先生にも話を聞いた。昼休みだったので早めに退散して、駅まで歩く。1時半のバスに乗れた。特急だと乗り継ぎ時間も含めて3時間かかったのだが、バスだと2時間20分くらいだった。アクアラインの威力だ。これでは電車に乗る人は少なくなる。昔は千倉まで特急で行けたはずだ。ローカル電車も1時間に1本しかない。まあ、バスに乗れば東京には行けるのだが、千葉県内の移動はかなり難しくなったのではないか。総武線の快速もほとんどが成田行きだ。ローカル線に乗っている時、日蓮がこのあたりの生まれだと思い出した。いまは親鸞がまだ憑依しているので、日蓮のことは忘れていた。日蓮は全共闘運動みたいなところがあるので、書いている時は熱中していたのだが。日蓮は闘う宗教家だ。親鸞も若い頃は論争好きだったのだが、越後に流罪になって以後は、穏やかな人柄になったようだ。帰りのバスは最前列の席だったで快適だった。事故になった時に最前列は危ないという気はしたが、もういつ死んでもいいという気分になっている。明日は「小説の歴史」の最終回となる。これで1学期が終わる。2年生から大学院までのゼミは年間の授業なので変化はないのだが、講義課目のコマは1学期と3学期という変則的な割り振りになっている。水曜の2限、木曜の1限の授業がなくなるので、朝が楽になる。

06/07/水
大学。学部長会議。それだけ。

06/08/木
1限の授業は先週で終わったので、2限から。これは楽だ。ただこの授業の成績をつけるためにレポートを読む作業があり、7時すぎまで研究室にいた。外に出てもまだ明るい。これは気分的に救われる。今日から妻が実家に帰る。親の介護のため。こちらはのんびりできる。

06/09/金
本日は休み。金曜日は大学の授業はないが、そこに文藝家協会関係の公用を入れることが多く、なかなか休めないのだが、本日はどういうわけか、何も入っていない。ありがたいことだ。日曜は大学でオープンキャンパスがあるので、この休みは貴重だ。妻もいないので、ひたすらパソコンに向かって、歎異抄の現代語訳に取り組みたいところだが、少し前のところを読み返していると、わたしの解釈に間違いがあることに気づいた。親鸞は難しい。油断していると、まったく反対の解釈になってしまうことがある。夕方、散歩に出る。秋葉原の方に出ると、すごい人だ。土日はもっとすごいが、金曜の夜ということで、人が集まっているのだろう。数人で立ち止まっている人たちの間をすりぬけていくと、瞬間的に中国語が耳に飛び込んでくる。ここにいる人の半分以上は中国人かもしれない。妻がいない日は、一人で外食する。住んでいる御茶ノ水・淡路町界隈は、チープな店が多く、一人外食は楽だ。池波正太郎ではないので、贅沢な食事はしない。明日も休みなのでのんびりしているのだが、来週は忙しいので、イーブックジャパンの連載を片づけておく。芥川賞作品に短いコメントをつけるという作業だが、電子書籍のサイトなので、電子化されている作品に限定している。そろそろタネが尽きてきたので、この連載もあと数回ということになる。どう書いていいかわからず保留していた中村文則について書く。この連載は少し軽い文体で書いているのだが、その文体で中村文則について書くのは、少しきついかなと思っていた。まあ、何とか書き上げてメールで送付する。締切のある仕事はこれだけなので、あとは歎異抄に集中できる。

06/10/土
本日も休み。歎異抄に取り組んでいる。これまで訳したところを読み返してみると、解釈の間違いを発見。親鸞の言説はシンプルなだけに、パラドキシカルで、反対に解釈できるような言い回しが多いので、ひっかかってしまう。全体の文脈を見ると、逆のことを言っている場合があるし、わざと逆のことを言うこともある。「増悪無碍」とか「本願ぼこり」とか、それはよくないと言っているようでいて、それでも必ず救われると言っている。しかし「薬があるからといって毒をのむな」とも言っている。この「毒」というのは、「酒」のことかもしれない。親鸞は肉を食べた。酒も飲んだだろう。それでも極楽に行ける。しかしそれは死後のことで、酒を飲み過ぎると生きているうちに病気になって苦しむことになる。南無阿弥陀仏という称名念仏は現世利益ではないので、病気は治らない。どんな悪をなしても、死ぬ間際に一声念仏を唱えると、どんな悪業を犯した者も救われるという。それで念仏の威力を肯定しているかというとそうではない。こういう念仏はダメだと言っているのだ。親鸞は難しい。すごく難しいことに取り組んでいるのだと改めて思った。歎異抄の口語訳を無数に出ているが、改めて検証すれば誤訳も多いのではないかと思う。誤訳というか、どれが正しいのかわからないという言説も少なくないのかもしれない。さて、妻はまだ帰ってきていない。明日、早起きなので、目覚まし時計が機能しているかを確認する。

06/11/日
朝8時に起きて大学へ。オープンキャンパス。午前と午後、30分ずつ学部の説明。3時には自宅に戻る。妻が午後6時すぎに帰ってきた。本日は四日市にいる次男一家が来て、義父母と対面したそうだ。これが最後の機会か、と思ったりもするのだが、老人は意外に長生きするので、これからも何度も会う機会はあるのではないかと思う。

06/12/月
本日も大学は休み。夕方、銀座の辻恵(元衆議院議員)の法律事務所で羽田プロジェクト編集会議。50年前の羽田闘争でなくなった山ア博昭さんを追悼するために、記念碑と文集を出すプロジェクト。詩人の佐々木幹郎、辻恵、山本義隆さんらが中心になって編集作業が進んでいる。今週の土曜日には記念碑の建碑式が行われる。追悼文集は60名ほどの原稿が集まったので、充実した文集になる。用語の統一などが必要で、本日は編集会議で方針が確定された。あとは佐々木くんと出版社のスタッフがやってくれるということで、この編集会議も本日で終わりということになる。

06/13/火
文藝家協会理事会。これで半日が費やされるので、仕事は進まず。冷たい雨。まあ、こんな日もある。

06/14/水
大学。2学期になり、2限の授業がなくなったので、昼休みに出勤。入試課の人と打ち合わせ。大学院入試の話だったのだが、ついでに武蔵野文学賞高校生部門の打ち合わせもできた。大学院の授業のあと、学務課に出向いて打ち合わせ。明日の昼休みに課長と打ち合わせのアポが入っていたのだが、その場に課長も来てくれた。これで本日は4件の事務処理ができた。昨日は寒かったが、本日はやや蒸し暑い。体調の維持をこころがけないといけない。昨日は禁酒デーにしたが、本日も禁酒にしよう。『星の王子さま』の増刷の通知届く。毎年増刷する。ありがたいことだ。

06/15/木
大学。木曜日は1限がなくなって2限から。ゼミばかりだが、3限は就職担当の人の説明会になったので、こちらはお休み。4限の4年ゼミは3人来た。雑談。終わってから神楽坂の出版クラブ。歴史時代小説クラブ賞の授賞式。まず賞状に署名をして印を押す。これで本日のつとめの大半が終わる。審査委員長の挨拶と、賞状の授与。北方謙三さんが来てくださったので大いに盛り上がった。授業のあとの宴会はきつい。二次会は失礼して帰る。ああ、疲れた。

06/16/金
昨日、二次会に行かなかったのは、今日、早起きをする必要があったからだ。6時半に起きて、高円寺の杉並学園高校に向かう。ゼミの学生の教育実習。先週は千葉県の千倉で、丸1日かかる視察であったが、それに比べれば高円寺は近い。快速に乗れば4つ目の駅だ。担当の国語の先生の案内で教室に向かい、1時間目の授業を視察。自宅に帰ると10時すぎ。いつも起きる時間だ。あとはひたすら歎異抄。早起きはたいへんだったが、1日、フルに自分の仕事ができた。明日はまた行事があり、自分の仕事はできない。まあ、日曜は休みだから、少しは体を休めることができるだろう。

06/17/土
今週のはスケジュールはハードだった。ようやく土曜日まで漕ぎつけた。羽田プロジェクトの建碑式。50年前の羽田闘争で亡くなった、高校時代の同期生を追悼するために、碑を建てることと、追悼文集を出版することを目的に3年前に発足したプロジェクトだ。詩人の佐々木幹郎と、元代議士の弁護士辻恵が実によく働いてきた。東大闘争の山本義隆さん(高校の先輩)にもお世話になった。本日、建碑式が実現。追悼文集も61人の原稿が集まり、入稿できた。10月8日に本ができることになっている。これを売っていく作業がまだ残っているし、来年、第2弾の記録集を出す計画もある。さらにプロジェクト発足のあとで計画が立てられたベトナムのホーチミン市にある戦争証跡博物館での展示というイベントが、8月20日から2ヵ月開催されることになっている。そのオープンに合わせた訪問団ツアーも計画されている(わたしは参加しない)。ということで、本日はまず建碑式、それから懇親会、夕方から発起人賛同人の意見交換の会、その後、打ち上げの飲み会という、丸1日のスケジュールになっている。今週は文藝家協会の理事会や、歴史時代作家クラブ賞授賞式、教育実習の視察など、スケジュールがぎっしりあって、体力の限界に近づいていたのだが、本日は自分の体を会場に運ぶだけで役目が果たせるので、とにかく自宅を出発した。碑が建てられるのは、50年前のデモの出発点となった萩中公園に隣接した福泉寺。場所については、「戦場」となった弁天橋のたもと、というところから計画がスタートしたのだが、公共の場所なので、近くの土地を購入することも検討したが、このあたりの地域住民は保守的で、しかも羽田からの水上交通が整備されることが期待されるところから、将来の地価の上昇があるのではという思惑をもった人々が多く、土地の購入は頓挫することになった。そこで第2案として、弁天橋に近い寺院の墓所ということを考え、住職の内諾を得るというところまで行ったのだが、これは諸般の事情で頓挫してしまった。しかしスタッフの努力で、出発点の萩中公園の隣地という、絶好のロケーションの寺の住職のご協力を得ることができて、本日の建碑式が実現した。墓所の入り口の目立つ場所が確保され、高校同級生の書道家の、中国古代の金文という書体で、故人の名が刻まれた碑が建てられた。寺の境内の墓地であるというところから、形は墓標なのだが、その前に碑文が刻まれた石版が設置され、佐々木幹郎執筆の碑文によって、50年前の出来事がこの場所に刻まれることになった。故人のお兄さんが、分骨(実際は墓地の砂)を持参され、プロジェクトの発起人・賛同人の名簿とともに、碑の下部に収納された。快晴の青空のもとで、無事に建碑式が終了した。世話になった住職に挨拶をしたいと思い、浄土真宗の寺だと聞いていたので、拙著『親鸞』を署名入りで持参して、寺に奉納させていただいた。きれいな寺で、本堂には阿弥陀像、親鸞の遺影とともに、聖徳太子と七高僧の図像もあった。『聖徳太子』という作品も書いたことがあるし、いまは歎異抄を書いていて、七高僧にも言及しているので、法要が終わったあとで、図像にも祈りを捧げた。本堂での法要のあと、建碑式があり、終わってから、隣接した萩中公園の中の会議室で懇親会。ここはレストランが併設して、ビールなどを出前してくれるので、ここで献盃をした。高校時代の親友が大阪から来ていた。わたしの中学時代の友人もいて、三人で雑談しているうちに、時間となって、ばらばらで四谷に主婦会館に移動することになった。友人たちといっしょに移動していたのだが、品川ではぐれたので、一人で四谷に向かった。神田で中央線に乗り換えると、いつもの通勤のコースなので、考え事をしているうちに気がついたら新宿だった。時間には余裕があったので四谷に戻った。発起人会には下重曉子さんにも出席いただけた。賛同人の皆さんとの充実した意見交換ののち、となりの居酒屋で打ち上げ。長い1日だったが、無事に終わった。出かける前、少し仕事をしていたのだが、途中でパソコンが勝手に再起動してあわてた。まあ、よくあることだ。家を出る時間が迫っていたので、再起動したところでパソコンのフタをしめて出発した。まあ、問題は起こっていなかった。ということで、今週はようやく終わった。明日の日曜は休みだ。

06/18/日
今週はハードだったが、日曜は休み。のんびり過ごす。といってもパソコンに向かい、歎異抄の口語訳に取り組む。18章までの本文が終わった。まだ「後期」と呼ばれる長い文章があるのだが、山は越えたという感じがする。

06/19/月
大学。教授会、研究科委員会、学科会のあと、学生の保護者の方との面談があり、夜8時までかかった。歎異抄口語訳、これまで書いたところを研究室でプリントした。ルビの付け方なども考慮しながら読み返していきたい。

06/20/火
日本点字図書館理事会。理事長を再任するだけの会議。あとは歎異抄の口語訳。後記の部分を訳している。並行して昨日プリントしたものに赤字を入れている。

06/21/水
大学。風雨の強い日。昔ベルギーで買ったレインコートみたいなものを着ていく。大学院の授業と学部長会議。水曜は比較的楽だ。昼休みの大学の出版部の担当者と打ち合わせ。1章だけ見せて、口語訳と解説が交互に入るという説明をした。これだけではうすい本になるので、付録として仏教の歴史みたいなものをつけることにした。

06/22/木
大学。2限から4限まで。ずっとしゃべり続けているのでかなり疲労が蓄積されるのだが、明日は休み(夕方文藝家協会へ行く用はあるのだが)で、週末も休み、月曜の会議もなく、火曜も何も入っていないので、ほぼ5連休だ。この間に、歎異抄の口語訳をほぼ仕上げることができるのではと考えている。付録に仏教の歴史をつけるので、100枚くらい書く必要はあるのだが、メモみたいなものはできているし、これまでにも何度も書いたテーマなので、叩き台のようなものはできるだろう。せったくだから、古代ロマンの方も入力を進めたい。出だしのところはすでに入力している。続きを書きながら、ペースを上げていきたい。

06/23/金
本日から5連休だが、夕方に文藝家協会。オーファン委員会。最近この委員会は月に2回開かれて、進捗が進むかと思っていたのだが、本日はなぜか後戻り。そういうこともある。らせん状に上昇していると理解したい。歎異抄、口語訳がすべて終わった。短い解説をつけてから、「仏教の歴史」を100枚ほど付ける。書くスピードが上がると思う。

06/24/土
何ヶ月か前、車のバッテリーが上がってしまったことに懲りて、しばらく車を動かしていないとプレッシャーを感じる。でも先日、海ホタルから千葉の方に行った気もするのだが、お日和もいいので、とりあえず車に乗って、いつものように高速に入る。レインボーブリッジを渡って、武蔵野大学の有明キャンパス前に出る。ここからは最短のコースで帰ることにして、箱崎に向かう。箱崎のロータリーはややこしてので、直前のランプで下りて、そのまままっすぐ進む。岩本町で左折しようと思っていたのだが、運転している妻が曲がり損ねて、そのまま秋葉原に行ってしまった。そうなると、自宅に帰るのは至難のわざだ。順天堂大学の方から御茶ノ水に戻ろうとしたのだが、水道橋の方に出てしまった。線路際の道で御茶ノ水橋まで来た。そのまま直進したかったのだが、歩行者が多いので駿河台下まで出て、靖国通りを淡路町まで進み、そこで左折して自宅に戻る。えらい遠回りになってしまったが、車を動かすのが目的だから、まあ、目的は果たした。

06/25/日
雨。外出せず。歎異抄の付録の仏教の歴史を書き進む。プリントのチェックも進んでいる。けっこう赤字が入る。赤字が入るのはいい傾向で、よりよきものになっているはずだ。5連休の3日目まで来た。あと2日、休みがある。古代ロマンの方にも取り組みたいのだが、歎異抄の方に気分が乗っているので、行けるところまでは行ってみたい。

06/26/月
連載1件を片づけてから、あとはひたすら歎異抄。なかなかいいことが書いている、と自画自賛。妻が友だちとどこかに出かけたので、夕方、散歩に出たついでに近所のハンバーガー屋へ。前からその店の存在は知っていたが、入ったことがなかった。教え子がそのチェーンで働いていて、ビールが飲めると教えてくれたので、生ビールを注文。ああ、うるわしいな。ハンバーガーにビールというのは最高だ。マクドナルドではビールを販売していない。スペインのマクドナルドではビールを売っている。昼ご飯に酒を飲まないということは、スペインで考えられない。飲んでから、昼寝。まだ日の高いうちにビールを飲むのは、心の底から解放される感じがする。自宅に帰ってからは、スカパーで中継していた藤井聡太4段の新記録がかかった一戦を見る。テレビのスイッチを入れると、王将の隣にある飛車の斜め前に相手の金将がいる。絶体絶命だ。どうしてそんなことになったのか。盤面の全体を見ると、藤井くんの持ち駒に角が2枚ある。角交換のあとで、相手の打った角を攻めているうちに、飛車が追い詰められたということか。角と飛車の交換ということは、藤井くん、劣勢ではないか。夕方のニュースに出てきた加藤一二三さんは、藤井有利といっていたのが、夕食前には、藤井くんの勝ち筋が見えなくなった。それでも勝つだろうという話だったが、スカパー解説の森下卓さんは、藤井劣勢の判断。夕食休憩になったのでこちらは仕事。それからずっと中継を見ていた。夕食の直後にかなり無理筋の手があって、角2枚と桂馬2枚、それに敵陣に打ち込んだ歩兵で、相手の王将を攻めているのだが、一つでもとられるとバラバラになって惨敗するぞ、という感じになっている。しかし藤井くんは持ち時間がかなり残っているのに次々と手を打っていく。解説も含めて、誰が見ても劣勢なのに、藤井くん一人は勝利を確信しているという感じがして、これで勝ったら途方もない大天才だと思っていたら、本当に一分の隙もなく勝ちきってしまった。コンピュータみたいな、パーフェクトな勝ち方だった。すごいもんだ。将棋は一種のスポーツだから、人間同士で勝ち負けを競うことに意味がある。ウサイン・ボルトだって、自転車には負けるだろう。その点、小説を書くという作業は、まだ機械には負けない。ワープロという機械を人間が使っているので、自転車に乗っているような感じはするのだが、機械にオートマチックにやらせても、いまわたしが書いているような小説は書けないだろう。コンピュータよりすごいことをやっているという自負はある。又吉直樹の『劇場』の中に、コンピュータゲームのサッカー選手に、文豪の名前をつけて遊ぶというのがあった。太宰や芥川がサッカーをする。うーん、これはおもしろいけれども、太宰や芥川を知らない読者が見たら何のことかわからないなとも思う。わたしは35歳の時からワープロを使っている。来年70歳になるので、人生の半分をワープロとともに生きてきたことになる。しかしいまの若者は、手で書く前からスマホでメールを打ったりしている。妻が幼稚園の孫からメールが来たといって驚いていた。文字が書けなくても、スマホのメールなら漢字も出せる。すごい時代になったなと思うが、わたしが生きている間に、コンピュータが長篇小説を書くということはないだろう。

06/27/火
5連休最後の日。歎異抄の付録の仏教の歴史を書く。この休みに古代ロマンの出だしのところを書きたかったのだが、頭が歎異抄になっていたので、そこから脱出できなかった。仕方がない。歎異抄を先に片づけることにしよう。

06/28/水
大学。久し振り。月曜の会議がないと、水曜・木曜の授業だけなので、いつもこういうことになるのだが、1学期にあった授業がないので、昼過ぎに研究室に入って、大学院の授業だけ。充実した授業ができた。その後、研究室で雑用をこなす。修士論文の学生が一人来たので指導する。雑用も多かったので、自宅に帰ると7時前になっていた。研究室で歎異抄の新たに書いた部分をプリントしたので、週末の作業になる。

06/29/木
大学。1限がないので少し楽。2年ゼミ、3年ゼミ、4年ゼミ、一人でしゃべり続けた。それでも明日から休みなので元気が出てきた。研究室に蓮如の本があったので、自宅に持って帰る。これまで解説で蓮如にも言及したのだが、細かい事実を押さえておきたい。

06/30/金
今日から3連休。曇り。午前中の雨がやんだので妻と散歩。日本橋で映画を見た。『美女と野獣』。ベラが宮殿の図書室に入っていくところで涙が出た。本好きの女の子はうるわしい。6月も終わった。歎異抄のゴールが見えてきたので、このままゴールインしたい。古代ロマンのアイデアも出てきたし、『白村江』の続篇の『壬申の乱』についても細部のアイデアが出てきた。夏休み前に歎異抄が終わっていれば集中できる。



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