光と陰の紫式部06

2020年6月

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06/01/月
6月になった。リタイアした老人にとっては週が変わろうと月が変わろうと、どうということはないのだが、このノートは月ごとに改めているので、新しいページを設定した。このノートは「メモ帳」で書いている。ホームページを作ったのは25年前で、まだWindows3.1だったように思う。サイトにアップFTPソフトもMS-DOSで動いていた気がする。いまもそのソフトを使っているのだがちゃんと送信されているので問題はないのだろう。まだこういうノートではなく、近況のページだけだったので、そこに少し書き足しをしていた。いまも続いている近況ページの冒頭には25年前に飛べる押しボタンが設定されている。このあいだ思いついてそのボタンを押してみたら、早稲田で専任の客員教授をやっていたころだった。『いちご同盟』の映画の試写を見たり、監督と対談したりといったこともあった。とくに懐かしいという感じはしないのだが、あのころはまだ自分の未来がよく見えていなかったし、迷いがあったようにも思う。その点では人生のゴール地点が近づいてきたいまの方が、ぶれがないように思う。このホームページをいつまで開設しておくのか、自分がこの世からいなくなったらどうなるのか。プロバイダーに料金を払わなくなればサイトも消去されるはずだが、ネットは妻も使っているから料金も払い続けるのではないかと思われる。すると自分がいなくなってもしばらくはこのサイトが残っているかもしれない。かなりの創作ノートみたいなものが書き込まれてはいるのだが、どれほどの人が読んでいるのかわからない。10人くらい読んでいる人がいるのではないかという気がしている。さて、本日は朝から雨だったので散歩には行かず。2回目のチェックで気にかかっていたヒロインの娘の大弐三位が出てくるシーンの2つ目を完了。あともう1つ、大弐三位が出てきて台詞を言うシーンを短く加えて、これで完了だ。ノートにかなり長いメモができてしまったので、全体のボリュームが200ページ近いものになっているという気がする。400字にすると600枚だ。どうせ当分はデッドストックになるので、ボリュームについては気にしないことにする。さて、明日は浜松の仕事場に移動する予定。仕事場にはダイニングテーブルを兼ねた大きなテーブルがあるので、プリントの赤字入力をする場合にプリントの紙、その紙をめくった時に置く場所、およびノートなどをテーブルの上に並べることができる。自宅の作業台はやや小さいので、パソコンの左側に赤字の入ったプリント、右にある書見台に代用している譜面台にノート。左に低い本棚があって、その上に使用済みの紙を置くことにしている。何かの拍子にバサッと落ちて大混乱になることもあるのだが、仕事場ではそういうことがないし、天井の高い快適な部屋なので、気分よく作業にあたれそうだ。

06/02/火
7時半に起きて9時45分出発。浜松三ヶ日に午後2時に到着。途中3回休んだ。足柄は風が涼しかったが、藤枝は猛暑。浜松も猛暑。仕事場の入ると風が通るのでまずまず爽やかな感じがする。

06/03/水
東京ではいつも10時起床だが浜松の仕事場では9時起床と決めている。ここではなるべく陽光を浴びたいと思っている。ぼくのところと両隣の三軒だけが、この別荘地の中で浜名湖が眺望できる区画だ。その隣の一件が売却され、新しい持ち主がリフォームを工務店に頼んだようで、工事の作業員が大勢入っている。昨日着いた時もわれわれの駐車スペースが塞がれていたのだが、本日はクレーン車がやってきて8時20分から稼働を始めたのでその音で目が覚めてしまった。建物は丘の上にあるのだが駐車場は丘の下にある。そのため巨大なクレーンが駐車場に入っていた。クレーンは窓ガラスのようなものを持ち上げてすぐに帰っていった。巨大クレーンは時間貸しの料金が高いのでただちに別の現場に向かったのだろう。他の作業員は昨日と同じで、休み時間に笑い声が聞こえる。遠州の人は皆明るい。こんな穏やかな気候のところに生まれ育てば誰もが明るくなる。浜松のお祭を見ればわかる。子どもが全員進軍喇叭を吹いて駆け回る。今年は疫病のためにお祭が中止となった。静岡県はパンデミックというほどの感染もなく、5月に来た時ものんびりとしていた。いつも行くラーメン屋も開いていた。穏やかな日常がここにはある。さて、ここでの仕事はプリントチェックを終えた原稿の赤字をパソコンに入力する。第四章に入って、挿入の箇所が多くなった。緊張感が高まる。いろんな線や記号で挿入の順番が書いているのだが、そこをたどっていくのに集中力が必要だ。午後は庭の草刈り。電動の草刈り機を作動させる。かなり緊張する。妻はバリカンを操作していたのだが、何かの拍子に指を負傷した。集中力が弛むと怪我をする。傷は幸い大したものではなかったが、妻にはバリカンの操作禁止を言い渡した。刃物は危ない。

06/04/木
やや湿気があり暑いようでもあるが、この仕事場は心地好い風が吹いている。風が強すぎると快適でなくなる場合があるが、これくらいの季節は自然の風だけで充分に快適だ。4章の後半、すべてのページが真っ赤になっている領域に突入した。ここからエンディングまでは緊張の連続になる。心地好い風に吹かれながら、何とかゴールに突入したい。

06/05/金
午後4時からSARTRASの緊急会議。昨日連絡が入って時間を決めたまさに緊急の会議だ。といってもネット会議だから乗り物で移動する必要はない。自宅なりネット環境のあるところに居さえすればいい。ぼくも浜松の仕事場にいるのだが、ここは光ケーブルを引いてあるし、東京の自宅にある無線ルーターをこちらにもってきているので新たに設定することもなくiPadが使える。午後4時はこちらでは散歩のあと風呂に入る時間だ。ということで本日は午後2時に散歩。湖岸を歩いて風呂を浴びて、iPadのカメラで自分を映すと風呂上がりでまだ顔が赤い。まあ、いいだろう。本日は4人だけの幹部会議で事務局2名も入って6人だけなので、このままリモート飲み会ができそうな雰囲気だ。ネットの会議は便利ではあるのだが、便利すぎてこれからも頻繁にこういう会議が開かれそうで落ち着かないかもしれない。自分の仕事は順調に進んでいる。

06/06/土
週末となったといっても、この仕事場のある三ヶ日では、何事も起こらない。隣の家のリフォーム工事の作業員も今日は静かだ。代わりにオーナーと思しき一家が来て、何やら騒いでいた。ぼくが住んでいる東京の高層住宅では、隣の人と顔を合わすことはないし、気配も伝わって来ない。地上の住居ではそういうわけにいかない。パーキングに車が入ってくればすぐにわかるし、通路を歩く人の話し声も聞こえる。まあ、人の生きているところにはそういう気配のようなものがある。高層住宅にいると、そういう人間の伊吹のようなものを忘れてしまう。毎日の作業は順調に進んでいる。2回目のチェックで大幅に挿入した部分も1つ1つ入力が進んで、残りはわずかになってきた。今日は曇天でそれほど暑くはないが、湿度は高くあまり快適ではない。それでも夕方になれば涼しい風が吹き渡っていく。関東地方では雷雨のせいであちこちが水没しているらしい。この浜松と東京では、気候がまったく違う。東京だけ雨とか、ヤマセが吹いて東京だけ寒いとか、そういうことがよくある。東海地方は温暖なところが多い。内陸部が猛暑になることはあるが、海岸沿いは風が吹いて暮らしやすい。遠州の人は皆底抜けに明るくて楽観的だ。

06/07/日
日曜日。といってもこの浜松三ヶ日では、時が止まったような感じだ。それでも週末はメールが少なくなるので落ち着ける。本日も湖岸を散歩。赤字入力もゴールが見えてきた。プリントに赤字を入れるだけでは収まらず、ノートに新たにメモを書いたところが、40ページほどあり、そのメモがどこに入るかはばらばらで、記号や矢印でパズルのような状態になっている。入力したページには赤ペンで×印を入れていく。本日、ようやくノートの最後のページまで入力できたので、最初から確認すると、1ページだけ×がついていないページがあった。あわてて少し前のプリントを見返していると、ようやく挿入すべき箇所の記号を発見した。ということでそのページの入力も終わった。あとはもう大量の挿入はないのだが、まだプリントが真っ赤になっているページがいくつか残っている。そういうところを1つ1つチェックしていくのは根を詰めた作業になる。ノートにメモしたのを入力する方が楽かもしれない。いずれにしても残りはあと10ページほどで、明日には完了するのではないかと思われる。

06/08/月
妻がどこかに行きたいというので蒲郡の竹島水族館に行く。仕事場は静岡県、蒲郡は愛知県で、県を跨ぐことになるが、どちらの県も感染者はゼロか1人という状態が長く続いている。だから水族館などもふつうにオープンしている。水族館だけだとわずかな歩数しか歩いていないのでいつものように散歩に出る。そのあと午後6時ころに赤字の入力が終わった。189ページ。400時に換算すると567枚ということになる。150ページ450枚をめざしていたのだが、赤字チェックで挿入が多く、600枚近い大作になってしまった。出版社のオファーで書いているわけではないので長さの制約もなく書きたいように書いたということで、満足すべき作品になっていると思われる。仕事場にはプリンターがないので東京に帰ってプリントして、しばらく寝かせておいてから読み返してみたいと思っている。

06/09/火
『光と陰の紫式部』は昨日、とりあえず完成した。ただちに別の作品、『遠き春の日々』に取りかかっているのだが、まだ頭の中には紫式部の余韻が残っている。この作品の特色は、荘園整理という政治的なテーマが一つの筋道になっていること。陰陽師や式神が出てくること。道長が明るく屈託のないバカ殿様みたいな感じで描かれていること。女たちがみんな頭がいいことなど。とりあえずユニークな作品になってはいると思う。ただこういう作品を求める読者がいるかということになると、いないかもしれないと思っている。もう高齢者なので、読者に褒められたり、本が売れるということに、あまり喜びを感じなくなっている。自分で楽しめればいい。ただしプロの作家としてのキャリアはあるので、シロウト的な自画自賛にはならないように自戒している。ある程度の読者サービスは必要だと考えている。読者サービスとは、読みやすい文章と設定で読者に負担をかけないようにする。何かありそうだと予感させるような謎めいた展開を仕掛けていく。ものすごいスペクタクルで読者を昂奮させる。予定調和にならないように読者を裏切る展開を用意する。レベルの高い読者を満足させる深い哲学と批評精神、毒、みたいなものをさりげなく仕掛けておく……。これは小説の書き方の基本みたいなものだ。ただ平安時代の状況設定をわかりやすく書くというのは至難のことで、そのためにプリントチェックを2回にして、必要な箇所に書き込みを入れていった。分量は増えたが読みやすくはなっていると思う。さて、本日もいつものコースで散歩。明日から天気がよくないというので蒲団を干した。東京では高層住宅に住んでいるので、蒲団を干すということはできない。蒲団乾燥機をつっこむことしかできないが、この仕事場は庭があるので蒲団を干すことができる。こういう家事労働も大事だ。これから書き始める『遠き春の日々』は『文芸潮流』に不定期連載しているもので、締切がある。少し早めにとりかかって、充実した文章にしたいと思っている。

06/10/水
朝から雨。妻の運転で志都呂イオンへ。浜松最大のショッピングモール。中でかなり歩くのでよい運動になる。モール内の本屋で新書を2冊買う。「承久の乱」と「ガロア」。前者は次に書く作品の資料。後者は「宇宙際タイヒミュラー理論」に刺激を受けて、かつて数学の新しい分野を開いたガロアの理論について、再確認したくなった。デカルトのX座標・Y座標とか、ガウスの複素数平面などは目で見て確認できるのでわかりやすいのだが、ガロアの群論というのは高校くらいに少し勉強しようとしたのだが、結局よくわからなかった。自分の高校時代はいちばん頭が冴えていた時なので、その時でもわからなかったものがボケ老人になったいまわかるとも思えないのだが。

06/11/木
SARTRASの会議。分配会議ということで、参加者が多いので1回くらい発言するだけでいいと思っていたが、見過ごすことのできないことがいくつかあったので、4〜5回くらいは発言した。ネットの会議は「手を挙げる」ボタンを押して発言の許可を求めてからでないと発言できないところが、何だかもどかしい。発言者に対して励ましの声とか、それはダメだとか、緊急の野次を挟むことができない。しかしそのために整理整頓された進行になるので議事録は書きやすいと思う。それでうまくいくような気もするが、何かが足りないという気もする。会議のあとの緊急雑談とか、飲み会みたいなものがないので、「ただの会議」ということになってしまう。本日は朝から雨。会議の途中に豪雨という感じになったが、ぼく以外の人は東京近辺にいるので、豪雨の音を聞いているのは自分一人だ。そういうのもネット会議特有の状況だろう。ということで本日は散歩に行けない。もう中部地方は梅雨入りしたので、明日、明後日は、雨の中の散歩になりそうだ。

06/12/金
雨は午前中で止んだ。昨日は一日中豪雨。一昨日はショッピングモールに行ったので、久々の散歩。いつもと同じコース。だいたい7000歩ほど。あとはのんびりと過ごす。

06/13/土
朝から小雨。小雨をついて散歩に出た。1時間歩いた最後の5分になって豪雨となりずぶ濡れになったが、夏なので問題はない。すぐに風呂に入った。スペインの長男からのラインでは、ようやく自由な移動が可能になったようで、嫁さんの兄姉の家族との交流ができるようになった。写真が送られてきたが、誰かわからない若者が写っている。ぼくと妻がスペインに行くようになったのは20年前くらいで、その時にあった親戚の子どもたちが、いまはもう30歳前後の大人になっている。スペインの子どもはとても可愛いのだが、大人になるとすぐにオジサン、オバサン化しやすい傾向がある。いま会うと誰かわからないだろうな。こちろも老人、老婆になっているわけだが。名古屋の次男のところの子どもたちも学校が始まって友だちもできたようだ。

06/14/日
鷲津のビッグエンチョーというホームセンターに行く。すぐ近くにあるワークマンプラスにも寄る。14ものポケットがあるというベストがあったので思わず買ってしまった。

06/15/月
夕方、湖岸を散歩。明日は東京に戻るので最後の散歩。^鼻湖沿いの松林を歩く、松林が終わったところでユーターンして戻る。1時間と5分くらいで7000歩を超える。ちょうどいいくらいの散歩コースだ。それから明日の出発の準備。この仕事場には光ファイバーのルーターが設置されているのだが、それ以外の身の周りに必要なものは、自分の体と同時に移動させないといけない。パソコン、パソコン用眼鏡、マウス、iPad、充電器、Wi-Fiルーター、およびノートや資料。こういうものは一つでも欠けると仕事ができない。あとは薬、ヒゲソリ、愛用の爪切りなどだが、これは仕事に差し支えるものではないし、忘れたら買えばいいというほどのものだが、とにかく忘れ物がないか確認する。この仕事場は40年使っている。5年後くらいから専用ワープロを使うようになった。当時のワープロはスーツケースくらいの大きさがあるので運ぶのが大変だった。そのうち専用ワープロはノートサイズになった。そのうちパソコンを使うようになったのだが、当初は専用ワープロを打ち込みに使い、パソコンはプリンターでプリントする時だけに使っていた。短い原稿だとパソコンのファックス機能で送っていたが、まだパソコンそのものが電話線につながっていたので、メールのやりとりにしか使っていなかった。画像1枚送るのに何分もかかる状態だったし、メールのやりとりが出来る編集者もいなかった。次男が大学に入った時にパソコンを買ってやったのだが、そのパソコンがなぜかこの仕事場に残っていていまは物置に入っている。その物置は昔は仕事部屋で、電話線もあったのでメールは出せた。光ファイバーを入れた時に電話も光電話になったので、そのパソコンはもはや機能を失ったのだが、いま住んでいるところに引っ越す時に古いフロッピーがいくつか見つかって、大学の研究室にあったフロッピー読み取り機で読もうとしたら作動しなかった。どうやらNECの仕様で初期化されているようで、それで思いついてこの仕事場の物置にあるパソコンに入れたらちゃんと読み込んでくれた。それでふつうのフロッピーに差し替えてコピーをとって、大学のパソコンで読み取ってプリントをした。ということで、古いものも残しておくと何かの役に立つことがあるのだ。この物置に草刈り機なども収納して片付けをする。これで東京に戻れる。

06/16/火
9時半に三ヶ日出発。14時30分に御茶ノ水着。渋滞はなかった。東京は猛暑。先週、著作権情報センターから、お宅の電話がつながらないというメールが来た。メールでやりとりしたので問題はなかったのだが、電話はつながらないままだ。仕事場の電話でかけても、iPhoneでかけてもつながらない。光電話なのでルーターが故障するとネットにつながらないだけでなく電話もつながらなくなる。これでは修理の依頼の電話もかけられない。誰もがiPhoneをもっている時代だから問題はないのだが。ということで自宅についてすぐにルーターの電源を抜いて初期化。問題なく回復した。ネットもつながる。郵便物が大量に来ている。大半は経理担当の妻に任せるのだが、いくつかの書類は返送が必要なので、郵便ポストまで出向いた。本日の散歩はこれだけ。

06/17/水
御茶ノ水での日常が始まる。まず近所の医者に行って必要な薬を貰う。次に床屋に行く。疫病の流行で長らく敬遠していたが、髪が伸びたのと猛暑で暑苦しくなった。いつも行く店は6人くらいがつねにいて、ものすごいスピードで次々と処理していく店だ。1700円。値段も安いがそのスピード感が気に入っている。店の親父が一人、あとは中年から高齢者に近いおばさんばかり。いつも5〜6人の待ち客がいる。で、本日行ってみると、親父が一人の客を刈っていて、手の空いたおばさんが、ぼくの手に殺菌剤をかけてくれた。待ち客が一人いると思ったが、それはもう一人のおばさんが客用のスペースで居眠りをしていただけだった。殺菌剤をかけてくれたおばさんの台に乗せられて、たちまち作業は終わり。顔そりはできないとのことで、100円引き。10分くらいしかかからなかった。よかった。東京に戻ってきたのは、ロックダウンの終了で会議などが復活するのではと思ったのだが、いまのところ情報センターの会議が金曜にあるだけ。明日はSARTRASのネット会議。来月の国会図書館の会議もネットになるらしく、来週にリハーサルをするとのこと。とにかく昨日、共同住宅の郵便受けが満杯になっていたので、あと一日帰りが遅いとオーバーフローするところだった。

06/18/木
SARTRASのネット会議。やや紛糾したが充分に話し合いがあって解決した。よい方向に進んでいる。本日はぼくの誕生日。還暦からもう一周した72歳。ここまで生きたらあと一周したい。6人の孫からビデオメッセージが届いた。孫が6人もいるとは想定外の喜び。

06/19/金
実に久し振りにリアルな会議。5月中旬の文藝家協会の総会で理事長ら3人だけで会議をして以来だ。中野坂上の著作権情報センター総会と臨時理事会。丸ノ内線で行くと乗り換えなしだが時間がかかるし東京駅から新宿までの間が混雑する。都営地下鉄で新宿乗り換え大江戸線のコースはそこそこにすいていた。何も問題のないシャンシャン会議。午前中の会議は早起きが必要だが午後の時間を仕事に使える。とりあえず出版社未定のまま完成した『人麻呂』と『紫式部』を紙にプリントしておく。ぽっくり死んだ時のため。とはいえ妻には言っていないのでこのまま埋もれてしまうかもしれない。本日、『いちご同盟』の61版が届いた。自分が40歳くらいの時の作品なのでもう30年も経過しているのだが、いまでも売れているらしい。ありがたいことだ。プロ野球が始まったようだが、巨人戦のテレビ放送がない。スカパーの日テレG+でやっていたので問題はない。ぼくはFootballを見るためにスカパーとダゾーンに入っている。試合は辛勝。まあ、勝ってよかった。

06/20/土
パソコンに向かって仕事をしながら目の前のテレビのチャンネルを移動させていたら野球をやっていた。今日はデーゲームらしい。散歩の時間になったが見てしまった。大差がついたので短いコースを回る。御茶ノ水駅周辺はすごい人出だ。これは危ない感じ。水道橋からは猿楽町の裏道を通ったので人に会うことはなかった。世の中は動き始めたようだ。昨日久し振りに乗った地下鉄も都営の割には混んでいた。大丈夫か。

06/21/日
何となくテレビで野球を見てしまう。阪神が弱すぎる。開幕3連勝。相手が阪神だから割り引いてみなければならないが、巨人の先発投手は3人とも責任を果たし、中継ぎと抑えもしっかりしている。打線も新外国人のパーラが好調で、打線がつながっている。まあ、いい感じの滑り出した。気にかかるのはアメリカのフットボール。野球も観客を入れてやっているようなので、9月開幕のFootballも問題なく開催されるだろうが、いくつかのチームで感染者が出ている。主力のQBに感染者が出るとチーム力がガタッと下がる。2番手のQBを用意しているチームが台頭するかもしれない。本日の散歩は久し振りに小石川後楽園。遊園地のジェットコースターが動いていた。人数制限をしているせいか、悲鳴の響きに迫力がなかった。それでもにぎわいが伝わってきた。後楽園はこうでなくては。

06/22/月
朝から雨。風も強い。散歩は休止。『遠き春の日々』。大学生から作家になるまで、自分の二十歳から三十歳までの、いわば苦節十年の日々を描く。全共闘運動の時代だから学生運動の経緯などを書こうとしていたのだが、そういうものはどうでもいいと気づいた。肝心なのは、作家になりたいと思っている若者が具体的などんな暮らし方をしていたかということだ。ドストエフスキーの『虐げられし人々』の中には、若きドストエフスキーの暮らしぶりがしっかりと描かれている。読者はそれで、ドストエフスキーの若き日の姿を知るわけだが、ドストエフスキーのような偉大な作家でなくても、作家志望の若者が苦悩する姿はそれなりに意味のある作品になるのではと考えている。ぼくは偉大な作家ではないので、評伝を書くような人は現れないだろうから、自分で思い出を書いておく、というくらいの試みだ。大学生として五年、社会人として四年、そして十年目の年にプロの作家になった。だから文字通り苦節十年の苦労話みたいなものがあるかといえば、そんなものは何もない。ほとんど空回りしていた十年間だった。それでもいろいろと思い出すことはある。ぼくは早稲田で十五年、武蔵野大学で十年、教員を務めた経験はあるが、それは言ってみれぱ作家としての看板があるからできたことだ。無名の労働者として生きた最初の四年間の思い出は、自分にとっても貴重な経験になっている。まずはよく働いたな、という思いがある。手を抜くということができない体質があって、ベストを尽くして働いていた。ただこれも自分の特質なのだが、オーバーヒートする直前に自動的にスピードを緩めるようなところがあって、何とか乗り切ってきたのだと思う。とにかく、なるべく具体的に自分が何をしていたかを書きたいと思っている。

06/23/火
いつものように小石川後楽園まで散歩。ジェットコースターも動いている。いつだったか妻と散歩していて、ジェットコースターに乗ろうとしたことがあった。入口の看板を見ると年齢制限があった。65歳とか、それくらいだったと思う。当時のわれわれはすでにリミットを過ぎていた。まあ、どうしても乗りたいというわけではない。ジェットコースターのような乗り物に最後に乗ったのはいつだったか記憶にない。これも何年か前、ディズニーシーで雨に降られて雨宿りのつもりで室内に行列の出来ている「地底探検」というアトラクションに乗ってしまったことがある。最初にエレベーターで地底に下りるという設定になっていたのだが、実はゆっくりと上昇していて、最後にいちばん高いところから落下する仕組みになっている。最初に園内に入った時にあのジェットコースターのようなものは乗らないようにしようと妻と話し合ったのだが、気がつくとそれに乗っていたのだった。

06/24/水
来月の始めの国会図書館の協議会はネット会議で実施される。SARTRASで使っているZOOMではなく、WEBEX MEETというアプリを使うというので、本日11時からリハーサル。11時になると同時にiPadを開いて、メールで届いたURLにタッチすると、アプリのインストールを促す画面が出た。インストールというところにタッチするとたちまちダウンロードが完了。もう一度、最初のURLにタッチするところからやり直すと、今度はいろいろな質問がある。電話だけで参加するのか、ネットでつなぐのか、といった質問や、カメラを活かすか、などの質問に応えていくと、国会図書館の担当者につながった。顔が見えないと言われて画面のいろいろなところを触っているとカメラがミュートになっていることがわかり、タッチしてミュートを解除。画面にも自分の顔が映った。これでOK。担当者と話しているうちに、写真家協会の瀬尾さんが入ってきた。瀬尾さんとはSARTRASやオーファン委員会など、顔を合わす機会が多い人だが、このところ実物とは会っていない。とりあえず挨拶などして、リハーサルは完了。ZOOMでは「手を挙げる」ボタンを押して発言するのだが、このアプリではマイクのミュートを解除して発言するようだ。国会図書館の会議室には各人の前にマイクがあり、発言する時はマイクのスイッチを入れてからしゃべるので、同じような感じて会議に参加できるようだ。とにかくつながることがわかったのでログオフして終わり。高齢者にとっては新たなアプリを入れるというのは精神的に負担があるのだが、無事に終わってよかった。

06/25/木
今回の疫病の流行によって、自分の生活に何か変化があったかというと、毎日の散歩だけが日課の老人にとっては、何も変わっていないというべきか。いくつかあった講演や講座が中止になったが、それで生活しているわけではないので問題はない。会議は書面の返送で済む場合とネット会議があり、外出の機会が減少したことは確かで、毎日の散歩が欠かせなくなった。それでもこの時期になると、日大文芸賞、歴史時代作家協会の新人賞等、それに同人誌のナンバーワンを決める「まほろば賞」と、賞の選考が重なる。すでに候補作は自宅に届いている。「まほろば賞」は候補作が文芸誌『文芸思潮』に掲載されているのでその号を読むだけでいい。日大文芸賞は在校生と卒業生から作品を募る催しで新聞掲載を前提とした短篇 の賞なので、とりあえずこれを読んだ。ぼくも長く早稲田や武蔵野大学で小説創作の指導をしてきたので、この種の作品は読み慣れているのだが、今年は応募作のレベルが高く安心した。歴史時代作家協会の賞は、作品賞、新人賞、文庫新人賞と3部門あり、すべてが単行本なので、これから候補作の11冊を読むことになる。ということで、『光と陰の紫式部』の最終チェックは少し先になりそうだ。締切のないデッドストックを作るだけの作業なので急ぐことはないが、次の作品の準備に取りかかるためには、なるべく早く片づけてしまいたい。

06/26/金
iPadでニュースのアプリを見ていたら2時間後に降雨という表示が出たので、まだ午後2時だったが散歩に出発。強い陽射しで暑く、1時間半ほど歩いて自宅に帰っても、雨など一滴も降らなかった。天気予報に騙された。さすがにこの暑さの中を8000歩も散歩すると疲れを覚える。おまけに自宅に帰り着くと妻がネットがつながらないと騒いでいた。このところネットの不調が多い。テレワークなどで回線が塞がっているせいか。インフラ整備が追いついていないのではないか。今年の正月にはスペインの長男一家が来日していて、いっしょに紅白歌合戦を見たり初詣にでかけたりした。のんきな日々だった。もう当分、スペインの孫たちとは会えないだろう。四日市の孫も中学受験で、その直前の数日間、弟を預かってくれといわれて、ぼくは小学三年生を連れてスカイツリーに出かけたり、劇団四季の公演こうを見に行ったりした。いまとなっては懐かしい思い出だ。劇団四季は当分公演ができないということだ。スタッフに外国人がいるので、いまの状態では公演できないということだ。今回のコロナ禍で、さまざまな人々が苦悩を負うことになった。演劇、音楽、飲食、スポーツなどに関わるイベントが中止され、スタッフもキャストも仕事がなくなった。学生も授業がネットだけになり、クラブ活動ができなくなるし、アルバイトの働き口もなくなった。若い人は人生設計そのものが狂ってしまう。ぼくは去年の3月まで大学の先生をしていたので、就職活動の厳しさもまのあたりにしてきた。去年までは何とかどこかに就職できる状況だったのだが、今年はそうはいかない。スペインにいる長男のところもいまだに学校は開かれていないらしい。この状態はやがて文学にも影響が出てくるだろう。大震災で被害を受けるのは一部の人々だが、今回は若者のすべてに広範囲の不安感をもたらしている。文学、とくに新人賞の評価基準として、社会性や時代性というものがある。文章が下手でもいいから、今日的なテーマを掘り下げることが、インパクトのある作品の条件となるからだ。だがこのコロナ禍というものが、今後どのように展開するのか、予測がつかない。20年ほど前にエイズという疫病が話題になった時には、これで人類が絶滅するのではという予想もあった。ただエイズの場合は血液による感染なので、血が出るような状況がなければほぼ安全だと考えられていた。今回はクシャミの飛沫などから感染するので危険度が高い。そういう不安感もあるし、人が密集するイベントができないとなると、さまざまな文化が衰退していく。これを小説としてどのように表現するのか。東日本大震災をテーマにした作品はいくつか書かれたが、まあ、キワモノとして黙殺される感じだった。疫病をテーマにした作品は、デフォーとカミュの『ペスト』が有名だし、小説(ノベル)のくさわけとされるボッカチオの『デカメロン』も、ペストを避けるためにフィレンツェ郊外の別荘に閉じこもった人々が、徹夜で小話を語り続けるという設定で話が始まる。疫病は新たな文学を生む。ただコロナでマスコミは大騒ぎしているけれども、いまの段階では、例年のインフルエンザの死者や肺炎の死者の数よりも少ない被害なので、毎年多くの人々が死んでいたのだ。コロナだけを大騒ぎする必要はないのかもしれない。それから今年も台風の被害が出るだろうし、インドにまで迫っているサバクトビバッタの被害が中国や東アジアにまで迫れば、日本にも影響が出てくる。長く不況が続き、貧困と飢餓が世界中に広がっていくことが予想されている。さて、どうするのか、といってもぼくにはアイデアが出てこない。

06/27/土
ぼくはいまだにWindows7を使っている。この種のものに関しては保守的なのだ。で、もはや更新はないはずなのに何やら時間のかかるものが勝手に入ってきて、何だと思ったら新しいブラウザだという。とにかく勝手に入ってきたものなのでそのままにしてあるのだが、このページの入力にこの新しいブラウザが勝手に起動するのではと心配したが大丈夫だった。自分のホームページがデスクトップに貼り付けてあって、そこをクリックしてホームページにアクセスしてからこのページに移ってHTLMをメモ帳で開いている。ここまではネットにつないでいない状態で、ノートの新しい部分を書き終えたら上書きをFTPソフトでアップしている。20年以上も前からこの方式でやっている。20年以上前というとまだMS-DOSなどというものが棲息していた時期で、何かの真っ黒なDOSの画面が出てくるような時代だった。思いきり保守的なのでこのままの状態を保っていたい。新しくインストールされたブラウザはまあデスクトップの隅に置いておく。もう触らないようにしたい。

06/28/日
いま書いているのは『遠き春の日』の3回目。最終回ということになる。おもしろい小説ではない。自分の高校時代から作家になるまでのことをとりあえず書いておきたいということで書くことにした。大文豪でもないので個人的なことを書いても読む人がいるかとも思うのだが、ぼくの同世代の人間は多いので、同時代が生きた人々にとっては、同じ時代をこんなふうに生きた人間もいる、ということで多少の興味はもってもらえるかもしれない。小説家になりたいと思っていた若者が小説家になるまでの話なので、一種のサクセスストーリーと見えるかもしれないが、小説家になること自体は一つのステップにすぎない。どこかの企業の就職試験に合格したというくらいのことで、そこからまた長い人生が続いていくことになる。その作家としての人生については書いた作品があるので、図書館にでも行けば昔の本が、捨てられていなければ何冊かは残っているだろう。しかしそれ以前のことはエッセーにしか書いていないので、小説という形で残しておきたいという気がした。それなりのモチベーションをもって書いているので、書く意義のある作品だと考えている。『文芸思潮』という文芸誌に掲載する予定でこれは締切がある。来月末ということになっている。しかし来月は多忙だ。何よりも作品選考の仕事が3つもある。日大文芸賞。これはもう読み終えた。いい作品があるので安心している。まほろば賞。これは例年いい候補作があるので安心している。歴史時代作家協会賞。これは単行本11冊読まないといけない。いま新人賞を読み始めている。異なる時代、異なる文体、異なる狙いで書かれた作品を読み比べるのは難しい。史実を調べて新しい見解を出した歴史小説もあれば、ただの読み物に徹した作品もある。武士が出てくるものもあれば、平安貴族の話もある。今年は幕末から明治にかけての話もいくつかある。まあ、とにかく読んでいくしかない。

06/29/月
マッサージ。都営地下鉄で新宿三丁目まで行く。ほとんど義務のように月に一度行ってマッサージを受ける。月に一度、町医者に出向いて薬をもらうのと同じで、体に触ってもらって異常がないか確認してもらう。十年ほど前に両脚が痛くて歩けなくなったことがある。その時に役者をやっている姉に紹介された。役者やスポーツ選手など、プロが利用する料金よりも、シロウトの場合は割引がある。ぼくはシロウトなので割引してもらえる。そこへ行くと足の痛みが和らいだ。やがて完全に治癒した。それ以後は肩こりをほぐしてもらうだけだ。

06/30/火
朝のうちは曇り空だったが、午後から本降りになり、風も強い。散歩には行かず。朝からずっとパソコンの前に座って『遠き春の日々』を執筆していた。おりよく掲載予定の『文芸思潮』の五十嵐さんから電話があった。同人誌掲載作品のナンバーワンを決める「まほろば賞」の選考会の日取りについての打ち合わせだ。季刊に近い不定期刊の文芸誌なので、7月末の締切で原稿を執筆中であることを告げておいた。五十嵐さんは多忙なので忘れているかもしれない。まあ、締切の前に選考会で会えることになったので、その時にも話ができるが、その時点で原稿が完成しているという状態にしておきたい。いまのペースで書いていけば7月の早い段階で草稿が完成して、プリントにしてチェックできる。それで締切のある仕事が完了すれば『光と陰の紫式部』の最終チェックに取り組むことができる。



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