「青い目/西行U」創作ノート5

2009年8月

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08/01
仕事場に移動。夜、孫来る。孫とは先月の始めにも会った。とくに変化なし。少しスリムになった気もする。よく歩き、よく走る。椅子に昇るようになったので危険。わたしは二人の息子を育てた。しかしどんなふうに育てたかは忘れてしまった。生まれた時はまだサラリーマンだったから、ずっと家にいたわけではない。しかしすぐにフリーになったので子育てに協力する時間は、一般のサラリーマンよりは多かったと思う。それらの日々は走馬燈のごとく駆け去って、自分の体験とも思えなくなっている。しかし孫を見ていると、いくつかの記憶の断片が浮かび上がる。孫も可愛いが、記憶の中に残っている息子たちも可愛い。大人に育ってしまった息子たちはどうでもいい。

08/02
日曜日。本日は花火の日。三ヶ日の町の湖岸で花火を上げる。仕事場は対岸にあるので、いつもは窓から眺めるだけだが、本日は次男と孫がいるので湖岸まで出向く。去年もこの花火を見た。去年はスペインの3人娘もいて大変だった。今年は孫が1人だけなので落ち着いている。花火もゆっくり見られた。ところでこの1歳と4ヵ月の孫、わたしのパソコンの壁紙のリュウノスケ(亡き愛犬/シベリアンハスキー)の写真を見て「わんわん」と言っただけでなく、ただちにピアノの上にある写真を指さした。そこにもリュウノスケの写真があるのである。犬というものを認識しているだけではなく、ハスキーの顔まで認識していることが判明した。なお、次男は嫁さんは、孫がオトーサン、オカーサンと言うと主張しているが、丸一日つきあった間にはそんなことはまったく言わなかった。ただ花火を楽しんだし、遠くにある観覧車のイルミネーションも認識して喜んでいた。

08/03
月曜日。世の中は動き出しているのか。こちらは休暇ではないが、公用はなく自分の仕事に集中している。「大乗仏典はすごい」という新書を並行して書いている。資料の箱を車に積むのを忘れたので手探りの作業だが、まだ概論の段階なので資料なしでもどんどん書いていける。しゃべり言葉で冗談をまじえながら語っていく。読みやすく面白くなければ新書の意味がない。午前中は新書、午後からは「西行U」に取り組む。袈裟と盛遠の物語をできる限り簡略に書いている。ここで西行と文覚の会話が必要だ。盛遠が出家して文覚になるわけだが、その段階で仏教とは何かという問いが出てくるはずだ。それに応えるかたちで西行の世界観が提出される。ここまでストーリーを追って書いてきたがこのあたりで哲学的な要素を入れたい。

08/04
このあたりにアウトレットはないのか、と妻が突然言いだしたのでネットで調べると土岐プレミアアウトレットというのがあった。長島にもアウトレットはあるのだが、ここはプレミアではない。長島には以前行ったことがあるし、次男のいる四日市のすぐ近くなのでまた行くこともあるだろう。で、土岐へ行くことにした。1時間ほどで到着。ウィークデーだし高速が千円になる日でもないのですいていた。妻が買い物をしている間、ポメラでひたすら仕事。驚異的に仕事がはかどった。なぜだろうとよく考えてみたら、ポメラはネットもメールもゲームもできない。おまけにテレビもない。ひたすら仕事をするしかなかったのだ。最初は通路のベンチでやっていたのだが、風はあるものの暑い。フードコートに移動したらここは冷房があり意外にすいていた。しかもアサヒの発泡酒が250円。2杯のんだ。それから自分の靴を3足買って、レゴショップで孫へのプレゼント、また妻が買い物に行ったのでタリーズで仕事。本日だけで「西行U」の前半の山場ともいえる仏教の認識に関する部分をすべて書ききった。しかしポメラをパソコンに接続するヒモをもってきていない。まあ、これはあとで修正できる。

08/05
前夜、暑くて眠れなかった。寝床の中で考えているうちに弁慶を出さないといけないと思いついた。それであわてて起きだしてパソコンに向かおうと思ったのだが、これはポメラに打ち込んだ文覚の話の続きになる。そこでポメラにひたすら打ち込んだ。自宅でポメラを用いるのは初めてだ。いよいよポメラの中身をパソコンに移す必要に迫られて、イオン志都呂店に出向く。巨大なショッピングモールである。ここには大きな電器屋も入っている。ヒモを買おうと思ったが何と3種類もある。差し込み口の形状がD形、長方形、台形の3種だ。幸いポケットにポメラをもっていたので差し込み口をじっと見つめた。どうやらポメラは台形だ。購入して差してみたらぴたりとはまった。仕事場に帰ってパソコンと接続。うまくいった。「ヒモ」と単純に考えていたのだが、こんな差し込み口の形状が統一されていないようでは困る。大きな電器屋だが、それぞれのヒモが一つずつ置いてあるだけだったので、台形はわたしが買ったあとは品切れになったのではないか。わたしのように緊急にポメラの情報をパソコンに入れたいという人が何人もいるとは思えないが……、と考えてみたが、ヒモがなくても電器屋にいるのだから、マイクロSDカードをふつうのSDカードの差し込み口に入れるアダプターを買えばいいと思いついた。まあ、ヒモがあったのだからよかったのだが。

08/06
大工さんが来たので浜北までランチを食べにいく。あとはひたすら仕事だが、何となくだるくペースが上がらず。

08/07
大阪に移動。三ヶ日インターの入口が事故。岡崎の先のジャンクションから20キロ以上の渋滞という情報に、その先の豊田南まで一般道に行く。妻の実家まで6時間ほどかかった。いまはいくらでも打ち込みができる状況なので、実家に着くとひたすら仕事。この状態がいつまで続くのか。

08/08
泉ヶ丘で講演。妻の実家のある川西市は大阪の北、泉ヶ丘は南、まず阪急で大阪、それから地下鉄で終点の中百舌鳥、それから乗り換えて泉ヶ丘。こんな駅があるのは知らなかったが、泉北ニュータウンの中心みたいなところ。高校時代の友人の元代議士の後援会みたいなところで講演。まあ、必要なことは話せた。彼の当選を祈る。

08/09
仕事場に移動。往路よりはましだったがけっこう時間がかかった。高速道路を安くすることには反対だ。思いきり高くして緊急の時だけ利用するといった使い方をすべきだ。夜中、豪雨。

08/10
三宿に戻る。豪雨を予想して前日のうちに主な荷物は車に積み込んでおいたのだが、曇ってはいるものの雨は降らず。東京に帰り着くまで降らなかった。しかし地面が濡れていたので直前まで降っていたのだろう。ラッキーだった。この一週間、資料を積み込むのを忘れたので、自分の記憶力と、パソコン内の百科事典、それとネットの事典が頼りだった。まあ、それで何とかなったのだが、資料が手元にあると行き詰まった時には頼りになる。台風が近づいている。こちらはひたすら仕事をするばかりだ。

08/11
前夜は疲れたので早めに寝た。寝入りばなの地震。長く揺れ続けていた気がする。何と震源地は静岡。昨日通った東名の牧ノ原のあたりが陥没して不通になっている。昨日帰っておいてよかった。明日、長男がスペインから帰ってくるのでそれが三ヶ日滞在のリミットだったのだが、妻が準備が必要というので一日早く帰ることにしたのだ。

08/12
成田へ長男を迎えに行く。今年は帰省しないという話だったのだが、急に気が変わったのか、次女だけをつれて帰ってくることになった。次女に日本語を教えるという狙いもあるのだろう。長女はかなり日本語ができるようになっている。成田というと、長男が高校、大学の頃、短期留学のために何度か送り迎えをしたことがある。もう一つ思い出すのは、長男がブリュッセルにいた頃に、次男と二人で出かけたことだ。帰国すると妻が車で迎えに来てくれたのだが、その時、リュウちゃん(愛犬)をいっしょに連れてきてくれた。それは感動的だった。妻と旅行に出た時、長男と次男が車で迎えに来てくれたことがある。というふうに成田にはいろいろな想い出がある。出迎えるのも慣れている。スペインの空港だと出迎えの人がぎっしりと待ち受けていて、帰国した人を抱いたり頬ずりしたりするのだが、日本では実に淡泊だ。さて、長男と、次女が出てきた。われわれも淡々と出迎えた。自宅に戻って食事をしていると、次男の嫁さんが孫を連れて四日市から駆けつけてきた。イトコ同士の対面。去年の夏は全員揃っていたのだが。長男の次女と接していると、あれ、と思う。長女はおしゃべりでつねにトーンが高い。それがスペイン人の気質なのだが、この次女は顔立ちはスペインの血が強く出ているのに、性格はおとなしい。同じ姉妹でもずいぶん性格が違うので驚く。三女もまた独特の個性をもっている。そこが面白いところだ。去年はただ寝ているだけだった次男のところの孫も今年は走り回っている。その姿が次男の子どものころとそっくりで、長男はトラウマを感じると言っていた。子どもの頃、次男にいじめられていたのだ。急に人が増えたので疲れたが、夜中は自分の仕事をする。第一章が完璧に終わった。これまでもポメラで打ったメモはあったのだが、全体の流れをチェックして微調整した。文体も安定している。4分の1ができたことになる。ただちに2章に移る。ここもかなりのメモができているのだが、文体を調整しながら先に進む。この章では平治の乱を扱う。動きのある章なので一気に書けそうだ。が、孫たちのスケジュールはどうなっているのだろう。次男の嫁さんが来てくれたので、長男と次男の嫁さんというカップルでどこかに出かけてくれるのではないかと思う。ということは仕事に集中できるのだろう。そうあってほしい。

08/13
家族は揃ってどこかへ行った。まあ、渋谷あたりにいたらしい。こちらはひたすら仕事。

08/14
今日はなぜか妻と長男が出かけた。長男の次女と、次男の嫁さん他一名が残された。この次女と嫁さんは実は同じ名前だ。ややこしいが偶然ではない。長男の長女が次男の結婚式に参列して嫁さんと親しくなり、妹が生まれた時に同じ名前にしてくれと主張したのだ。しかしややこしいことは確かだ。とにかく嫁さんがいてくれたのでよかった。孫たちを連れて散歩に出てくれた。これで仕事に集中できた。

08/15
俳優座劇場。「出番を待ちながら」。50年ほど前のイギリスの芝居らしい。元女優ばかりが入っている老人ホームの話という、あまり面白くなさそうな設定だが、劇作術が巧みでユーモアもあり、人生の哀歓がほどよく出ていて、見事な芝居であった。三田和代さんが主役だが主要登場人物のそれぞれに為所が設定されていて、それをベテランのキャストが安定した演技でこなしていた。まあ、いい芝居だが、こちらが老人になっているので、楽しむというところにはいかない。自虐的なポイントをくすぐられるという感じ。次男の嫁さんと孫は実家に移動した。時差ボケのスペイン娘が一人残った。可愛い子なのだけれど、まったく聞き分けのないスペイン育ちなので(スペイン人は躾をしない)、家の中が暴風にさらされている感じ。テレビで世界陸上をやっている。こういうものは見ることにしている。とくに誰かを応援するというわけではないが、一生懸命に人が頑張っているのを見るのは楽しい。

08/16
日曜日。世の中はお盆らしいがこちらはひたすら仕事。スペイン娘はプールに行ったらしい。つかのまの静けさ。姉を呼んで食事。世の中が止まっているので今月は公用もない。9月に入ると動きがあるかもしれないが、大学はまだ休みだ。後期はM大学に加えてW大学でも1コマもっているので週2日大学に通うことになる。体力がもつか。夜中、というよりも明け方、100メートルの決勝を見る。一気に0.1秒も速くなるというのはすごいことだ。

08/17
月曜日。妻、長男、スペイン娘、まとまって大阪へ行った。ということで今日は一人で仕事に集中している。夕方から涼しくなってきた。静かでいい気分だ。

08/18
今日も1人。夜、妻が帰ってくる。老人だけの静かな日常になった。長男とスペイン娘は四日市の次男宅に向かったようだ。そのうち全員でまた戻ってくる。第2章もあとわずかという感じ。今月中には3章に突入できるだろう。すべてが西行を中心に回っている。少し歴史を脚色しているのだが小説だから多少の嘘をまじえることは許されるだろう。

08/19
ひたすら仕事。何だか中途半端に暑い。クーラーを入れずに仕事をしていたのだが何となくだるい。夜中はクーラーを入れた。平治の乱。あとは頼朝を救出するシーンを書くだけだ。

08/20
ひたすら仕事。京を脱出した頼朝が琵琶湖の東岸を駆けていく。平治の乱はまだ続くのだが、枚数の関係でこのあたりで第2章を終えたい。どこで終わってもいいのだが、少し先まで書いてから、一番盛り上がっているところで章の終わりとしたい。ここがこの作品の一番の盛り上がりかもしれない。

08/21
息子たちが帰ってきた。長男とスペイン娘1名、次男と嫁さんと日本男児の孫、急に人数が増えた。先週もスペイン娘と日本男児の組み合わせで滞在していたのだが、その時は次男がいなかった。本日はフルメンバーだ。まあ、夜中は仕事ができる。

08/22
土曜日。三軒茶屋の中華料理屋で食事。スペイン娘の機嫌が悪くずっと泣いていた。日本男児は終始ご機嫌であった。まあ、性格にもよるのだろう。本日もひたすら仕事。ピッチが上がっている。

08/23
日曜日。何事もなし。次男が四日市に帰る。サラリーマンはつらい。長男も仕事はあるがスペインと日本は違う。さらに音楽院勤務だから夏休みも長い。次男を東京駅まで送っていこうとしたらなぜか車が動かない。バッテリーが上がっているのか。次男の車があるのでそれで東京駅へ。帰ってから車のチェック。やはりバッテリーだ。ハッチバックのドアがきっちりしまっていなかったようだ。長い間使っていないバッテリーチャージャーを出してみる。使い方も忘れていたが何とかやってみる。朝までチャージして試してみる。

08/24
車は無事動いた。本日はわたし以外の全員でディズニーシーに行った。わたしも誘われた。皆が遊んでいる間にフードコードでポメラを叩く、といったイメージが浮かんだが、アウトレットやスーパーと違って入場料をとられる。自宅で一人ひたすら仕事。3章もちょうど半分まで来た。100ページ。原稿用紙だと300枚になる。2ヶ月弱でこのペースはかなり速い。あと1ヶ月でゴールインできそうだ。
ところで、昨日、散歩の途中、北沢川緑道で五位鷺を目撃した。抜き足差し足でザリガニを捕まえようとしていた。北沢川緑道に五位鷺を見るのは2度目だ。この川ではよく白鷺(コサギ)を見かけるのだが、その鳥は白くなかった。少し緑がかった美しい鳥だった。じっと見つめていると通りがかりの人が五位鷺だと教えてくれた。あとで図鑑を調べると緑色なのは幼鳥であることがわかった。その時の図鑑の記憶があったので、本日目撃したのが五位鷺の成鳥だとすぐわかった。コサギやカルガモは珍しくないが、五位鷺は珍しい。何となくラッキーな感じがする。

08/25
長男とスペイン娘を成田に送る。とてもわがままな娘がたえず騒いでいたため長男とゆっくり話す時間もなかった。まあ、話すこともないのだが。昨夜、家族がディズニーシーに行っている間に、世田谷区では1時間に58ミリというゲリラ豪雨が降った。その直後から急に涼しくなった。本日は爽やかな風が吹いている。次男の嫁さんも一緒に行ったのでデッキから飛行機がゲートを離れるところまで見ていた。別れというものはいつも寂しい。しかし4歳の子供とはいえ連れがいるというのはいい。かつて長男1人だけを見送る時は、その後、妻と2人で落ち込んだものだ。さて、スペイン娘は帰ったが、日本男児の孫はまだいる。彼もまだ言葉が通じない人物であるが、性格が明るいので楽しい。

08/26
本日は残っていた日本男児の孫が嫁さんの実家へ。妻と二人きり。静かだ。こちらは仕事に集中。夜中は柔道とドクター・ハウスを見る。この暗くて偏屈なドクターが大好き。

08/27
ペンクラブで記者会見。グークール和解への異議申し立て。こちらは文藝家協会のスタンスとの違いを説明。まあ、楽しい会見になったのではないか。

08/28
医者に行く。定期検診。あとはひたすら仕事。門のカギを長男に貸したらそのままスペインに帰ってしまった。長男はそういうタイプの人間なので確認しなかったこちらに落ち度がある。三軒茶屋のカギ屋でコピーを作ってもらったがうまく回らない。もう一度出向いて調整してもらった。こんどはうまくいった。

08/29
土曜日。出張から戻った次男と、前からいる嫁さん、孫(日本男児)とともに軽井沢に行く。高速料金の安くなる土曜日だが道路はすいていた。横川サービスエリアで釜飯を食べる。塩沢湖の近くのコテージを借りている。二階に寝室がある。当然、老夫婦が二階に上がる。パソコンはもってきていて仕事はできる。少し仕事をする。それから星野温泉の近くで夕食。次男近くはその近くのホテルで挙式したのでそちらの夜景を見に行く。老夫婦は旧軽井沢の友人宅へ。この友人とは30年来の友人で毎年この軽井沢の別荘に遊びに来る。泊めて貰うことも多い。今回は別荘を新築したというので大勢の人々が集まっている。昔からなじみの子供たちが大人になっている。これは当たり前だがすごいことだ。

08/30
日曜日。昨夜も行った友人宅にこんどは次男夫婦もつれていく。昼間のバーベキュー。やや遅れてこの家の次男が到着。彼はギタリストである。小さい子が二人いるのでうちの孫と対面させる。この家の二人のご子息とうちの子供二人は年齢がほぼ同じでかつて八王子めじろ台にいた頃、毎日4人で学校に行っていた。友人のところにはあと女児が二人いる。長男は外国旅行中。それに親戚の子供が3人。別の友人の子供が一人。この友人とも古い付き合い。ということで23人ほどが集まった。ギターの演奏などもあり、成長した子供たちの姿を眺めて、年月の重みを感じた。彼らと別れてわれわれの家族だけで旧軽井沢銀座を散歩。それから星野温泉で孫とともに入浴。昨日と同じレストランで食事。コテージに戻ると選挙のニュースをやっている。すでにわれわれは期日前投票を済ませている。わたしは公用で自民党本部に陳情に行ったこともあるので、あまり喜ぶわけにもいかないが、個人的にはいまの総理大臣が嫌いなので、自民党の大敗は喜ばしいニュースだ。

08/31
四日市に帰る次男と別れて東京に戻る。台風接近。とにかくひたすら仕事。3章がほぼ終わったが、終わり方に一工夫したいのでペンディング。


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