1997/01/26(SUN)

1997/01/26(SUN)



例によって就床後1時間ほどで目覚める。もうスクリーンに向かうのも習慣と化した趣がある。
こんなことが習慣化していいのだろうか。しかし、いいとか悪いとかじゃないのだ。
話はまったく飛躍するが、なぜ舞踏は、最初の段階で、一般の「舞踏」と確然と一線を画した呼び方がされなかったのだろうか。たとえば、いま渋谷の若い連中がやっているような毅然とした態度をどうしてとれなかったのか。連中が「クラブ」あるいは「パーティー」という時、書かれた文字としては世の中で言われているクラブ、パーティーとまったく変わりがない。しかしそれが、かれらの会話のなかで蘇ってくるときには、それこそ、目のウロコを洗い落とすような新鮮さで立ち現われてくるのである。つまり、かれらは、それらの単語を、世間一般に流通している発音から、アクセントをずらして、平坦化するのだ。これで、もう同じ「クラブ」であっても、連中のそれは、世間一般の「クラブ」とはまったく別物の、彼らの、かれらだけの、クラブとなったのである。
いっぽう、初期の舞踏ではこうした峻別が行なわれていなかったようだ。かれらは、せっかくの舞踏を、まったく丸腰のまま、世間の風雨に晒してしまった。なかに一人でも、たとえば、アクセントをずらして発音するといった戦略を提供するものがいれば、よかったのだが、土方巽もそこは盲目も同然であった。いや、かれは盲目ではなく、耳が悪かった。致命的であった。なぜなら、舞踏におけるこの戦略上の失敗は、けっして見過ごすことのできない大きなデメリットを舞踏そのものにもたらしているからである。

誰でもその人間に固有の欲望をもっているだろう。この世には人間のアタマ数だけの欲望が渦巻いているといっていいかもしれない。
わたしにもわたしだけの欲望がある。どうあっても欲しいものがある。ただ、欲しいものといっても、わたしのそれは、欲しいからといって誰かから与えられるようなものではない。わたしが欲しいもの、それは、わたしの文字の跡をとどめた紙片の束である。わたしがどうあっても手に入れたいもの、わたし自身の言葉で埋まった紙の束。
ただ、言葉なら何でもいいというのではない。それは、やはり詩でなければならない。要するにわたしの欲望は、わたしの詩稿だということになる。
これはどうしたら手に入るか。いうまでもない、わたしが書くことによってだ。
いや、書くというのは実はこの場合正鵠を得た言い方とは言えない。
書くのではなく、言葉を組み合わせるというべきだろう。言葉を組み合わせることで得られるフレーズ。そのフレーズでいっぱいの紙片。これが先ず必要だ。常に心を躍らせるような、生き生きとしたフレーズに溢れかえっている紙片。とりあえず、詩人というものの第一条件がこれを持っていることだ。
そして次に、そのフレーズを組み合わせることで得られるブロック。そのブロックでいっぱいの紙片。ここまでが詩のプレパレイション(準備)のすべて。ここから先は、フフフ、詩にも本番はあるんですよ。
さて、わたしはこうして、自筆の原稿というものに、まあ、飢えているといっていい。わたしがみたいのは、わたしのデタラメな言葉に充満している紙の束。

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夏際敏生日記 [1997/01/21-1997/02/22] 目次| 前頁(1997/01/25(SAT))| 次頁(1997/01/27(MON))|