1997/01/25(SAT)

1997/01/25(SAT)



6時頃起床。
やはり書く以外ない。しかし、それにしても、何を書こうか、とこう言っているうちは賢治さんの原則からはほど遠い。

ところで、針で突いたほどの一点というのがわたしにはあって、すべてはそこから出ており、また、すべてはそこに帰る。
その一点というのが小さいものであればあるほど、わたしのパッションは掻き立てられ、それだけいっそう燃え上がる。
わたしは、病気になって、はじめて、この針の一点に住み着いた。この住まいの恍惚だけが、病気がわたしにもたらしたおそらくは唯一のメリットかもしれない。
この針の一点、すなわち、詩作の現場。と言いたいところだが少し違う。わたしの場合、それは、詩を作る現場ではなく、詩集を作る現場だ。本を製造する現場である。
むろん、本の製造にわたしがいちいちタッチするはずはないんで、それは、エディターたちや、印刷の人たちがやるわけだけれども、しかし、清水鱗造氏を通じて、わたしも書物の仕様にかなりクチバシを容れることは事実であり、ページ構成やレイアウトは言うに及ばず、活字の種類、イラスト、紙の材質、その他、文字どおりスタッフの中心になって、仕事を行なうわけである。この、書籍を作り出す現場としての「一点」は、まさにわたしの全生活の中心であり、わたしの精神的・肉体的支点であるといわねばならない。この一点は、わたしの存在の工房(アトリエ)であり、ウォーホル流に言えば、ファクトリーである。もともとわたしは、自からを自動文書制作器械(AUTOMATIC WRITING MACHINE)たらしめようともくろんでいるのであり、ファクトリーはまさにこのイメージにぴったりの趣ではないだろうか。

もうこれさえあれば、少々のことでは大丈夫。といえるほどのものを、やっとわたしも手に入れることができた。先に針穴一点と名付けたわたしの新たな拠点がそれである。確かに、もう、ちょっとやそっとのことでは、わたしは参らないだろう。

淫する、という動詞がある。時と場合によっては、きわめて侮れない魅力を発揮する言葉だ。そして、わたしは、この針穴一点の件に関する限り、この言葉に登場を要請したい。わたしは、この針穴一点に、文字どおり淫したいのだ。この時、「淫」の一語は、あの、賢治さんの「法楽」に響き合っているように思われる。

さて、今年のプランを大ざっぱに述べておこう。
先ず、30年になんなんとする「歴史」をもつ『夏際敏生の印刷物 1969〜1972 』が、うまくいけば夏までに出版の運びとなるかもしれない。そして、BOOBY TRAP に連載していくものを集めて一冊の詩集とする『曖昧模湖のネッシー』も、連載終了を待たないで刊行することになると思うので、これも、年内に実現をみたい。その他に、例の『ヘルクレス座球状星団ホットライン』もなんとか手を加えて出版したい。今年のわたしの言語状況といったものは、以上に尽きると思う。

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夏際敏生日記 [1997/01/21-1997/02/22] 目次| 前頁(1997/01/24(FRI))| 次頁(1997/01/26(SUN))|