作詞 西条 八十 作曲 万城目 正 唄 霧島 昇 ミス・コロンビア |
1.花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡を 独り行く 2.優しかの君 ただ独り 発たせまつりし 旅の空 可愛い子供は 女の命 なぜに淋しい 子守唄 | 3.加茂の河原に 秋長(た)けて 肌に夜風が 沁みわたる 男柳が なに泣くものか 風に揺れるは 影ばかり 4.愛の山川 雲幾重 心心を 隔てても 待てば来る来る 愛染かつら やがて芽を吹く 春が来る |
1938年(昭和13年)
|
原作 川口松太郎、監督 野村浩将、主役のヒロインの看護婦高石かつ枝に田中絹代、医師津村浩三に上原 謙が扮し、
記録的人気を得た1938年(昭和13年)の松竹大船の作品「愛染かつら」は、当初は前・後編の構成だったが、
あまりの人気に翌昭和14年5月に「続愛染かつら」が、そして同年11月には「愛染かつら 完結編」が作成された。
なお、「続・・・」から佐分利 信と水戸光子が木村医学士夫妻の役で新たに加わっている。 また、戦後になってからも度々リメイクされており、大映から2本、すなわち昭和23年に久松清児監督、主演 水戸光子、 滝崎一郎で「新愛染かつら」が、昭和29年に木村恵吾監督、鶴田浩二、京マチ子で「愛染かつら」が、 そして本家の松竹大船では昭和37年になって岡田茉莉子・吉田輝雄・桑野みゆき・佐田啓二・笠 智衆で4月に「愛染かつら」、 10月に「続・愛染かつら」が何れも中村 登監督によって製作されている。 主題歌であるが、まず本編には「旅の夜風」と「悲しき子守唄」の2曲、 「続 愛染かつら」には「愛染夜曲」と「朝月夕月」が、 そして「愛染かつら 完結編」には「愛染草紙(または草子)」と「荒野の夜風」があり、 作詞は全て西条八十、作曲は「悲しき子守唄」(作曲 竹岡信幸)と「荒野の夜風」(作曲 早乙女 光)を除き万城目 正、また歌手は「荒野の夜風」を除き霧島 昇と ミス・コロンビア(「悲しき子守唄」のみミス・コロンビアひとり、また「荒野の夜風」はミス・コロンビアと二葉あき子)である。(「荒野の夜風」を除く5曲は、全て本Musictheaterの歌謡曲に収録済) なお、「朝月夕月」については、同好サークルの知人である清水様に教えていただき、収録できたものであり、ここにお礼を申し上げる。 |
【蛇足】
この有名な映画の主題歌「旅の夜風」と「悲しき子守歌」はたった一晩で書き上げられたものらしい。西条八十の自伝 によると大凡次のようであった。 昭和13年の夏の夕暮れ、八十が家族と滞在していた軽井沢にコロンビアのディレクターがやってきて、明朝までに二つ書いてほしい、 これは原作者の川口松太郎氏からの指名でもある。というのは「愛染かつら」は八十の「母の愛」(注)という詩からヒントを得て 書かれたからだということだった。 (注) 晴れて逢へない母子(おやこ)ゆえ、 真の夜中に逢ひにくる、 真の夜中に出る月の やうに寂しく逢ひにくる。 晴れて呼ばれぬ我が子ゆえ、 真の夜ふけにこの涙、 おなじ想ひか、さらさらと、 往ってまた来る小夜時雨 その晩は飲み過ぎて詩作に入れず、翌朝2時間ばかりで纏めざるを得ない羽目になったが、非常に感傷的な脚本であるのに 時代は日華事変の進展に伴い個人的感傷を盛った作品は許可しないというのが内務省の当時の方針であり、これを回避するのに 悩んだ末、当時良くヒットしていた佐藤惣之助の手口(意味を辿ると支離滅裂だが、大衆の心を捉えそうな文句を調子よく 綴って行く方式、と八十は総括している)で行くことにした。その例証として、八十は「旅の夜風」について次のような ことを述べている。なお、「悲しき子守歌」も含めて、時間通りに書き上がったそうだ。 1)1番の「ほろほろ鳥」なんて京都にはもちろんいない。うらがなしい鳴く音の鳥を描きたくなり、琵琶歌の「石童丸」の中の 「ほろほろと鳴く山鳥の声聞けば・・・」から「ほろほろ鳥」という名を思いつき使った。 2)3番の「男柳が泣く・・」というのだが、柳に男も女もない。個人的感傷という指摘を回避せんとしたもの。 こんな風にしてできた唄だったが、映画の上映とともに大人気となりプレスが間に合わないほどで、レコード総売上数百万 に達したそうだ。 (西条八十著「唄の自叙伝」日本図書センター刊による) |