作詞 野上 彰 作曲 仁木他喜雄 唄 森繁 久弥 |
「たとえどんな人間だって 心の故郷があるのさ 俺にはそれがこの街なのさ 春になったら細い柳の葉が出る 夏には雀がその枝で鳴く 雀だって唄うのさ 悲しい都会の塵の中で 調子っぱずれの唄だけど 雀の唄はおいらの唄さ」 1.銀座の夜 銀座の朝 真夜中だって 知っている 隅から隅まで 知っている おいらは銀座の 雀なのさ 夏になったら 鳴きながら 忘れ物でも したように 銀座八町 飛び回る それでおいらは 楽しいのさ | 「すてばちになるには 余りにも明るすぎる この街の夜この街の朝にも 赤いネオンの灯りさえ 明日の望みにまたたくのさ 昨日別れて今日は今日なのさ 惚れて好かれてさようなら 後にはなんにも残らない」 2.春から夏 夏から秋 木枯らしだって 知っている 霙の辛さも 知っている おいらは銀座の 雀なのさ 赤いネオンに 酔いながら 明日の望みは 風まかせ 今日の生命に 生きるのさ それでおいらは 嬉しいのさ |
1950年(昭和25年) |
この唄は、はじめ、NHKの「愉快な仲間」のメンバーが銀座で飲んできたときに
メンバーの一人 野上彰が店の壁に即興で書き殴り、翌日、その詩に仁木多喜雄がメロディーをつけて披露したところ、番組で使おうと
いうことになり、「酔いどれの街」という題名で台詞 森繁久弥、唄 藤山一郎で放送された(いずれも当時の「愉快な仲間」の出演者)。
それが後に映画「銀座の雀」の主題歌とされた
ときに、題名もそのように変わったということである(2004.3.4の「NHKラジオ深夜便」による)。
なお、映画主題歌を歌ったのは森繁久弥。また1955年(昭和30年)には「銀座二十四帖」の主題歌にもなり、このときは 織井茂子,中島孝,川島まり子が歌っている。 作曲者の仁木他喜雄は明治34(1901)年11月14日、北海道の生まれ。横浜のバンド屋 (バンド部屋。斡旋業。プロダクション)「睦崎」に入門。外国人オーケストラのバンドボーイをしな がら、ドラム、パーカッションを習い、ジャズのアレンジを勉強。その後ハタノ・オーケストラ、日本 交響楽協会を経て、大正15年新響(N響)創設時にティンパニー奏者として参加。以後、昭和15年 まで在団。 退団後は昭和5(1930)年から携わっているレコードの作、編曲家として本格的なキャ リアを積んで行く。以後、『リンゴの唄』(1945 詩 サトウハチロー 曲 万城目 正 唄 並木路子)『お使いは自転車に乗って』(1942 詩 上山雅輔 曲 鈴木静一 唄 轟夕起子)等、のアレンジ。『めんこい仔馬』(1940 詩 サトウハチロー 唄 二葉あき子 高橋裕子 コロムビア児童合唱団)『別れても』(1946年 詩 藤浦 洸 唄 二葉あき子)『銀座の雀』(1950 詩 野上彰 唄 森繁 久彌)等を作曲。今に残る数多くの名曲を数多く手がけた。昭和33(1958)年5月13日没。 享年56歳。http://www.people.or.jp/~natumero/modam2.html |