江 戸 城

千代田区千代田、皇居内他 




  もう説明の必要が無い日本一の名城です。震災や戦災で大きな打撃を受けたにもかかわらず、

 隅櫓や城壁、城門がよく復元されています。さらに外桜田門、田安門、清水門の三ヶ所の城門

 は国の重要文化財に指定されています。また本丸御殿の一部が川越の喜多院に現存している他

 数箇所に移築されています。

  天守閣は江戸時代の明暦の大火で焼け落ちたまま、再建されませんでした。現在、本丸跡の

 東御苑が昼間に限り入苑できます。一方、江戸城は東の隅田川から、北の神田川を経て、西は

 四谷赤坂、南は虎ノ門から新橋までを結ぶ長い外堀で囲まれていたので、これら各所にも石垣

 や土塁などの遺構が見られます。


     富士見櫓


 天守閣が焼失してからは富士

見櫓が江戸城の天守と見なされ

忍城や関宿城の御三階櫓のモデ

ルになったと言われています。

今も二重橋と共に皇居のシンボ

ルとなっています。






     本丸天守台


 江戸城の天守は、初代を別に

しても(注1)、天下を取って

からの慶長、元和、寛永と三度

建てられ、寛永の天守は五層の

大天守閣だったのですが、明暦

の大火後はついに再建されませ

んでした。







   三の丸東南の巽櫓


 桜田巽櫓とも呼ばれ白漆喰の

端正な姿を見せています。江戸

城に残る櫓のほとんどは関東大

震災で大破倒壊しましたが、直

ちに解体修理されてかつての姿

に蘇っています。





   お茶の水の神田川


 江戸築城の仕上げと言うべき

大普請で、駿河台を掘削して城

の外堀としたのですが、機械の

ない江戸時代に掘ったというの

が信じられないほど、深い渓谷

になっています。



  注1・・・初代の江戸城天守閣は大田道潅が建てたもので、静勝軒と呼ばれた望楼式の櫓建築

       でした。詳しくは城の成り立ちについての大田道潅の天守閣をご覧ください。





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