「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第14章 北海の巨王(その2)



トスティ卿が訪れようとしているノルウェー王ハラルド・ハードラダの生
涯も、また波乱に富んでいた。
豪勇無双、激情冷酷な性格ゆえに、「苛烈王」と呼ばれていた。
ノルウェー・ヴァイキングの王子として、1015年に生まれていたから、
トスティ卿が訪れた時は、51歳であった。男盛りを過ぎてはいたが、
まだまだ元気旺盛であった。
少し脇道にそれるが、この機会にハードラダ苛烈王のこれまでの人生
を概説しよう。


初陣は15歳。顔には少年らしさが残っていたが、体つきはすでに人並
み以上であった。
戦の相手は当時イングランド王をかねていたカヌート大王と、その配下
のデンマークヴァイキングであった。戦上手のカヌート大王軍に、ハー
ドラダの手勢は、あっという間に蹴散らされてしまった。完敗である。
追討してくるカヌート大王軍を振り切って、東へ東へと逃走を重ねた。
気がついてみると、遥かロシアの地、ノブゴロド公国であった。

首都ノブゴロドはロシア最古の都市である。今はその繁栄をサンクト
ペテロスブルグに譲り、ひっそりとした古都であるが、当時はバルト海
沿岸と黒海を結ぶ交通上の要地であり、商業の盛んな都邑であった。
このスラブの地ノブゴロド公国は、9世紀後半酋長ルーリックに率い
られて、スカンジナビヤ半島から東へ向かって船出したノルマン・ヴァ
イキング達が建国したものである。

彼らは、同胞であるハラルド・ハードラダの一行を暖かく迎えた。ハー
ドラダ少年はやっと安眠の場を得た。




初陣が敗戦であったがために、辛酸をなめたが、その結果、一層逞し
い男になった。
ノブゴロド公国に暫く滞在したあと、彼はドニエプル川を下って、キエフ
大公国に向かった。
大河ドニエプルがヨーロッパ世界の東限であった。
川に沿って繁栄しているキエフ大公国もまた、ノルマン・ヴァイキング
が建国した植民地である。

8世紀から12世紀にかけて、ノルマン・ヴァイキングのボルテージは
高く、信じられないような強烈なエネルギーで外に向かっている。その
版図の広大さには驚く。
ハードラダの辿った航路は、まさにノルマン・ヴァイキングの大先達が
幾多の血を流しながら拓いていった「ヴァイキング・ルート」でもあった。

8年後の1038年、23歳となった青年ハードラダの姿が、トルコのビ
ザンチン水軍に見られた。はや客将の地位で一戦を任せられていた。

ビザンチンは現在のイスタンブールである。黒海と地中海を結ぶ天然
の要衝を拠点にエーゲ海にギリシヤ水軍と鉾を交え、遠くシシリー島
の回教徒サラセン軍を攻めた。
時にはクレータ島を急襲オリーブ油の富を奪い、南下してはアフリカ
北岸の都市より黄金や宝石を積んで帰った。
この頃のハードラダには領土欲はなく、毎日の人生は戦であり、戦は
スポーツであった。
巨漢ハラルド・ハードラダの武名は、広く東方世界オリエントに轟き、
恐れられた。




男の世界にも嫉妬は多い。

ビザンチン水軍の部将の中には、ハードラダの武勲と倣岸不遜な態
度を快く思わぬ者が増えた。
2年後の1040年、暗殺計画が練られていた。

動物的な本能か、数え切れない修羅場を掻い潜って来た勘であろう
か。身の危険を感じたハードラダは、腹心の部下を率い、一夜、最新
鋭の軍船を奪い、そのまま漆黒の闇に紛れて、厳重なイスタンブール
海峡の警戒線を突破した。

一行は黒海を北上した。ドニエプルを溯って、キエフの町に着いた。
さらに漕ぎ上って、再び懐かしの地ノブゴロドに帰ってきた。
鮭の遡上にも似た回帰の呼び声を、郷愁というのであろう。ハードラ
ダの心の中に、抑えても抑え切れない感情が渦巻いていた。ノブゴロ
ドには、10年前彼が初めて恋した乙女がいた。

ハードラダは宝石や珍しい装身具などを手土産に、ノブゴロド公国の
領主でもあるキエフ大公ヤロスラフの宮殿を訪れた。

ヤロスラフ大公はロシアの母国ともいうべきキエフ大公国を建国し、ロ
シア最古の法典「ヤロスラフの法典」を制定した英邁な君主である。
大公妃はスェーデン王室の出身である。
大公一家は盛装してハラルド・ハードラダを出迎えた。初恋の相手は、
大公の息女エリザベス姫であった。



金髪長身、逞しい若武者のハードラダに、エリザベス姫の心にも、再
び恋の炎が燃えた。
ハードラダの豊富な見聞録と冒険談は大公や公妃、姫や家臣をも魅
了した。
エリザベス姫に熱っぽい視線を注ぐハードラダを見て、
「ハードラダ殿、どうじゃな、エリザベスを貰ってはくださらぬか。エリザ
ベスも以前からぞっこん惚れているようでな、ハッハッハッ・・・」

「頂戴しましょう」
早速二人は華燭の典をあげた。

新婚の二人は熱烈な愛の日々をノブゴロドで過ごしたが、ハードラダ
の帰心は矢のごとく西へと翔んでいた。

「どうしても故郷へ帰りたいのだ。今まで苦労したのも、故郷へ帰り、ノ
ルウェーの王になりたいからじゃ。エリザベス、すぐに出発だ」
「貴方とともにどこへでもまいりますわ」

戦乱の巷を知らずにすくすくと育った姫にとっては、スカンジナビヤへ
の旅は、まるでお伽話のように思われた。
ハードラダは、初々しいエリザベス姫を伴ってスウェーデンに向かった。



当時スウェーデン王はデンマーク王のスウェインが兼務していた。
しかしスウェーデンの統治に赴いている間に、時のノルウェー王マグ
ナスに、デンマークを奪われていた。

憎いマグナス王打倒のために、スウェーデン王スウェインは、ロシア
帰りの歴戦の大豪ハードラダを歓迎し、直ちに同盟を結んだ。
スウェイン・ハードラダ連合軍は、デンマークを攻撃した。

しかし、権謀術策に長けていたマグナス王は、叔父ハードラダの陣営
にひそかに使者を送り、ハードラダは寝返った。
第14章北海の巨王、その(1)を参照ください)
スウェーデン王スウェインはハードラダの寝返りを深く恨み、いつかそ
の仕返しをしようと、機会をジッと狙っていた。

1047年、マグナス王が急死した。
スウェイン王はデンマークに戻り、デンマーク王位を回復した。
ノルウェー王にはハラルド・ハードラダが就任した。

それから16年間にわたって、スウェイン王とハードラダ苛烈王は、幾
度となく戦乱の巷に相まみえた。だが両軍とも決定的勝利を得るに至
らなかった。

越後の国主上杉謙信と信州の武田信玄の抗争を想起させるが、スケ
ールの大きさの点では一歩も二歩も譲る。


戦い疲れたデンマーク王スウェインとノルウェーのハードラダ苛烈王
は、1064年遂に休戦協定に調印した。

スカンジナビヤで二人のヴァイキング王が、血みどろの戦を続けてい
た頃は、イングランドとノルマンディを舞台に、ハロルド伯とウィリアム
公が国内統治に励みながらお互いに、虚々実々の駆け引きをしてい
た。

1064年は、ハロルド伯が、嵐に遭って難破し、ウィリアム公に命を助
けられた年である。
第11章呪いの嵐、その(1)を参照ください)
歴史の展開の面白さであろう。


第14章北海の巨王その(3)

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