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賢王マクベスとその時代背景(2)

マクベス関連歴史年表



 ダンカン王、マクベス王、マルコム3世王の時代は、スコットランド王国
の激変期であった。同時に隣国イングランドもまた変革の時代であった。

 マクベスの生涯と時代背景の理解を容易にするために、関連年表を
用意した。





    























マクベス関連歴史年表
(Peter Berresford Ellis 著 MACBETHより編集)     
1001 ダンカン誕生
母はマルコム2世の長女、父はダンケルド僧院長クリナン     
1005マクベス誕生
母はマルコム2世の次女、父はマーレーの大領主フィンレック
1005ダンカン、マルコムの母系祖父マルコム2世、国王ケネス3世を殺害
マルコム2世、国王(High King)に戴冠
(マルコム2世はアサルの大領主、ケネス3世はマーレーの大領主)  
1008 ソーフィン誕生 
母はマルコム2世の3女、父はオークニー諸島の大領主
従弟ソーフィンは後年マクベスの盟友となる
1009 デンマーク王マーレーへ侵攻
マクベスの父は岳父マルコム2世に支援要請
マルコム2世、デンマーク王を撃退     
1010 デンマーク王再来、マルコム2世再撃退。マルコム2世の勢力確立     
1012 マクベス7才でスクーンに進学。最高の師につき以後10年学業に専念。
(首都スクーンはアサル氏族の支配地)     
1020 マクベス15才の時、父殺害さる
マーレー氏族の大領主がアサル氏族に親密過ぎるとの理由
父を殺害した父方の従兄弟がマーレーの大領主に就任     
1033 マルコム2世、マクベスの従兄弟らを殺害
マクベス28才でマーレーの大領主に選任さる
元マーレー領主未亡人グノッホ(ケネス3世の孫)と結婚
1034 祖父マルコム2世、80才で死亡
ダンカン33才で国王に就任(王妃はデーン人)     
1034-40 ダンカン王、在位中5回の外征を行ない、いずれも失敗
国民の不信を買う     
1040 5回目はソーフィン伯のオークニー諸島侵攻
マクベスは将軍として従軍するも、ソーフィン伯と連合
ダンカン王をバーグヘッドの戦いに破り殺害
(シェークスピア劇のコーダー城での殺害は、全くの虚構である)     
1040 マクベス35才、スクーンで国王に戴冠
ダンカン前王の遺児マルコムら3名は国外に亡命
マルコム9才はイングランドのノーサンブリア伯シュアードの許へ     
1042 イングランド、デーン王朝(ヴァイキング支配)の終焉
エドワード王子、亡命先ノルマンディー公国より帰国     
1043 エドワード懺悔王、イングランド王位に戴冠
マルコム、エドワード王の宮廷で庇護を受け成長、王の寵愛を得る
ゲール、アングロサクソン、ラテン、デンマーク、ノルマンフレンチ習得     
1045 マクベス王、ダンカン前王の父クリナン僧院長(マルコムの祖父)殺害     
1040-57 マクベス王、スコットランドに善政を敷く     
1050 マクベス王ロ−マに巡礼、貧民に施しをする     
1054 マルコム、エドワード懺悔王の支援を受け、スコットランド侵攻
マクベス王にダンディーで勝利     
1057 マクベスの盟友オークニー伯ソーフィン逝去     
1057.8.15 マルコム、ランファナンの戦いでマクベス王に勝利。マクベス王戦死     
1057 マクベス王の継子ルーラック25才で国王(High King)に選任さる
(ルーラックはマクベス王妃の前夫の子)     
1058.3.17 ルーラック殺害さる     
1058.4.25マルコム3世27才、スクーンで戴冠
1059マルコム3世、ソーフィン伯未亡人と結婚
1066エドワード懺悔王病没、義弟ハロルド伯王位戴冠
ノルマンディー公ウィリアム、イングランド侵攻。ハロルド王戦死
ウィリアム公、イングランド王位戴冠
1069イングランド王族のマーガレット姫、嵐でスコットランドに漂着
マルコム3世再婚す(スコットランドの文明開化はじまる)



賢王マクベスとその時代背景


『ロンドン憶良見聞録』「シェークスピアは罪作り」
『われ国を建つ』(続ノルマン征服記 第2部 薊の国)
   第 10章 ダンカン、マクベス、マルコムの血戦(1)
   第 10章 ダンカン、マクベス、マルコムの血戦(2)


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