第3部 薊(あざみ)の国

第10章 ダンカン、マクベス、マルコムの血戦(1)




 この時の嵐は北海を航海中の多くの船をフォース湾岸沿いに難破
させた。海難救助の命令がスコットランド王マルコム3世から出され
ていた。
 自ら海岸に出て、きびきびと指示を出しているマルコム・カーンモア
(大頭領)は、脂の乗りきっている30代半ばの壮年である。



「イングランドの貴族の船が漂着した」
との知らせは、ただちにマルコム王のもとに早馬で届けられた。
「何っ、エドガー・ザ・エセリング王子とノーザンブリアのゴスパトリッ
ク卿の部下の乗った船だって?よいか、丁重にダンファームリン宮
殿にお連れするように。いささかでも粗相があってはならぬぞ」

 マルコム王もまたこの激動の最中、数奇な生涯を送った群雄の一
人である。

 マルコムの父ダンカン王を殺害し王位簒奪したマクベスは、文豪
シェクスピアの筆によって極悪非道の悪王として大悲劇に描かれて
いるが、史実はかなり異なる。
(おそらく読者の大半は驚くことであろうが、歴史小説としては史実
を語らねばなるまい)

 読者の理解を容易にするために、マルコム王の部下たちがエドガ
ー・ザ・エセリング王子一家の海難救助をしている間に、マルコム王
の幼少時代である1034・5年あたりから1040年の頃に戻って、ダ
ンカン王、マクベス王、マルコム3世の3人のスコットランド王の確執
の歴史を少し解説しておこう。

 これまで概説してきたイングランドやノルマンディーの両国が、下
剋上の激しい政情不安定な時期であったように、スコットランドもま
た激動期であった。




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