スコットランド


700年かけたスコッツ「自治」の願い


1997年9月13日の朝日新聞は、「スコットランドでの議会開設」が11日の
住民投票で74.3パーセントの高い支持を受け、ブレア英首相の地方分権政策は
大きく前進した、と報じています。
この歴史的な住民投票の選挙日は、今から700年前の1297年イングランド王
エドワード一世に侵略されたスコットランドの独立を標榜し立ち上がったウィリアム
ウォーレスが「スターリング・ブリッジの会戦」でイングランド軍に大勝した日です。


「ウィリアム・ウォーレスの1297年の決起とスターリング・ブリッジの会戦」
と、処刑されたウォーレスの遺志を継ぎ1306年に蜂起した「ロバート・ブルー
スの1314年のバンノックバーンの勝利」は、イングランドの支配に抵抗するス
コットランド人にとっては、民族独立のシンボルでもあります。
スコットランドはロバート・ブルースによって、いったんは王国としての主権を取
り戻しました。
その後、イングランドの未婚の女王エリザベス一世の逝去により、1603年に
エリザベス1世の叔母の曾孫にあたるスコットランド王ジェームズ6世がイングラ
ンド王位を継承し、イングランド王ジェームズ1世として戴冠し、イングランド・ス
コットランド両国の王位統一(Union of the Crowns)、いわゆる「同君連合」となり
ました。
(関連掲載ガイ・フォークスの火薬陰謀事件とその背景
1707年議会(ただし当時は貴族の議員)が統一され、連合王国(UNITED
KINGDOM)となりました。

「君知るやスクーン石の嘆き」
「Brave Heart を観ましたか?」
「エドワード一世」
「700年かけたスコッツ「自治」の願い」へのコメント(1)
をご参照ください)

スコットランドの議会選挙は1999年に行われるそうです。新議会で選出された
大臣により行政府を組織し、医療、教育などに責任を持ち、外交や防衛、マクロ経
済や国家予算は中央政府が従来通り所管するとのことです。

(注意)「さらにこの議会は3パーセントのtartan tax(一種の所得税)課税権を与え
    られ財源を持つとのことです」と紹介しました。
    これは某紙記事によりましたが、不正確で誤解をまねくと判明しましたので、
    取り消します。
    詳細は「700年かけたスコッツ「自治」の願い」へのコメント(2)
    をご参照ください)

中央集権を推進したサッチャー・メージャー政権が国民の信望を失い、ブレア首相
の労働党政権はスコットランドに「自治」を認めました。
スコットランドの「独立」は連合王国の解体を意味しますから、労働党とてそこま
で推進することはないでしょう。地方分権により、権限と責任を委譲し、スコット
ランドの地位を高め、連合王国の分解は回避するとみられています。

ちなみに「devolution」を、Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current
English で見ますと、
「deputing,delegation(of power,authority);decentralization」とあります。
deputeは権限委譲であり、delegateは代行者を任命し、権限や責務を委任すること
です。権限委譲には「right」(権限)のみならず「duties」(責務)の「entrust」
(委託、委任)も含まれていることを見逃してはいけないと思います。
(日本では昨今権利意識が強く、dutiesの意識が希薄ですので、あえて付記しました)

スコットランドもウェールズもかっては独立の王国でした。日本で「イギリス」と
略称するこの国は、連合王国としての歴史を理解すると、こうした国内での民族問
題や地方分権の問題が分かりやすくなります。

日本の一般的な「地方分権」論議とスコットランドの「地方分権」を同列には論じ
られませんが、日本の場合では琉球王国であった沖縄の「一国二制度」論の歴史的
背景に、共通する心情を感じます。
単に経済特区にすればよいという認識では不十分な気がします。
皆さんはスコットランドの「地方分権」の報道をどうご覧になりましたか。

スコットランドの目次へ戻る
ホームページへ戻る