鬼か名君か?

決めるのは貴殿−EDWARD 1



エドワード1世

映画では、単なる好色で冷徹な男としてしか描かれていなかった、エドワード1世
は、イングランドの歴史からすれば名君と扱われる場合が多い。(もっとも最初の
王妃エリナーとの間には少なくとも16人の子どもが生まれている。しかしながら、
王は王妃の死(旅先で死去)を深く悲しみ、ウェストミンスター・アベイまでに泊
まった12ヶ所にエリナー・クロスと呼ばれる十字塔を、建てさせた。チャリング・
クロス駅正面にあるエリナー・クロスは1863年の再建されたものであるが、ウォ
ルサム(Waltham )など3ヶ所に当時の物が残っている。)

具体的な功績として、ウェールズの平定、法制度の整備、模範議会(Model Perliament)
の開設などが挙げられる。

法制度について言えば、当時は貴族の権利が非常に強く、これを弱めるために王は
ローマから人を呼ぶなどした。数多く出された法律のなかで、最も効果をあげたの
は貴族の財産の再調査に関するもので、その結果、貴族の軍事力は低下した。

模範議会は、今日の議会の原型ともいえるもので、法の施行、停止、廃棄は必ず議
会を通さなければならなくなった。

ウェールズおよびスコットランドは当時独立しており、ウェールズの首長ルーリア
ンは、エドワード1世からの臣従の要請を無視した。このことから、エドワード1
世は、兵をだし、ルーリアンを死亡させ、ウェールズを平定した。当時、ウェール
ズの首長は、プリンス・オブ・ウェールズと呼ばれていたが、ルーリアンに息子が
いなかったため、ウェールズの人たちの反感を抑える目的で、長子エドワードを、
(後のエドワード2世)プリンス・オブ・ウェールズと、呼ばせた。

ウェールズの平定後、スコットランドにも兵を出し、スクーン(Stone of Scone)
の石を持ち去り、ウォレスやブルースとも敵対した彼だが、晩年までイングランド
の為に、奔走したことは、評価できるであろう。

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