今日は 箱根宿から三島宿まで 一緒に歩いた友(男)と 再び一緒に歩きました | ![]() | ![]() |
原宿一里塚跡碑の横には パウチされた手作りの説明書が掲示されてた 国土地理院の水準点があったのでパチリ | ![]() | ![]() |
植田踏切を渡り少し歩くと 富士市に突入 昼食を予定していた食堂は閉まっていて それならばと寄ったラーメン屋は 超混んでいたので 昼食はコンビニで | ![]() | ![]() |
このあたりから間宿柏原である 間宿とは宿場と宿場の間の休憩施設で 宿泊は禁止されたという 沼田新田の一里塚跡には 「旧東海道一里塚」 と刻まれた石碑があるのみで 説明看板等はなかった | ![]() | ![]() |
明治42年に建立されたという道標には 「須津村役場へ一里/吉永村役場へ三十一町」 と指さしの絵と共に刻まれている 普通に歩いていると 絶対気が付かない自信がある 旧東海道順路という看板が親切 | ![]() | ![]() |
出店が沢山出ていて 人をかき分けて歩くのが大変だった | ![]() | ![]() |
鈴川踏切を渡り 吉原駅北口に出る しばらく歩くと 左手に依田橋村一里塚跡 | ![]() | ![]() |
旧東海道で2か所のうちのひとつの 左富士を見ることができる場所に来たが 残念、富士山現れず そういえばもう1か所の 南湖の左富士の時も 富士山は雲隠れしていたなー(涙) | ![]() | ![]() |
平家越え橋のたもとに 平家越えの碑が建てられている 平家越え 自分は知らなかったが連れによると 有名らしい(ホント?) | ![]() | ![]() |
どこか懐かしい趣の 岳南電車の吉原本町駅を越えると 吉原商店街に入る 本陣跡や問屋場跡は現在はお店になっていて 歩道にプレートがあるのを見落としてしまい 確認のために戻ってしまった | ![]() | ![]() |
まちの駅「吉原小町」に立ち寄り トイレ休憩と宿場印購入 地元紙に火打石を打っているところを 写真撮らせてくださいと言われた 鯛屋旅館吉原本宿が店構えからして かなりいい感じ(天和弐年創業) ここに泊まってみたかったー | ![]() | ![]() |
シャッターに描かれた絵は 当時の吉原宿の様子であろうか 木柱の案内に従って ここを左折する あちこちにあったつけナポののぼり 非常に気になった | ![]() | ![]() |
国道139号の錦町交差点に 旧東海道跡の石碑が 説明板と共に建っている 富士市庁に立ち寄り マンホールカードをもらう | ![]() | ![]() |
旧東海道順路の案内板は助かります 総合庁舎の前に 間宿の本市場の説明板があり 名物は白酒・葱雑炊・肥後ずいきなどとある | ![]() | ![]() |
民家の玄関脇に 鶴芝の碑が建っている 間宿の鶴の茶屋に建てられたという 車道に出ると 順路を示す案内板が | ![]() | ![]() |
その先の中央分離帯をよーくみると 旧東海道跡地の碑が建っている 花壇の脇に旧東海道の一里塚の石碑が ひっそりと建っている | ![]() | ![]() |
今回は富士本町交差点まで 左折して富士駅に向かう 商店街を進んでいる途中で 趣のある建物に遭遇 国登録有形文化財の 旧加藤酒店店舗兼主屋で 昭和6年に竣工したとある | ![]() | ![]() |
連れはもっと進みたかったようだけど 足裏痛が限界近かったので終了ー | ![]() | ![]() |
今回の感想 |
・今回の足痛対策 急遽6Eのスニーカーをポチって履いてみたが 小指が圧迫されて痛かった 6Eの超幅広でもダメか・・・ ・左富士は見たかったなー ・連れは体力がある人なので もっと先に行きたかったようだったけど 足裏が痛かったので富士駅までとした また、付き合ってくれるかな〜? 10:58 原駅 13:35 吉原駅北口交差点 14:00 左富士 14:40 吉原小宿 15:50 富士市総合庁舎 16:10 富士本町交差点 16:20 富士駅 15.28km |