東海道五十三次を歩いてみた(神奈川宿〜保土ヶ谷宿〜戸塚宿〜藤沢宿)2023年10月4日


京急線神奈川駅からスタート
青木橋を渡り旧街道を進むと
料亭滝川さんの塀に安藤広重の神奈川宿の看板
京急線神奈川駅
京急線神奈川駅
安藤広重作神奈川宿
安藤広重作神奈川宿
数軒先には広重の絵にある「さくらや」が前身の田中屋さん
ちなみに広重の絵の上から3軒目がさくらや
田中屋さん
田中屋さん
神奈川台関門跡
神奈川台関門跡
環状1号線に合流し浅間下交差点まで歩く 横浜旧東海道のプレート
横浜旧東海道のプレート
国道1号線に合流
環状1号線に合流
浅間下交差点の歩道橋を渡り公園のわき道を進む
旧街道を示す説明看板や歩道に埋め込まれたプレートが複数あり
大都市横浜なので遺跡遺構は少ないものの
旧東海道について力を入れているのは感じる
旧東海道のプレート
旧東海道のプレート
横浜市のマンホール
横浜市のマンホール
松原商店街はハマのアメ横とも呼ばれていて
平日でもにぎわっていた

江戸方見附跡は駐車場になっていた
ハマのアメ横「松原商店街」
ハマのアメ横「松原商店街」
江戸方見附跡
江戸方見附跡
相鉄線天王町駅を抜けると
旧帷子橋跡を再現した公園がある
当時の様子を再現しているさまは
どこか風情があって好きだな
相鉄線天王町駅
相鉄線天王町駅
旧帷子橋跡
旧帷子橋跡
環状1号線に合流ししばらく歩くと
石が並べられているのを発見
旧東海道に関する絵がはめ込まれていることから
関連していることは確かと思われるが
これが何を意味しているのかまでは分からなかった
並べられた石
並べられた石
そのうちの一つに描かれた絵
そのうちの一つに描かれた絵
保土ヶ谷駅手前の交差点を
右側の商店街方面へ
旧中橋跡
旧中橋跡
保土ヶ谷駅手前を右側商店街へ
保土ヶ谷駅手前を右側商店街へ
問屋場跡には説明看板のみ
昼食は桑名屋さんと決めていたので店に向かう
開店時間は11時からであるのであと30分程度あるので
保土ヶ谷駅周辺を少しぶらぶらする
問屋場跡説明看板
問屋場跡説明看板
保土ヶ谷駅
保土ヶ谷駅
11時近くに桑名屋さんに向かう
店内は風情のある造りとなっている
桑名屋さん
桑名屋さん
店内の様子
店内の様子
セットメニューが豊富で迷ってしまう
天ぷら・とろろ・いくらの3色割子そばを注文
食べたいメニューがまだあったので
別の機会に伺わせていただこうと思う
ここで戸塚宿の宿場印をゲット
店内の様子
店内の様子
3色割子そば
3色割子そば
高札場跡には説明の杭のみ
金沢横丁道標四基の説明によると
ここは金沢・浦賀往還への出入にあたり
通称金沢横丁と呼ばれていて
道標とした四基が建立され現在残っているという
高札場跡
高札場跡
金沢横丁道標四基
金沢横丁道標四基
JR踏切を横断し国道1号線を渡ると本陣跡がある
建屋はあるけどおそらく当時のものではないと思われる
内部は非公開のため詳細は分からず
JR踏切
JR踏切
本陣跡
本陣跡
保土ヶ谷消防署の出張所の敷地内に
脇本陣(水屋)跡の説明杭が建てられていた
この日、フレンドシップデーが行われていて
一般市民もいて賑わっていた

旅籠屋(本金子屋)跡には
明治の頃の建屋があったが
内部は非公開であった
脇本陣(水屋)跡
脇本陣(水屋)跡
旅籠屋(本金子屋)跡
旅籠屋(本金子屋)跡
保土ヶ谷の一里塚跡と上方見附跡付近には
小振りながら松並木が整備されていて
当時をしのばせる風情となっている
保土ヶ谷の一里塚跡と上方見附跡
保土ヶ谷の一里塚跡と上方見附跡
駅伝マンホール蓋
駅伝マンホール蓋
国道1号線を渡り旧街道を進むと
再び国道1号線に合流する手前で権太坂に入る
箱根駅伝で名を馳せている権太坂は
ここではなくこの先の国道である
歩道の案内プレート
歩道の案内プレート
権太坂入口
権太坂入口
ジョギングスタイルの二人組が
権太坂で写真を撮っていたので声をかけてみると
この日は川崎から走ってきたそうで
とりあえず三島を目指しているそうだ

保土ヶ谷バイパスを越え
だらだらと続く坂道を登っていく
権太坂
権太坂
権太坂から保土ヶ谷バイパスを望む
権太坂から見た保土ヶ谷バイパス
権太坂の説明板によると
江戸から上方へ上る旅人が初めて出会う難所とある
権太坂の名前の由来は
1.老人の返事説
2.本当は権左坂
さて、あなたはどちらを信じますか?
う〜ん、興味深い話ではあるけれど
知らんがな(面目ない)
権太坂の標石
権太坂の標石
境木中学校向かいの消防団のシャッター
消防団のシャッター
立場とは宿場と宿場の間の休息場であり
権太坂と焼餅坂に挟まれて高台にある境木立場は
西に富士、東に江戸湾を望む景観の名所であったという
また、茶屋で出す牡丹餅が名物であって
大変賑わったとある
この前方右側に
武蔵と相模の国境である境の杭があるのだが
見落としてしまった
境木立場跡
境木立場跡
焼餅坂
焼餅坂
境木立場跡を左折し焼餅坂を下ると
品濃一里塚が両脇に現存していることに感動
品濃一里塚左側
品濃一里塚左側
品濃一里塚右側
品濃一里塚右側
住宅街を進み品濃坂を下り
品濃坂歩道橋で環状2号を渡る
品濃坂
品濃坂
品濃坂歩道橋
品濃坂歩道橋
旧街道は住宅街や入り組んだ道路であるが
案内板があるので迷うことなく進むことができる
旧東海道を歩く人に寄り添っている施策に好感
電柱の案内図
電柱の案内図
赤関橋
赤関橋
旧街道は
国道1号線と脇道を縫うように歩いていく
江戸見附跡
江戸見附跡
吉田一里塚跡
吉田一里塚跡
吉田大橋を渡るといよいよ戸塚の街中に入っていく 吉田大橋
吉田大橋
歌川広重の大橋付近
歌川重の大橋付近
戸塚駅前の商業施設「モディ」へ 東海道五十三次バージョン自販機
東海道五十三次バージョン自販機
戸塚駅前
戸塚駅前
モディ内の純喫茶モネさんで休憩
今どきのパフェはアイスが多めであるが
ここのは生クリームが多めでイイ感じである
あぁ、足裏が痛い
ここで戸塚宿の宿場印をゲット
純喫茶モネさん
純喫茶モネさん
チョコレートパフェ
チョコレートパフェ
休憩して足裏の痛みは少しは回復したのか?
大渋滞していた大踏切は歩道橋ができて
平成27年3月25日16時頃に締め切られた

その場所には当時の写真や説明看板があった
大踏切跡の歩道橋を渡り西口へ
大踏切跡
大踏切跡
歩道橋から見た西口方面
歩道橋から見た西口方面
西口の国道1号線は車の往来が多い
てくてく国道を歩いていく
人は多いし車は多いし足裏は痛いしでストレスが溜まる
コンビニ前のバス停横に
上方見附跡の説明柱があるが
その横の松がいい味を出している
澤邊本陣跡
澤邊本陣跡
上方見附跡
上方見附跡
何気にきつい大坂を登りきると
片側2車線の国道1号線に合流
いつものように渋滞している
渋滞中
渋滞中
原宿一里塚跡
原宿一里塚跡
交通量が多い通りをひたすら歩いていく
代り映えのしない風景
足裏の痛み
疲れ
騒音
尿意
あまりいい思い出はない
大磯宿まで5里の看板
大磯宿まで5里の看板
影取立場跡
影取立場跡
国道1号線からはずれ遊行寺坂を下る
遊行寺の一里塚跡があるが
今は説明看看板のみ
遊行寺の一里塚跡左側
遊行寺の一里塚跡左側
遊行寺の一里塚跡右側
遊行寺の一里塚跡右側
藤沢橋手前のガソリンスタンドを右折
50mほど先に
今日のゴールのふじさわ宿交流館
すぐにトイレに駆け込んだのは言うまでもない
50m程先にふじさわ宿交流館
50m程先にふじさわ宿交流館
ふじさわ宿交流館
ふじさわ宿交流館
館内はなかなか充実している
ジオラマは当時の様子がわかるので
個人的には好きである
ここで藤沢宿の宿場印をゲット
ふじさわ宿交流館内
ふじさわ宿交流館内
藤沢宿ジオラマ
藤沢宿ジオラマ
ここから藤沢駅に向かい帰宅
道中には浮世絵や案内板などで
宿場町をアピールしている
歩いて見よう藤沢宿
歩いて見よう藤沢宿
藤沢駅
藤沢駅


今回の感想
・足指の付け根のあたりが痛い。
・トイレがあったら取り敢えず行っておけ
・あー、まじ疲れたは

-9:18 神奈川駅
10:34 保土ヶ谷駅前
11:00〜11:15 桑名屋
13:33〜13:50 純喫茶モネ
15:15 原宿交差点
16:10 ふじさわ宿交流館
16:33 藤沢駅

21.09km


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