2015.06.24

今日は9時半から三石氏との勉強会。下記「安全学」の3つの論文についての議論の概要。

・三石氏の「安全学」との出会いは、当時(1970年代)の大学が実験で使った廃液を垂れ流していたことへの気づきからのようである。大学では、世の中とは無関係に真理を探究していればよいのか?その結果として重金属などの廃液を垂れ流してもよいのか?大学の周囲では水俣病やら公害やら多くの人々の苦しみがあるのに、それを助長するような結果になってもよいのか?という事である。京大新聞に彼が書いて、京大にそういった組織が出来て自らの廃液処理を行うようになり、地域の人たちがいろいろな要望を出してきて、それに学生達が手弁当で答えていく内に、世の中では「安全」という概念が極めて重要とされていることに気づかされた。やがて安全センターを作り、その中の活動として労働災害に対応する医療組織に取り組むことになる。

・ただ、そういった実践的な「安全」活動と吉田民人の「安全学」とは、多少異なる。後者は非常に広い概念であって、20世紀の科学が「開発」、つまり自然の利用による経済発展を目指していた、少なくとも社会はそれを期待して大学にお金を出していた、のに対して、21世紀は「安全」という価値観を要請している、という。この場合の安全とは、要するに「持続可能な社会」である。科学の発展に支えられた「開発」により、19世紀には労働災害や労働者の貧困が生じて社会主義を齎したのだが、20世紀には公害に始まり、資源の枯渇や地球環境の激変、という問題を齎している。そういう文脈で考えると広い意味での「安全」というのが社会的に要請される価値観として浮上してくるのである。「開発」においても従来の「認識」と「物理・化学」を基本とする科学だけでは間に合わず、社会との関わりが重要ではあったのだが、「安全」ということになると、社会との関わりというに留まらず、社会の価値観そのものを問題とせざるを得なくなる。つまり、「認識科学」だけでなく「価値観」と「実践」の科学であり、それが人間活動を俎上に乗せる科学であるから、従来でいうところの「人文・社会科学」との統合が必須となる。

・このような意味での「安全学」は世の中では既に大きな問題として意識され実践されていたにも関わらず、閉じられた大学の空間においては殆ど意識されてこなかった。おそまきながら、大学が自らの価値観を鍛えなおして積極的に貢献すべき課題である。吉田民人の「大文字の第二次科学革命」 はその枠組みを与えるものであった。この3つの論文ではその枠組みが「安全学」の体系的構築(あるべき姿)に使われている。内容は一見取るに足らないので詳述を控えるが、その中で印象深いものは、安全をリスク認知安全対策に分けて考え、リスク認知こそしばしば忘れがちであるが最も重要なプログラムである、という指摘であった。原発の安全性神話はリスク認知をさせないという政治的意図があったゆえに安全対策が充分なされなかった例であった。(対策を取れば世間が安全性を疑うから、という本末転倒。)

・しかし、吉田の議論はどんなに鋭い指摘であるとしても、あくまでも「枠組み」であって、枠組みの最も重要な要素である「主体」、情報(ここではパターンという意味)は主体によって記号と意味に分化変貌し、その主体も生物的な意味での主体(シグナル記号を利用する)から人間的な意味での主体(シンボル記号を利用する)に「進化」する、その「主体」が現実的にはどうやって確立されるのかは吉田の理論では一切論じられていない。もっとも結果としては、我々の社会が「開発」を価値観とする主体から「安全」を価値観とする主体へと、「進化」していくことを吉田民人は暗に主張している。ここから先は我々に投げられた課題である。吉田民人の壮大な「枠組み」は我々の活動を対自化するときの座標軸として使えばよいのである。

文献:
・「安全学の基本構想」−「大文字の第2字科学革命」という視点−1999年03月:村上陽一郎『安全科学「医療の安全学」』国際高等研究会報告書1998−008
・「近代科学の再編と安全学」基調報告?V1999年07月:『21世紀の関西を考える会』人類存続の条件チーム、最終討論会報告/21世紀の関西を考える会編(小田稔・村上陽一郎・薬師寺泰蔵・吉田民人)pp40-60
・「安全学事始--<自由領域科学>としての安全科学」 (特集 安全)
2000年02月:『学術の動向』JSCニュース/学術の動向編集委員会編集 5(2), (47) pp28-34、ISSN= 13423363

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