2023.09.07
マイナンバーカード関連のポイントが溜まっていてなかなか消化しきれないので、「中島みゆき研究所」というサイトで面白そうな本を見つけて、2冊注文しておいた。昨日、『中島みゆき迷宮の歌姫ーLP「生きていてもいいですか」試論』佐山達治(風媒社)が来たので読んだ。なかなか面白い。1997年。この頃、数多くの中島みゆき論が出版されていて、今では殆どが絶版である。A面とB面それぞれでひとまとまりになっている、というのは、なるほどと思った。『蕎麦屋』が唯一全面的な救いの歌である、というのも同感である。

    中島みゆきは、一貫して、単に暗いとか絶望的とかいうのとは違っていて、絶望的な状況(より正確に言えば自分の居場所が無いという感覚)にひとりで立ち向かうことを歌っている。絶望的な状況をある場合には憑依して、ある場合には距離を置いて語るのは、あくまでも状況の演出なのである。ただ、この頃までは、その表現がどう受け取られるかについてはあまり頓着していなかっただけである。この LP がかなり誤解された(私小説的に受け取られたり、露悪的に受け取られたり、、)のを見て、その後、曲全体としての判りやすさについて工夫するようになっていった。つまり、歌を受け取る人を中島みゆきの「世界」に引きずり込んで、その世界の中で歌を聴いてもらう、ということで、その世界を判りやすく表現する為に、大胆な編曲の実験を続けて、結局瀬尾一三に全ての編曲を任せるようになる。もっと大きな意味では、テレビドラマや映画を利用したり、自らの脚本(「夜会」)を使うようにもなったのだが、判りやすくなった反面、初期の歌の生々しさや捻り具合が時々懐かしくなるのも確かである。まあ、そういう意味で、この LP は初期の中島みゆきアルバムの中での到達点ということである。


2023.09.08
    2冊目の『中島みゆきー模索の時代』佐山達治(青弓社)が届いた。いわゆる「ご乱心の時代」の解析である。なかなかに正統的な意見である。そこに入る直前のアルバム『寒水魚』の最後に最高傑作『歌姫』を残して、中島みゆきというブランドはもう確立したのだから、、、という忠告を無視。多くの編曲者を試し使いして訳の分からない注文を付けてさんざん嫌われた挙句、『生きていてもいいですか』に匹敵する中期の中島みゆきアルバムの到達点として『Miss M』(1985年)というアルバムが生まれた。確かにその通りだと思う。

    佐山達治氏は僕より17歳年下であるが、1983年に中島みゆきに嵌った(人生観が変わった)というから、僕よりは33年も早い。そういう意味で先輩である。他には著書もなく、現在何をしておられるのかは不明である。  

    僕の場合、2011年に東日本大震災と原発事故があり、日本ではいつの間にか原子力発電が主力となっていて、「安全神話」が作られていたことに愕然とした。企業に居る間はそれほどまでに、歴史・政治・社会問題に疎かったのである。そこで、一念発起して、日本の戦後史についていろいろと本を読み始めたのではある。その頃、時々NHKテレビで中島みゆきの特集が組まれるようになった。おそらく「夜会」の宣伝戦略の一環として NHKと組んだのだろう。面白いことをやる人だなあと思い、いつか観てみたいと思うようになった。そういえば、2014年には NHK朝ドラ『マッサン』の主題歌『麦の歌』も良い曲だとは思ったが、それ以上ではなかった。

    2015年末には『中島みゆき リスペクトライブ』ということで、いろいろな歌手が中島みゆきの曲を歌うコンサートがあって、これもテレビで放映された。どの曲も極めて個性的で印象が強かったのだが、大竹しのぶの歌う『歌姫』、中島美嘉の歌う『命の別名』が特に好きになった。翌2016年に、2014年の夜会『橋の下のアルカディア』の映画化版を観て、やっと中島みゆきに本格的な興味を覚えるようになった。そこには遠い学生時代のアングラ演劇や暗黒舞踏の面影があり、その中で、中島みゆき、中村中、石田匠の圧倒的な歌唱があり、最後には「敵前逃亡した特攻隊員の亡霊がゼロ戦で救援にやってくる」という驚愕の結末があった。

    一体中島みゆきという人物は何者なんだろう、という興味が湧いて、その音楽よりも先ずは図書館に通って著作物を読み始めたのである。YouTube に公開されている「オールナイトニッポン」での饒舌にも驚いたのだが、これは彼女なりの照れ隠しであって、本気で話すとき(記録で言えば筑紫哲也とか鶴瓶とかとの対談等)以外、つまり不特定多数(や理解してくれそうにない人)に話すときの殆どがこの調子なのだろうと思う。つまり、彼女は自分が相手にどう受け止められるか(極端にいうと「生きていてもいいですか」)について過剰なまでに敏感になっているので、いつも演技をしている。歌うときだけはその心配から解放される。だから彼女の歌唱は聴く人の心を刺すのである。僕が自己投影するのはそういう心性(絶えず自己の存在理由を問いかけながら他方では何が何でも生きるという姿勢)に対してである。大地に両足をしっかりつけて正面を向いて歌う姿が凛々しくて、勇気を与えてくれる。

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