2022.12.04
大分前に本屋で偶然目にした『心はこうして創られる:「即興する脳」の心理学』 ニック・チェイター(講談社選書メチエ)をやっと読み終えた。原題は Mind is Flat という事で、知覚、感情、思考などの心理現象を説明するために使われてきた心の深層に隠れているとされるさまざまな概念に相当する実体は存在しない、という事を言っている。

・・・多くの巧妙に設計された心理学の実験(治験者の報告をベースにしたもの)によって、かなり丁寧に説明しているので、いろいろと面白いのであるが、また本を見ればよいので省略する。

・・・それでは、我々が実際にあると思っている知覚や感情や思考は何か?というと、感覚信号を説明する(整合させる)ために過去に成功した解釈の記憶を材料として解釈した結果である。理論家が現象を少数のデータを元にしてモデル化するのと同じである。動物として(体内も含めて)環境を知ることが必須であり、しかも環境を隅々まで知る必要もないし知ることも出来ないのだから、推論(思考)をせざるを得ないのである。その中枢は大脳皮質ではなく、脳幹の周辺である。全ての感覚信号はここを経由して大脳皮質に向かい、大脳皮質では大規模な並列処理によって、環境の最適モデルが作られて、脳幹周辺に送られて判断される。

・・・推論過程ではフィードバックも含めて大脳のほぼ全域を使うので、一時に一つのことしかできない(若干の例外もある)。脳はこの推論を次々と「注意」の方向を変えながら断続的に行っている。(不連続な眼球運動はそれを反映している。)空間の連続性や時間の連続性は環境適応の為に作られているだけなので自明な事実ではない。我々が意識できる(内容を表現できる)のはこの推論結果(解釈)だけであり、それだけがまた記憶される。我々に肝臓の働きの詳細が意識できないのと同じである。脳もまた臓器の一つに過ぎない。

・・・初期の AI はこの推論を概念と論理で実装しようとして失敗した。現在の AI はそんなものは捨てて「経験」に相当する大量のデータを神経回路に与えて学習させているのだが、そこには概念も論理も存在しない。分野を限定すれば、人間の脳よりも効率的に答えを出す。ただ、人間の脳が経験するデータの種類や範囲はそれをはるかに上回るので、AI には思いつかない推論をすることがある。これが創造である。経験を積み重ねることで脳の行う推論は変化していくのであるから、それを単純に定型化することは(人を型にはめて考えることは、つまり AI 化することは)危険である。(精神疾患の患者が治療を必要とするような場合にも、患者を総体として受け止めることが大切なのだろう。)

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