2023.04.11   ネタバレ注意!

    ちょうど古代メキシコ展をやっていたので、タクシーで中之島の「国立国際美術館」に行ったが、隣の「中之島美術館」で降ろされた。800円。あらかじめ地図を見ておいてよかった。古代メキシコ展については先日 NHK の紹介番組を見ていたので、僕は比較的効率的に見ることが出来たが、妻は脈絡が判らなかったかもしれない。紀元前、紀元後数世紀、15世紀頃、と3紀における遺跡が発掘されて、世界4大文明に匹敵するアメリカ大陸に渡ったモンゴリアンの古代文明があったことが判る。主食はトウモロコシ。なお、最後のがスペインに滅ぼされたアステカ文明である。独自の文字が印象的である。腰でボールを蹴るゲーム、我々の目から見るととても残酷と思われる生贄、お互いの貴族を捕虜にし合って生贄にする小部族間の戦争。造形物は目と鼻が大きく、これまた異様に見える。まあ、ちょっと想像を絶する。それぞれ民族はそれぞれの生き残りの為にそれぞれの価値観を育んでいて、どれかが一番良いとは言えない。そういう意味で「自由と民主主義」というのも押し付けるべきものではない。

    宿は「ダイワロイネット肥後橋」で、国立国際美術館から筑前橋を渡って、斜めに歩いて地下鉄肥後橋駅に出た所にある。途中筑前橋からフェスティバルホールの入ったビルが見えるが、ビルの上に背の高いビルが増築されているのが、どうにも危なっかしく見える。ホテルは続々と中島みゆきファンと思しき人達がやってくる。受付の横には「中島みゆき・歌会 Vol.1 フェスティバルまでは歩いて 3分。ファイト!」という立て看板が出ている。しばらく部屋で寝てから、5時近くになって出かけた。ホールの下の階は商業施設になっていて、レストランも沢山ある。どちらを向いてもコンサートの入場待ちの人達ばかりである。僕達は地下の喫茶でややこってりしたサンドウィッチを食べた。満席で全てコンサート客である。これだけ集まると中島みゆきファンの外見上の特徴が際立つ。およそお洒落という感覚が無い。極めて実用的で地味な服装である。年齢層は高い。

    5時15分に開場であったが、沢山並んでいて、彼らは先着数十名のサイン入り色紙が目当てであるので、僕達はのんびりと入った。大きな階段があるが、その脇の長いエスカレータで登るとコンサートグッズ売り場があった。中島みゆきコンサートのグッズは非常にセンスが悪いので、買わない。記念にパンフレットだけを買った。今までのパンフレットには曲目リストと歌詞が入っていたのだが、今回のは入っていなかった。また大阪会場用でもあった。4,200円というのはいかにも高いが、まあ寄付のようなものである。そもそも、チケットが目を剥くほど高い。需給関係からみれば仕方ないかもしれないが。。。そこから進むと横一列にアルバイトの係員が並んでいて、チケットだけでなく、本人確認の為の写真付き身分証明書(大抵は運転免許証)を提出して顔確認が行われる。チケットの不法転売防止用である。そのゲートを無事通過するとやっと通常のチケット切りがあって、ちょこっとした広告類を渡される。フェスティバルホールは初めてであるが、何しろ大きい。縦横2倍位はあって、3階まである。全ての席から舞台が全て見渡せるのはまあ当然ではあるが、音が良く伝わるということである。実際そうだった。広いので禁煙にも拘らず靄がかかっている。今までの4回のコンサートではかなり前の方の良い席だったのだが、今回は2階左奥なのでおもちゃのような双眼鏡を持っていった。顔が見えたのだが、表情までは捉えきれない。やはり大きめの対物レンズの本格的な双眼鏡を用意した方が良いだろう。

    4年前にコロナでコンサートツァーが中断して以来であるが、基本的には中島みゆき流のやりかたである。語りの方はリラックスしてややおどけた感じなので、いざ歌に入るとその迫力に圧倒されてしまう。今回は選曲の説明が丁寧だった。「はじめまして」から入って、「歌うことが許されなければ」。これは難民の為の歌。そこから、普段は報道されない病院の中を日常的に目にするようになった、ということで、病院の歌を3曲。「倶に」(ドラマPICUの主題曲)「病院童」「銀の龍の背に乗って」(ドラマDr.コトー診療所の主題歌)。

    何の本だったか忘れたが、谷川俊太郎が、「中島みゆきがどんなお婆さんになるのかが楽しみである」と言っていたのを思い出した。お婆さんになれば声が出なくなって、惨めな感じがするものであり、ユーミンにも加藤登紀子にもそれが感じられる。ビリー・ホリデイにすら感じざるをえない。今回中島みゆきは堂々と眼鏡を掛けて歌っていることもあるが、そのお婆さんとしての中島みゆきが歌にもちょっと現れてきたかなあと思われた。ただ、それは惨めなものではなく、逆に新たな表現能力の獲得という感じがした。そしてよく考えてみれば、中島みゆきの若い声というのは昔からそれほど彼女の歌の中では比重が高くはなかったのだと思う。コントラアルトと呼ばれているように、女声と男声の中間の声質を利用して、自身の紡ぎだした言葉の持つ情動性を最大限に引き出している、という意味で、彼女の歌い方は年と共に進化を続けているということなのだろう。いずれの歌も CD での歌が物足りないと感じられるまでに今回の歌は迫力があった。喉が壊れてしまうのではないか、と思われるほどの叫びの後で、いつものお茶目なお話が来るのである。。。

    そこからちょっとリラックスして、「店の名はライフ」「LADY JANE」 という、昔中島みゆきが通った喫茶店の思い出の歌。ライフは学生時代の北大の傍、LADY JANE は10年以上前の下北沢の住宅街である。この曲には4年前に他界した小林信吾との思いでが詰まっているということで、彼のピアノソロが再演された。前半の最後は松本清張原作「ゼロの焦点」ドラマの主題歌として作られた「愛だけを残せ」。これも迫力があった。休憩に入る前に、恒例の来場者からのお手紙が読み上げられた。今回はオールナイトニッポンの時代から葉書を選別している寺崎要さんが出てきて面白いやり取りもあった。更に、今回は来場者の顔が見たいという中島みゆきの希望が叶えられて、客席が明るくなった。

    前半は白っぽくて花柄模様のような明るいドレスだったのだが、後半は舞台に衣装が沢山吊るされて、夜会の歌を5曲連続で、それぞれの衣装で着替えながら歌った。「ミラージュホテル」「百九番目の除夜の鐘」「深い河」「命のリレー」「リトル・トーキョー」。歌に込められた情念の多様性に驚く。そうそう、この多様性こそ中島みゆきの特長である。まるで憑き物に囚われたかのように歌う。そして、それらの演技者としての自分を見つめるもう一つの自分が何時も居るのである。僕は中島みゆきを歌手というよりは詩人として評価しているのだが、今回はご高齢になってきて改めて歌手としての凄さを見せられたと思う。

    次はドラマ主題歌を作るいろんなケースを話してから、倉本聰に「やすらぎの郷」の主題歌を頼まれた時の話で、この場合は全編のきちんとした台本を山のように積まれたのだそうで、これはもう真面目に引き受けざると得ないと観念したということである。ということで「慕情」、続いて「体温」。「体温だけが頼りなの。」という歌詞である。追い詰められた人間のやけくその明るさである。CDでは吉田拓郎が乘って伴奏とコーラスをやっていた。その後で「ひまわり・SUNWARD」だから、これはまあ戦争が日常になってしまったこの時代を歌ったということである。さらに最後の曲が先日のアニメ主題歌「心音」である。

    アンコールとして、「野うさぎのように」。これは多分お気に入りの曲なのだろうと思う。そして、先日話題になった「地上の星」で締めくくり。。。何とも贅沢な時間だった。

    (追加)東京公演と大阪公演の両方に参加して比較している人が居る。どうやら僕の参加した公演は特別に調子が良かったようである。

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