2023.01.19

    NHKBS『欲望の資本主義ー日本の KAISHA-30年間の停滞』1/11 放送。

    ソースタイン・ヴェブレンの『営利企業の理論』と丸山眞男の『日本の思想』が頻繁に引用されている。いろんな話が出てきて頭が混乱しそうなので、メモを作ってみた。まずは、ちょうど1980年代から2000年代まで企業で働いていた僕の立場から、最初に感想を述べておく。

    ここで書かれていることは、いわば極端なモデル化であって、実態としてはその企業組織や個人によって大きく異なっている。企業に滅私奉公という人は見当たらず、それぞれが自分の夢を実現するために企業という環境を利用していたと思う。その中で、目的意識を共有し、自由な発想で議論して、製品開発や製造プロセスの開発をしていた。基本的にはフラットであったと思う。ただ、人事という意味では、確かに「専門性」への評価が定まっていなかったと思う。重視されたのは、組織の中でうまく目的意識を共有できるか、あるいは主導できるか、という資質である。いわば経営者の卵としての評価が重視されていた。専門性の重要性は勿論理解されていたのであるが、専門性をどう評価すべきかということが難しかった(評価の合意形成が困難だった)のである。最後の方で指摘される、「思考」より「作業」を評価する、というのも、やや単純化しすぎていると思う。現場では労働者の自主的な活動が推奨されていたが、それらは明らかに作業ではなくて思考であった。もっともその根底にあるのは、メンバーシップ制的な思想(経営的視点)であったことは確かである。

    欧米における経済構造の変化については言葉の上ではいろいろと語られていたのだが、一社員としてはなかなか実感が湧かなかった。JOB型とか専門職とか、いろいろと人事部の方から提言があったのだが、現場にいる者としては判断が出来ないのである。おそらく国際的な人材交流がもっと必要だったのだろうと思う。

<第1章>"スローの国” ニッポン

    今の日本は完全に内需型の企業(サービス産業等)がメインとなっている。物価上昇を抑え込むような力が働く。脱炭素化やAI等の先端産業において、日本はかなり立ち遅れている。人口の減少と IT 化への乗り遅れ。一番の原因は日本人自身が急激な社会変化を望まないからである(ウリケ・シェーデ)。つまり、現状の生活に満足している。マルクス・ガブリエルの日本の印象は「まるで1990年代のようである」。。

<第2章>新しい封建制

    欧米の資本主義経済は1970年代から「無形資産」を中心として回るようになった。アメリカが新しい市場を求めたからである。無形資産とはソフトウェア、アイデア、ブランド、信頼性、要するに知的・情報的資産である。昨年には ChatGPT が注目された。これは有形資産(コンピュータ)と結びついた。日本はこのままだと、ChatGPT の利用者として、デジタル赤字を蓄積するだろう(松尾登)。

    この「脱工業化」は、他方で「新封建制」をもたらしている。知的資産の所有者はそれを利用してますます富を蓄積するから、社会が階層化して、多数の貧困層を生み出す。「知」が中世における「身分」の役割をする。(中世においても「知」:ラテン語(聖書)が身分を固定化するのに貢献した。)ハリウッドの反 AI ストライキやロサンジェルスのホームレス増加。「知的活動によって社会は良くなっていく」というのは大きな幻想である。SNS も開発者達は「誰でも情報を発信できて誰でも討議に参加できる」という民主主義への寄与を謳っていたのに、実態としては「多様な情報を選択することによる思想的分断」が生じていて、民主主義への脅威となっている(ジリアン・テット)。マックスウェーバーも警告していた。「初期の資本主義を支えていた宗教心はテクノロジーを手にした資本家の営利目的の技術主義へと変身する。」

<第3章>新しい資本主義?

    1970年代からの日本は世界的に見て極めて特異である。労働生産性が全く向上していない。その日本も最近はやっと AI の活用をトップダウンで叫ぶようになってきた(松尾登)。

    「無形資産」というのは、適用範囲が広いので、多くのイノベーションの種となるのであるが、他方模倣されやすいという危うさがある。図解すると(ジョナサン・ハスケル)、
                Synergy(相乗効果)
                      ↑
               Scalability(拡張性)
              ↓              ↓
 Spilover(模倣)      Sunk Costs(費用回収困難)

(有形資産を労働と組み合わせて商品を作り出し利潤を積み上げていくという従来の資本主義に対して、無形資産がその価値を自己増殖していく、という新しい資本主義の在り方、と言えるのかもしれない。)無形資産を定量化して比較すると、英米と北欧においてその比率が高い(90%)。日本では32%にすぎない。その要因として挙げられるのが、大学のネットワークである。「知のクラスター」が公開を原則として存在しており、そこから多くのシナジー効果が生じて新しい産業が誕生している。大学がますます衰退していく日本とは対照的である。

    「無形資産」は活用できる人と出来ない人の分断を生み出す。ヴェブレンは「独り勝ち企業の危険性」について警告していた。

    (レベッカ・ヘンダーソン)日本における労働生産性の低さは労働市場の在り方に起因する。流動性と安定性のバランスが崩れていて、流動性が著しく低い。濱口桂一郎氏は昔、「JOB型雇用」を唱えた。日本の労働市場は終身雇用を主体としてるので、労働者が一つの専門職に就くのではなく、必要に応じて何でもこなす iPS 細胞型とでもいうべき人材を重用してきた。これを「メンバーシップ型」と呼ぶ。専門性ではなく、企業の一員として働くからである。しかし、「JOB型」というのは新しい形態ではなくて、むしろ昔ながらの資本主義で採用された形態である。労働者は資本家にとっては適所にあてがうべき一つの部品にすぎない。労働者は資本家に敵対している。日本が得意とするメンバーシップ型は極めてフレキシブルなので、日本の高度成長時代には有用だった。国際的にも称揚されていた。仕事(需要)がいくらでも与えられる環境においては終身雇用によって身分を安定化された社員は目標を共有して何でもこなすのである。問題はこのやり方が合わなくなってきたということにすぎない。

<第4章>KAISHA 逆襲の一手

    中国が生産請負において大きな存在になってきたのに対して、日本の企業は最終製品を作ることをある程度断念して、日本でしかできない不可欠の部品や技術の開発に注力した。得意技を磨いてネットワークの欠かせざる結節点となって利益を最大化する、という戦略である。舞の海戦略(ニッチ戦略)という。ハイテク産業においては全てが自動化されるように見えるけれども、キーとなる部品(レンズ等)は職人の手仕事でしかできないのである(ウリケ・シェーデ)。

    広告やエンタメ業界においては、生成 AI の活用による労働生産性の向上が期待されている。社長等経営者層も社員も全員で AI の学習を行い、全員でアイデアを出し合っている。((株)サーバーエージェント)

    バスケットボールの技で言えば「ピボット」である。片方の軸足を中心にして身体の向きを自在に変えて活路を見出す(ウリケ・シェーデ)

    日本の産業構造は1970年代には既に2次産業が3次産業に追い越されていた。にもかかわらず、政府は2次産業にしか注力しなかった。イノベーションが無ければ3次産業は安く売ることでしか生き延びられない。従業員の賃金は安くなる。高付加価値を生み出す2次産業が衰退する状況においては、これが全体の賃金水準を下げてしまう。デフレスパイラルである(濱口桂一郎)。欧米ではこの状況であれば、ストライキが行われて、資本家は労働生産性の向上に努力せざるを得ない。日本においては、ストライキは中世的な感覚で「反逆」と見なされるので、メンバーシップ制の元では見せかけだけのストライキになり、賃金上昇よりも雇用の安定化を目指すのであるが、欧米では近代的な感覚で「交渉手段」と見なされる。つまり、労働者が資本家と対峙している(ウリケ・シェーデ)。丸山眞男は、日本における「権限階層性と家父長制の混同」と説明している。

<第5章>ジャパン・アズ・ナンバー1

    1970年代までは生産体制のピラミッド階層型と人口のピラミッド型が適合していた。その中でメンバーシップ型人材として何でもしてきた iPS 細胞も老化して硬直化してくる(濱口桂一郎)。日本型の働き方が称揚され、その成果に騙されて、専門職の育成を怠った。社会が階層的に見えるのは人間の脳がそのような仕組みで外界を認識しているからであって、仕事の実態は必ずしも階層的ではない(松尾登)。アメリカにおいてはイノベーションへの圧力が強くて、日本以上に階層的だった組織が急激にフラットな組織に変わっていった

    戦後、進駐軍によって財閥が解体されたのだが、その代替をしたのが巨大銀行で、その資本力によって日本は高度成長を遂げた。しかし、この体制は(海外に出ていこうとしなかった為に)脱工業化社会、無形資産の資本主義に対応できなかった(高岡浩三)。

    日本の特異な労働体制(終身雇用制とメンバーシップ型雇用)は戦前の国家総動員法に起因している。この時に思想家達が使った言葉が「近代の超克」であった。丸山眞男はその本質を封建制への復古と見ていた。戦後の復興と高度成長にこの特異な労働体制が大きな寄与をして、欧米から評価されるのを見て、1970年代には思想家達が「日本は近代を超えた」と評価した。歴史は繰り返している(濱口桂一郎)。丸山眞男は「近代的な組織的な機能分化を前近代的なタコ壺化で実現している」と評している。日本独特の逆説。

<第6章>生産性の定義が変わる

    コペンハーゲンの AIカメラ開発会社(Veo Technologies Inc.)の様子。仕事場も製造現場も一緒である。いろいろなゲームもできる。フラットな環境で、仕事時間も自由である。アイデアを出し合って自分たちで開発していく。重要な事は「理念の共有」である。

    日本において特異的なのは女性が活躍の場を持てないということである。イノベーションの為の発想が偏ってしまっている(レベッカ・ヘンダーソン)。

    労働体制や社会の構造は欧米においては半世紀の間に急激な変化を遂げているのだが、日本では殆ど変化していない。この驚くべき保守性はおそらく戦後復興・経済成長という成功体験による。

<最終章>シン中間層

    OpenAI 社の CEO 解任騒動で明確になったのは、マルクスの時代の資本主義で、資本が生産手段を独占して労働者を個別に雇用するというスタイルが完全に古くなっていて、いまや生産手段を持つのが労働者自身である、ということである(松尾登)。マルクスの時代の「疎外」は労働者自身の作り出す成果物が労働者自身と疎遠で無関係なもの(商品)として扱われる、ということであったが、労働者自身が生産手段を持っているので、自らの在り方を主張できるのである。企業が「専門職」の組み合わせで出来ている

    巨大資本の横暴を防ぐのは小資産家達、中間層である(ジョエル・コトキン)。労働の喜びを求める新たな中間層が必要である。ホワイトカラーとブルーカラーの区別はない(高岡浩三)。日本においては、賃金が時間で測られるということから、労働者の「思考」は無駄な時間となり、「作業」のみが評価される。このことと「専門性」の軽視は結びついている。AI によって「作業」の部分が代替されていくのであるから、「思考」の部分を評価するような評価体制を考えるべきである。専門職の再評価が必要である(濱口桂一郎)

    ヴェブレンは人間には「制作本能」があり、それを充足するという原点に戻るべきだといった。本来制作本能は営利の為に利用すべきものではない。

    若い人達をどんどん海外に出して勉強させるべきである。当面の間は高齢者が日本を支えるしかない(高岡浩三)。

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