2013.12.24『医学的根拠とは何か』津田敏秀

      岩波の「科学」という雑誌は、昔脳科学関係の記事が面白かったのが切っ掛けで、毎号図書館で読むようにしている。3.11以来、しつこいくらいに原発関連の記事ばかりであるが、その中の11月と12月号に津田敏秀氏がまた統計の記事を書いていて、最近本を出したというので、読んでみた。以前読んだ「医学と仮説」 とは要約すれば同じ趣旨であるが、こちらの方がいろいろと突っ込んだ記述になっていて読み堪えがある。実名を挙げて専門家をかなりこきおろしているので名誉毀損にはならないのだろうかと心配になる。

      同じ趣旨の本をまた出した理由は、放射線の人体への影響についての3.11以来の報道である。100mSv以下であれば問題無いとか影響が無いとかいう印象が流布されているからである。広島・長崎の被爆後の調査において、100mSv以下では人数が少ない(7万人弱)ために癌の発症については有意性が得られていない、ということから、これが影響が無いという風にすり替わったものである。実際には、その後も検査用の放射線被爆(X線撮影やX線CT)でのもっと低いレベルの被爆においても癌の発生の上昇が確認されており、被爆の影響についての閾値は存在しない(被爆に比例して発症確率が上昇する)、ということは既に世界では確立されている。3.11の場合は被爆者数が多く(20万人)、環境に放出された放射能は広島・長崎の比ではない(170倍)。最近になって甲状腺癌の増大が始まっているということである。けれども、そういう事が判らなくても、どんなに小さな影響でもサンプル数を増やせば有意性が得られる、というのは統計を齧った人なら誰でも知っている筈なのに、なぜこのような誤った公式見解がなされるのか?なぜ著名な医師たちが間違った見解に組するのか?というのが、この本を書いた動機であった。

      僕は医学部とか医学界には馴染みが無いので著者のいう事がどの程度真実なのかが判らないが、彼の分類に従うと、日本の医学界には3種類の人種が居る。まずは「直感派」である。これは伝統的な意味での医者であって、自らの臨床経験から患者の病態を診断し治療するという傾向の人達である。複雑で個別的な人間の治療であるということで、科学としての側面をあまり重視しないから診断根拠が頭の中からなかなか出てこない。次は「メカニズム派」であって、これは顕微鏡観察や解剖所見などで病気に至る生理的メカニズムを追求し、それを重視する人達である。有名なベルナールがその代表である。3番目が「数量化派」で、仮定した病因と発病ぞれぞれの有無について2×2のボックスに数え上げていって、統計的に病因を特定しようとする人達である。ピエール=シャルル・ルイがその代表である。彼は熱病に対して当時有効とされていた瀉血の無効性を単に症例を数え上げることで証明した。

      明治維新になって西洋医学を導入する際に、日本は当時先進であったドイツに多数の留学生を派遣して学ばせたということでその影響が非常に強い。当時のドイツではコッホが細菌を発見し、「メカニズム派」が主流であった。(それで脚気対策の遅れが齎された。)その後ヨーロッパにおいては伝染病や公害の問題に対処するために疫学が発展し、戦後はコンピューターの発達にも助けられて「数量化派」が主導的になってきて、EBM(evidence based medicine)が唱えられているのだが、日本は殆どその変化に追いついていない。つまり、「数量化派」が少なくて、厚生省の諮問機関においても、殆ど参画させてもらえない。これが特に戦後の日本において幾多の悲惨なまでの対策の遅れを齎してきたという。

      それでは何故「数量化派」なのか?であるが、そのために第2章でヨーロッパにおける疫学の歴史を語る。大航海時代で船乗り達の間にに蔓延した壊血病は「原因」が不明であったが、経験的あるいは理念的に思いつかれた対策を実際に試してみて効果があれば、それが原因なのであり、それを取り除けばよい、と思いついて人体実験をしたのが、ジェームズ・リンドであった。18世紀、産褥熱については、医師の手洗いと消毒が有効であるということを示したのはイグナツ・ゼンメルワイスであった。勿論細菌は発見されていない。しかし、医師自身の手が原因であるとする彼の意見は広まらず、精神病院に入れられて病死した。有名なコレラに対しては、水道の取水口を取る川の位置によって、コレラ患者数が有意に異なるという調査を行って、原因を突き止めた(勿論細菌ではない)のはジョン・スノーであった。ナイチンゲールは野戦病院で死亡統計を取り、戦闘による死亡よりも病死の割合が高いことから改革を訴えた。要するに疫学とそれへの統計の応用は主としてイギリスで発展した。20世紀、タバコと肺がんの因果関係について大規模な疫学調査が行われた。アメリカでは心血管合併症の原因同定の疫学調査(フラミンガム研究)が有名である。妊婦に対する放射線の影響調査はオックスフォード大学で行われた。その他、アスベストと肺がんや悪性中皮腫、PM2.5と死亡率、癌の原因物質、等々、全て数え上げることで行われる。勿論その為の仮説作りは「直感派」や「メカニズム派」が提唱すべきなのであるが、しばしはそれは庶民や被害者という「現場」に居る人たちが提唱し、その方が結局当たっている場合が多い。

      そもそも病気の原因とは何か?どんな根拠で原因を語るべきか?疫学では疾患の発生速度を変える要因を病気の原因と見なす。原因としての菌が見つかるかどうかとか、遺伝子が見つかるかどうかには無関係である。勿論それらは原因仮説として役には立つが、人間が相手である以上は実験は出来ず、原因を持つものと持たないもの、疾患のあるものと無いもの、という2×2の数え上げを出来るだけ多く採取することでしか、因果関係の立証はできない。したがって個別の対象研究だけで因果関係の立証はできない。出来るのは既に確立された原因の同定・確認、それに追加するならば原因への仮説提示だけである。因果関係というのは理念の世界であって、現実世界はあくまで個別的経験世界である。日本ではしばしば判決文の中で因果関係の基本についての誤認が見られる。「喫煙者の間では非喫煙者に比べて癌の発症が際立っているとしても、その結果を、他要因の存否やその寄与の割合の検討なくして個別的な因果関係に結びつけることはできない。」というと、あたかも個別的因果関係が存在するかのように聞こえてしまうが、そもそもそれは存在しない。癌の発症に至る生理的経緯を網羅的に調べ上げることは不可能であるし、調べ上げても、そもそも健常者との比較無しにはさて何が原因であったかは判然としないであろう。これでは何の対策も出来ない。最近流行の個別の遺伝子に基づいたオーダーメイド治療というのも、その遺伝子群の人たちを対象にした統計調査(臨床データ)によって確立される性格のものである。

      第3章は日本での実例である。まずは福島の事故での復習と診断X線被爆の影響。22歳までの若年層へのCTスキャンの影響は脳や脊髄であれば2〜3倍の癌発生確率の増加、心筋梗塞後の心臓撮影で10mSv増える毎に5年で1.003倍発癌確率を上げる。こういったことが既に常識となっているにも関わらず、100mSvに閾値があるかのように報道されている。

      次はO157事件である。事件に対応したのは細菌学者(メカニズム派)であったために、菌遺伝子のタイプ分けと食材から菌を探すことに熱中してしまい、食品衛生法に書いてある当たり前の疫学調査を怠った。実際には厚生省国際部がアメリカのCDCに疫学調査を依頼していたのだが、厚生省食品部に阻止されたためにCDCメンバーが激怒して帰国したのである。そもそも細菌を同定しないと対策が打てないというのは時代錯誤の考え方である。病因が知られていなかった水俣病事件や細菌が死滅しまっていた雪印低脂肪乳事件がその良い例である。

      メカニズム派の医師はしばしば患者への説明が専門的になりすぎる。愛煙家で酒豪であった寛仁親王は癌や咽頭の手術を7回もしたが、再発して亡くなった。主治医は彼に生理学的な説明をするばかりで、アルコールやタバコが癌の因子であるから控えるようにとは忠告しなかったらしい。タバコについては医師のおそらく故意の誤った発言が多い。

      水俣病事件においても、メカニズム派が強硬に頑張ったために対策が12年遅れて多くの犠牲者を出した。原因が水俣湾の魚介類であること(仮説)は1956年の熊本大学の調査で判っていたが、その後食品衛生法に基づく調査が行われなかった。そもそも直感派とメカニズム派の発想で患者を診断したために、特徴的な感覚障害だけでは患者として認定されず、複合的な症状が必要とされ、誰が患者か、ということすら曖昧になってしまった。勿論感覚障害は他の病因でも起こるからそれだけで中毒とは断定できないであろう。しかし、疫学調査というのは特徴的な症状があればそれを患者として数え上げるべきなのである。本当の中毒患者かどうかは結果を分析すれば明らかになるし、分類しても構わない。「真実」を求めようとして肝心の「対策」がおろそかになった。直感派は病気の原因は一つと思い込むから糖尿病であれば中毒患者から外されてしまう。メカニズム派は病理解剖によって神経障害を確認していた。しかしたとえ水銀が沈着していたとしてもそれが原因であるとするには過去の多数の事例を必要とする。こうして水俣病の疫学調査が行われたのは何と15年後の1971年であった。発生直後から「数量化派」の疫学者が入って迅速な解決を見た四日市喘息事件とは好対照をなしている。

      乳幼児突然死症候群(SIDS)は20世紀前半には乳幼児死亡の大多数を占めていた。母親が覆いかぶさるせいだと言われていたが、うつぶせに寝かせた赤ちゃんに有意に多いことが統計的に明らかになって1986年頃にはヨーロッパで警告が発せられて減少した。日本で厚生省の指導で結成されたSIDS研究会は海外でのこのような動向を十分把握しながらも、「疫学的にはうつぶせ寝を止めることが有効であるが、因果関係の学問的説明は出来ていない。」として、同様な疫学的調査も行わず、ひたすらSIDSの定義を厳密化しようと病態生理学的研究を推進するばかりであった。警告を出したのは、メンバーに数量化派が加わった1998年であった。背景には、原因と結果は1対1であって、原因を無くせば結果が全く生じない、という誤解がある。そうではなくて、結果の頻度を変えるものが原因なのである。

      最後の第4章は日本の医学部の問題点の指摘である。医学部における研究は殆どが基礎医学であり、そもそも人間を対象にしていない。臨床研究はほとんど教えられていない。論文数やその引用順位を見てもこのアンバランスは著しい。癌以外の臨床研究の数は極端に少ない。臨床データは当然諸外国と同じようにあるが、それを論文にするには統計処理が必要であり、その教育を受けていないから外部に依頼することになる。必然的に出入りの製薬会社から派遣された人に依頼するから、これが不正の温床となる。これは明治維新以来の問題である。医学部の構成は未だに当時のドイツ医学の体系に沿っていて、講座制によって強固に維持されたままである。その後のイギリスでの疫学の進歩が反映されていない。DNAの発見を契機にした分子生物学の興隆がこの傾向に拍車をかけた。コンピュータの発展によって欧米で統計学が医学の常識になっていった1960年代以降は、国立大学の総定員法などで医学部が縮小された時期に相当していて、ますます世界から取り残されるという事態になった。医療統計の専門家が殆ど居ない。基礎医学は医学の基礎ではない。人間を相手にしていないのだから、単なる生理学や分子生物学である。しかし、それは人間を相手にしないから、当たり障りが無く、新規な結果を出しやすいから論文が出しやすい。著者は、日本独特の医学界の保守性についてその他いろいろな「原因」を推定しているが、この間読んだ神社 (新羅由来)とか、雅楽(中国大陸由来)とか、日本には、外来の文化を化石のように残してそれを改良しながら後生大事に守り育てるという特性が顕著なように思われる。そう考えると、日本の医学部が18世紀のドイツ医学の伝統をいまだに守っている、というのも極めて日本的である。ともあれ、現在の世界的潮流としては、医学研究の現場は実験室ではなく診察室なのである。そこで得られたデータを解析することが研究である。今日コンピュータも統計ソフトも揃っている上にインターネットで文献もかなり探ることが出来る。

      という次第であるが、僕自身は人生の大部分をメカニズム派で過ごしてきて、4年前に友人の為に医療統計をやることになって、丹波俊郎の古い教科書「医学への統計学」を読んで初めて目を開かされたというのが正直なところである。物理・化学系の研究では実験条件が整えやすいから、結果の統計処理はあまり行われないが、生物学の研究などを横目で眺めていると、メカニズム派とは言っても、最終的にメカニズムを実証するには多数の実験例を統計処理しているから、知らないわけではない。要するに目的意識の持ち方の相違なのだろうと思うが、まあ正にそれが問題なのだろう。

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